豪商 稲葉本家は、糀屋を生業として、栄えてきました。享保20(1735)年、幕府の公金預かり所となりました。 久美浜訪問記(8)
豪商 稲葉本家は、糀屋を生業として、栄えてきました。稲葉本家は、享保20(1735)年、幕府の公金預かり所となりました。 久美浜訪問記(8)
稲葉家本家の菩提寺、
西方寺のすぐ前が、稲葉家本家の住宅です。
稲葉家本家の住宅を、文化財付きで、
久美浜町に提供した後は、住宅の管理は、
もうyukiちゃんから離れました。
広い広い稲葉家本家の住宅は、夏になると、
草ぼうぼうに雑草が茂り、毎日毎日草むしりが、
yukiちゃんの日課だったそうです。
屋敷の広場には、以前は土間だったところに、
今は芝生が植えられています。
稲葉本家の蔵は、蔵資料館となっています。
入場料は、無料です。
yukiちゃんは、以前に住んでいた住宅ですが、
久美浜町に提供した後、この住宅を訪れるのは、初めてのようです。
今管理している係の人は、yukiちゃんが、
この住宅の元の主であることを知らないまま、
この住宅についての説明を始めようとしていました。
この写真は、元の稲葉家本家が商売をしていたときの、中心の場所です。
稲葉本家には、宝蔵としての2つの内蔵と、
金蔵・米蔵・道具蔵などの外蔵があります。
現在、その蔵を稲葉家の資料をはじめ、
町に縁のある人達の作品展示や、
また町内外から訪れた人の陶芸・お香体験の場として活用しています。
久美浜にまつわる作家の、
絵とか写真の展示用になっています。
稲葉家本家は、国登録有形文化財(平成15年1月31日指定)の指定を受けています。
1.母屋(明治23年竣工)
2.長屋門(通称雛御門)
3.南宝蔵
4.北宝蔵
こんな重要文化財を、個人が維持できる訳がありません。
稲葉昭次さんと、yukiちゃんが相談して、
久美浜町に、文化財を提供したのは、納得できます。
以前は、屋敷はもっと広かったそうですが、
一部を割譲して、700坪くらいの屋敷になりました。
庭の一隅に、第13代稲葉市郎右衛門の像が建っていました。
この銅像は、
旧国鉄宮津線の敷設や産業復興に貢献した稲葉翁を顕彰して、
昭和25年熊の群町村会によって建立されました。
yukiちゃんに尋ねると、稲葉家の隆盛の元は、
糀を作った事から始まっています。
糀は、お酒・味噌・醤油に使うので、
用途も広く、利幅も大きかったようです。
少しずつ、富が貯まり、それを借りに来る商人や、
大名が増え、担保にいただいた土地や骨董家財が増えて、
それを保存する蔵も増えていったようです。
稲葉家本家の屋敷を、あちらこちらから写真で写していくと、
素晴らしい文化財であることが、よく分かります。
2013年8月8日(木)