湊川神社には、楠木正成公の墓所があります。5月には楠の新緑がまばゆいほど輝いています。

湊川神社には、楠木正成公と併せて、学問の神様の菅原道真公が祀られています。

楠木正成公は大楠公、御子の正行公は小楠公と称されています。

「嗚呼忠臣楠子の墓」と、あの水戸黄門で有名な水戸光圀公が詠んだ、

楠木正成を祀る湊川神社に参拝してきました。

神戸では、湊川神社の事を『楠公さん』と呼びます。

クスノキのクスを愛称にしています。

楠木正成は、建武中興に大いに功績を残しました。

隠岐の島に流された後醍醐天皇を神戸でお迎えしました。

松葉博雄は、隠岐の島で、後醍醐天皇が幽閉されていた国分寺の跡を訪ねたことがあります。

5月下旬の五月晴れの下、湊川神社には、

楠の新緑がまばゆいほど輝いています。

本殿に参拝する前に、楠木正成公の御墓所にお詣りします。

楠木正成公の御墓所のすぐ近くには、嗚呼忠臣と、

楠木正成が後醍醐天皇に仕えた忠誠心を評価した、

水戸光圀公の像が控えています。

水戸光圀の両脇には、いつもの、助さん格さんはいません。

楠木正成公のお墓は、規模としては小さなお墓です。

日本の歴史は、天皇を中心に評価して、

天皇によく仕えた家臣は、忠臣とされています。

大楠公御一代記もありました。

文章で説明すると、長くなる一代記も、絵で説明すれば、

ストーリーが把握しやすくなります。

楠木正成公が評価されるのは、

もう一つ、二代に渡って天皇家に忠誠を尽くした事があげられます。

楠木正成が大楠公に対して、

御子の正行公は小楠公と呼ばれました。

歴史の中で、家臣は主君のために、

忠誠を尽くす事が求められましたが、同じ忠誠を尽くしても、

主君が天皇家の味方であれば忠臣となり、

天皇家に逆らって逆賊になれば、家臣も逆賊の徒になってしまいます。

正面から本殿に続く石畳の両脇には、

2013年の楠の新緑が色鮮やかです。

本殿に近づくと、太鼓の音が聞こえて、中では幼い赤ちゃんを抱いて、

お宮参りの家族の方が、宮司さんからお祓いを受けていました。

湊川神社の本殿で、手を合わせてお詣りをした後は、

振り返って歩んできた境内を見ると、JR神戸駅の方向が見えました。

この湊川神社の敷地の中には、湊川神社を高めるためなのか、

あまり繋がりのない天神さんも祀っています。

天神さんとは、あの学問の神様といわれる菅原道真公です。

菅原道真公の側には、いつも牛の像が控えています。

楠公さんは武運の神様、道真公は学問の神様、一カ所で文武が一度にお詣り出来れば、

これもワンステップの顧客サービスになります。

良い論文が書けますように!勝負に勝てますように!と、

二つのお願いを湊川神社でしてきました。

2013年5月22日(水)