ライン川に沿って古城が続き ローレライの悲しい恋がからり継がれています

ライン川に沿って古城が続き 伝説では、ローレライの岩付近を通る船乗り達に、 美しい歌声を聞かせ、ライン川下り~リューデスハイムからコブレンツまで~の、古城巡り  ドイツ旅行記(23)

ライン川の古城巡り

ドイツに来たらどこに行きたいですか?と、

Kちゃんに尋ねられ、

迷わずライン川クルーズをお願いしました。

私の頭の中には、ドイツと言えば、ローレライです。

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中学校の音楽の先生が、

ピアノを弾きながら、

ローレライの曲を教えてくれました。

なんだか悲しい恋の物語で、

歌の中身と曲の寂しさが一帯となって、

いつかドイツに行くときは、

ライン川の流れの上で、

ローレライの霊を慰めたいと思っていました。

そういう中学生の時からの古い思い出があるので、

ライン川のクルージングは

今回のドイツ旅行での最大の楽しみになっています。

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さらに思い出すのは、

昭和天皇が、1971年(昭和46年)10月11日に、

ヨーロッパ訪問の折、

ライン川でローレライの伝説に心打たれ、

船上がローレライのコーラスになったと言う、

テレビでの報道が思い出されます。

「なじかは知らねど 心わびて 

 昔のつたえはそぞろ身にしむ 

 さびしく暮れゆくラインのながれ 

 いりひ山々あかくはゆる」

ライン川の古城を紹介します。

ライン川下りの途中には、

古いお城をたくさん見る事ができます。

インターネットや観光ガイドで調べて、

分かる限り、お城を紹介していきたいと思います。

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リューデスハイムを出発

リューデスハイムを出発して、

最初の古城は、「エーレンフェルス城」跡です。

1989年にフランス人に爆破されるまで、

強固な城として何度も戦争で包囲された城です。

現在は廃墟ですが、なかなか存在感のあるお城です。

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「ラインシュタイン城」です。

10世紀にローマ帝国がライン川を通行する船から、

通行税の徴収のために建てた城です。

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次の古城は、「ライヒェンシュタイン城」です。

ライン沿岸の城の中でも最も古いものの1つです。

ここは13世紀に盗賊達の根城になったそうです。

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この城を拠点に、

略奪を繰り返した悪党の城ですが、

現在はホテルになっているそうです。

次に見えてくる「ゾーンエック城 」も、盗賊の根城です。

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国を統括する皇帝がおらず、

盗賊や領主が力をつけていた時代のお城です。

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ニーダハイムバッハ村の付近を通過しています。

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「フェステンブルク城」と呼ばれる下のお城は、

略奪や税の徴収のためではなく、

関税権の保護の為に建てたお城だそうです。

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現在は廃墟です。

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遠くに小さく見えている城は、

「シュタールエック城」です。

バッハラッハという街にあるお城で、

とても財政が豊かだった場所のようです。

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現在はホテルとして使われています。

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川の中州に建つこの「プファルツ城」は、

現在は博物館になっているお城だそうです。

このお城の周辺に、ローレライがあります。

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古城ホテル「グーテンフェルス城」です。

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ローレライに岩に変えられてしまった7人姉妹の伝説

「シェーン・ブルク城」と「リープフラウエン教会」です。

お城は12世紀頃建築された城で、

現在はホテルです。

このお城は、

ローレライに岩に変えられてしまった

7人姉妹の伝説の舞台となるお城です。

伝説の概略は、

お城に住む7人の美しい娘達は、

たくさんの男性達から求婚されていましたが、

結婚するつもりはなく、

もて遊んでいたそうです。

あるとき、姉妹の一人と付き合ったという一人の騎士が、

彼女に振られた無念からライン川に身を投げます。

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あるとき、7人の姉妹が

ラインの夕日を見ていると、

ローレライが姿を現し、

「心が石のようなお前たちを、

 石にしてやる」と、姉妹を石に変えてしまいます。

ローレライは、元々とても美しい女性でしたが、

1人の騎士を愛し、

その騎士との結ばれない恋の末、ライン川に

身を投げたのです。

(ブレンターノの詩より)

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ザンクド・ゴアルスハウゼンという

街の近くにある岩山、ローレライが見えて来ました。

この大きく突きだした岩山の水面下には、

ローレライが岩に変えたという

7つの暗礁があり、しかも流れが速い

ため、多くの船が事故を起こしたそうです。

伝説では、ローレライの岩付近を通る船乗り達に、

美しい歌声を聞かせ、

船乗り達を誘って水中に引きずり込む

と言われ、船乗り達に恐れられていた場所です。

(ハイネの詩より)

