彼岸 普遍の真理を考える機会 自分たちが今ここに生きているのは 過去の人々のおかげ

普遍の真理を求めてブッタの足跡を巡礼 自分たちが今ここに生きているのは 過去の人々のおかげ

気がつけば、もうお彼岸です。

ついこの間まで、

新年を迎えたばかりと思っていたのに、

あっという間に時が過ぎ、

春のお彼岸を迎えました。

今年も日々の仕事に追われているうちに、

季節は静かに移り変わっていたようです。

この時期には、ご先祖様を偲び、

お墓参りをする習慣があります。

仏教では、

私たちが生きる世界を「此岸」、

迷いや苦しみから解放された

悟りの境地を「彼岸」と呼びます。

「彼(かの)岸(きし)」と書くように、

「彼岸」とは「向こう岸」を意味します。

人は誰しも悩みや苦しみを

抱えながら生きていますが、

六波羅蜜と呼ばれる

「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧」

の六つの徳目を実践することで、

迷いの世界である「此岸」から、

悟りの世界である「彼岸」へと

近づくことができるとされています。

こうした仏教の教えが日本の風習と結びつき、

お彼岸にはご先祖様に手を合わせ、

自分自身を振り返る機会として

定着したのです。

祖先のお墓参りもその習慣です。

お彼岸は、

ちょうど昼と夜の長さが

ほぼ同じになる春分・秋分の日

を中心に据えた期間で、

この世とあの世が最も近づく時とも

考えられています。

私たち家族がこうして

日々の暮らしを営むことができるのは、

ご先祖様が命をつないできてくれたおかげです。

しかし、日々忙しくて、

そうしたことを改めて考える機会は

なかなかないのです。

だからこそ、お彼岸という節目が

あるのはありがたいことです。

とはいえ、コンタクトレンズの

トップシーズンは、

3月下旬から4月の上旬です。

今年もこの時期は仕事がバタバタしていて、

お彼岸の期間中に

お墓参りへ行くのが難しそうです。

インド巡礼記

できることなら、

ご先祖様に手を合わせるときは

心を落ち着けて

感謝の気持ちを伝えたいのです。

焦って形だけのお参りをするよりも、

落ち着いたタイミングで、

ゆっくりと手を合わせる方が

良いのではないかと思います。

お彼岸の間に行けなくても、

ご先祖様を思う気持ちがあれば、

それが何よりの供養になるはずです。

昨年は

次女の孫たちには初めて我が家のお墓である

前方後円墳を見せました。

初めてお墓と前方後円墳を見るので

実物を見て驚いていました。

お墓参りを通じて、ご先祖様の存在を

身近に感じることができるのは、

お彼岸ならではの大切な時間です。

命のつながりを実感し、

自分たちが今ここに生きているのは、

過去の人々のおかげであることを

感じてもらえたらいいなと思います。

こうした習慣が次世代にも自然と受け継がれ、

お彼岸を大切に思う心が

続いていけば嬉しいものです。

時代が変わっても、ご先祖様を敬い、

感謝の気持ちを持つことは、

決して色褪せることのない大切なことです。

孫たちにも、これから先の人生の中で、

お彼岸の意味や大切さを

感じ取ってくれたらと思っています。

(過去ブログ:孫もびっくり 我が家の 前方後円墳

また、お彼岸の時期には

「暑さ寒さも彼岸まで」

という言葉を思い出します。

この言葉のとおり、

お彼岸を過ぎると寒さも和らぎます。

歩く人達も、

少しずつコートが薄くなってきています。

もう、春本番はすぐそこだと感じます。

暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものです。

普段は仕事に追われ、

季節の変化に気づく余裕がないこともありますが、

こうして季節の移ろいを感じる機会でもあります。

少し落ち着いたら、

改めてお墓参りに行こうと思います。

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