淡路市正福寺の山門は中国風の山門です。辨財天女(竜宮の乙姫)にまつわる信仰から唐風の山門になりました。

淡路島ツアー(2)

淡路市正福寺の山門は中国風の山門です。変わった山門と思っていたら、住職さんが明治の頃中国に修行に行って見て来た山門を参考にして、辨財天女(竜宮の乙姫)にまつわる信仰から唐風の山門になったそうです。

曼珠沙華が咲いている坂道を登ると、右手に溜池があります。グーグルマップで淡路の地形を見ると、あちらこちらに溜池があります。お米中心の農業では、雨で降った水を貯めておく溜池は絶対に必要な水瓶でした。

子どもの死因1位は不慮の事故です。海、川、沼など水辺で起きる不慮の事故は、子どもの死因の第一位です。(警察庁生活安全局地域課 2012年調べ)

幼い子どもがいると、親の居ない間に、溜池の周りで遊んでいて、うっかり足を滑らせて池に落ちても、一緒に遊んでいる子どもの力では救い出せません。

溜池の周りに柵が欲しいなあと思いながら、更にゆっくりとした傾斜の坂を登ると、行く手に正福寺山門が現れました。

淡路市教育委員会が作った、正福寺山門の掲示板には、こんなことが書いてありました。

遠田の松林山正福寺の山門は中国風である。白漆喰で固められた通門、朱塗りの木組みはその造形とよく調和して唐風情緒を漂わせている。

当寺は、室町時代初期(約600余年前)快宿上人の開基で、本尊は阿弥陀如来であるが、別棟に弁財天女を祀る。七福神信仰は室町中期「七難即滅・七福即生」を願う庶民感情の中に生まれた。

この山門は福徳知恵の神である辨財天女(竜宮の乙姫)にまつわるものであり、丸味のある外客通門上部の切込みや花窓などが竜宮門をかたどっている。

明治初期の住職 伊達毅海が密教求法のため中国を訪れた当時、日本にない山門の美しさに惹かれ、祀神(辨財天)を拝してお姿を模写し、帰国後その辨財天を祀り唐風の山門を建立したと伝えられる。

1995年の阪神淡路大震災からの復興記念の碑がありました。

大変立派な釣り鐘があります。松葉博雄の奥さんは、世界平和を祈り、中国と日本、韓国と日本の直面する紛争を平和裡に鎮まるように、鎮魂の鐘を搗きます。

大変大きなテーマのお願いに対して、ちょっとタダでは難しいのではないかと思い、鐘楼の向かいにある辨天さんを祀るお堂にお賽銭箱があったので、奥さんの代わりに松葉博雄がお賽銭を入れておきました。

とても大きな銀杏の木がありました。でも台風で折れたのか、太い幹の部分で銀杏の木は切られた、新しい芽が所どころから出て来ています。

人間の欲のように、大きな挫折をしても、体さえあれば、また新たな欲望が湧いてくるといった見本のような銀杏の木です。

よく整備された境内です。きっと、檀家の人達が勤労奉仕でお寺を守っているのだろうと思いました。

裏の方に回って見ると、お庭の木が剪定されて、美しい庭園です。

雑草も殆ど無く、庭木も形良く刈られ、蘇鉄の葉も整っています。

ひょっとすれば、専門の庭師さんが手入れをしているのかもしれません。そうなると、維持費が大変かかります。それを負担する檀家の負担も大きいことが予想されます。

しかし、少子化と高齢化で、どこのお寺もお寺の経営が大変な時代に、こんなに整った境内の維持管理はどうして出来るのか、不思議に思います。

先程奥さんが搗いた鐘は、余韻がずっと続いています。これは鐘に含まれた金属の質がきっと良いのだろうと予想がつきます。

薄っぺらい音ではなくて、お腹に響くような重量感のある音で、その余韻が共鳴し合ってまだ小さな音で、音の波動が微かながら伝わって来ます。

辨天さんは海に関する神様なので入り口は竜宮城風にしたのでしょうか。確か辨天さんは大変な焼き餅焼きだったと聞いています。船には女性を乗せると、辨天さんが焼き餅を焼くので、船に女性を乗せないようにという不文律がありました。

観光芋掘り園を、再び探しています。高台から見る淡路島の景色は、山を切り開いた段々畑が続いています。淡路の農家の特徴は、タマネギを干すための納屋兼倉庫があることです。タマネギを干すための風通しを良くするため、壁を作っていません。

そろそろ、観光いも堀園の看板が見えてもいいはずです。右と左に注意を注ぎ、わずかな、小さな看板でも見落とさないように、細い道を対向車に注意しながら進んでいます。

2012年10月4日(木)