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ハイネの詩に

「漕ぎゆく舟人 歌に憧れ 岩根も見やらず 

仰げばやがて 浪間に沈むる 人も舟も 

神怪き魔歌 謡うローレライ」と、

ローレライに心惑わされて波に飲まれてしまうと歌っています。

現在は、工事が進み、

安全に航行できる場所になっています。

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世界三大がっかり

ちなみに、ここは「世界三大がっかり」の1つでもあります。

日本人観光客をがっかりさせる観光名所を指す用語です。

もう1つが、ブリュッセルの小便小僧、

3つ目がシンガポールのマーライオンです。

人によっては、コペンハーゲンの

人魚姫の像を言う場合もあります。

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ローレライを過ぎて見えてくるのが「ねこ城」です。

この城の建築主が

「フォン・カッチェネルポーケン」という貴族で、

カッツとはドイツ語でネコを意味し、

ねこ城と呼ばれるそうです。

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対岸にあるのは、「ラインフェルス城」で、

もっとも大きくもっとも防御力の高いお城でした。

ねこ城の城主の居城です。

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ねこ城のすぐ横に建つことから、

「ねずみ城」と呼ばれるお城です。

ねこ城とネズミ城の位置が、

まるで猫がねずみに襲いかかるような感じから、

ネズミ城と呼ばれるようになったそうです。

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ライン川流域のリューデスハイムから

コブレンツまでをロマンティックラインと呼びます。

川辺にこれだけたくさんのお城が建つのは大変珍しいのです。

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お城が建てられた理由は、船からの通行税を取るため

お城が建てられた理由は、

船からの通行税を取るため領主達が競って城を建てたからです。

お城は税関としての役割を果たしたり、

盗賊の根城になったり、

戦争で破壊されたりと、

どのお城にも長い長い歴史を感じさせました。

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城下を通る商船から、

税金を取ると言う発想は、日本にもありました。

しかし、織田信長が、商業を活発にすることこそ、

もっと富が集まると考え、

関所を撤廃し、楽市楽座の政策をとりました。

やっぱり、考え方としては信長の方がエライのでしょうか?

あんな船こんな船:ライン川は国際河川です。川の半分はドイツを流れ、色々な船が航行しています。あんな船もこんな船も見ました。

あんな船もあります。こんな船に乗りました。

ライン川には多くの船が航行しています。

ライン川は国際河川です。

ライン川は、川といっても日本の川の常識とは大きさが全然違います。

全長1233kmになり、約半分をドイツを流れます。

ドナウ川と同じく外国の河川が自由に運行しています。

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上流はスイス、アルプスのトーマ湖からはじまります。

下流の方は川幅がとても広く穏やかなため、

このように船が行ったり来たりします。

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コンテナをたくさん乗せた貨物船が

川を行く姿は、日本では想像のつかないことです。

国際河川なので、外国の船が行ったり来たりできます。

ドイツ人はこの川を「父なる川(Vater Rhein)」と呼んでいます。

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ドイツのライン川に面した主な都市は、

マンハイム、マインツ、コブレンツ、ボン、ケルンです。

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ライン川下りで松葉博雄が乗った船のKD社は

「ケルン・デュッセルドルフ汽船」の略です。

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すれ違う船は、観光船が多かったように思います。

川の途中には、町や村ごとに船着場があり、

船着場は街に面しています。

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ライン川は、基本的には

大型の船が航行できる深さがありますが、

ところどころ浅い場所があるため、

そこにはブイを浮かべて船の目印にしています。

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大きな客船の手前に、簡易なゴムボートまでいます。

ジェットスキーで遊んでいる人も居ました。

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A ROSA AQUA号はバラの花びらが船体に描かれています。

全長135メートル幅12メートルの長くて大きな船です。

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船会社が、自社専用の桟橋を持っています。

バス停のように、1つ1つ停まって、

乗客を乗せたり、乗客を降ろしたりしています。

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こちらは、黒い砂を運んでいる船です。

ライン川の川を、KD社の船は、遡上しています。

川の流れに逆らって、

水の抵抗を受けているのですが、

川の流れはそれ程強い流れではありません。

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岸辺には、コンクリートで覆った

護岸工事がないので、

自然に川と陸が解け合っています。

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こちらのLIESVELD-N号は、車も乗っています。

ドイツでライン川を利用して、

古くから物資の輸送をしていましたが、

振り返って日本はどうだったのでしょうか?

日本にも、たくさんの一級河川があります。

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物資を運んだ河川としては、

京都-大阪の淀川の水系があります。

川を使って物資を運ぶのは、

大量に運べて便利なのですが、

江戸幕府は、幕藩体制維持の為、

大きな船を作ることを禁止していました。

軍事用に利用されることを恐れたのです。

そのため、せいぜい三十石船くらいの船で行き来していました。

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RHEINKRONE号は全長40mほどの小型船です。

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船から、両岸を見るのも、美しい景観で、

結構ですが、岸辺のお城から、

行き来する船を見るのも、

きっと美しい景観だと想像します。

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