2月13日は苗字制定記念日 以前、松葉氏のルーツについて 調べた事があります

2月13日は苗字制定記念日 以前、松葉氏のルーツについて 調べた事があります

苗字と名字の違いは?【2月13日は苗字制定記念日】 - 昭和 ...

出典 https://mishablnc.hateblo.jp/entry/2024/02/13/174122

2月13日は

「苗字制定記念日」という記念日があるそうです。

この日は、1875年(明治8年)に

政府が発布した「平民苗字必称義務令」によって、

日本全国のすべての人が

苗字を名乗ることを義務付けられた日です。

今では当たり前のように苗字を持ち、

日常生活の中で使っています。

苗字を持つようになった歴史について、

気になったので少し調べてみました。

かつての日本では、

苗字は武士や貴族など一部の特権階級しか

名乗ることができませんでした。

江戸時代以前、

日本では貴族や武士、

神官などの特定の身分を持つ人々だけが

苗字を持つことができました。

一方、農民や町人などの庶民は、

原則として苗字を持つことが

許されていませんでした。

明治時代に入り、日本は

近代国家を目指す改革を進めていました。

その一環として、1870年(明治3年)に

「苗字許可令」が発布され、

すべての平民が苗字を名乗ることを許可されました。

しかし、多くの庶民は

「苗字を持つと税金が増える」

「政府に厳しく管理される」と考え、

苗字を名乗ることを避ける傾向があったそうです。

そのため、苗字の普及は進みませんでした。

そこで政府は、すべての国民に

苗字を強制するための法令

「平民苗字必称義務令」 を発布しました。

これにより、日本全国のすべての人が

苗字を名乗ることが義務化されました。

これが1875年(明治8年)2月13日であり、

この日を記念して「苗字制定記念日」が

制定されたそうなのです。

今から150年前です。遠い昔ではありません。

苗字はどのように決められたのか?

庶民が苗字を持つことが義務付けられたものの、

新しく苗字を決める必要がある人々は

どのようにして自分の苗字を選んだのでしょうか?

最も多かったのが、自分が住んでいる場所の

名前を苗字にする方法です。

他には、自分や家族の仕事にちなんだ苗字も

多く見られたそうです。

また、格式を高めるために、

由緒ある苗字を選んだ人もいました。

こうして、短期間のうちに

全国の庶民がそれぞれの苗字を

決めることになったようです。

現在、日本には

約30万種類以上の苗字が

存在すると言われています。

その中でも、私の苗字である「松葉」は

令和7年時点で、「松葉」という苗字は、

日本全国で約13,300人から14,000人ほど存在し、

苗字の多さでは全国で

約1,280位から1,290位に位置しているようです。

あまり多い苗字ではないので、

ルーツが気になり、以前、

松葉姓について自分なりに調べた事があります。

松葉さん集合を象徴している、

樹齢250年以上と推定される、

国の天然記念物に指定されている

久米島のリュウキュウマツです。

高さが6m、幹の周りが4.3m、

枝が地面をおおう面積は250㎡にも及びます。

外見から見ると多くの枝が集まり、

葉は「松葉」です。

五枝の松は、

さんプラザコンタクトレンズの

マークに考えるときにも

参考にしたことがある松です。

五枝の松は、1本の松から、5枝が伸びて、

大きな繁栄を意味しています。

五枝の松

松葉だらけですがその根は一つです。

松葉姓はもともとこの「五枝の松」のように

どこかで繋がっているのではないでしょうか。

松葉氏の名前の由来  

歴史資料、郷土史、個別資料との検証です。

歴史資料については、参考文献として

「東鑑」「尊卑文脈」「系図纂要」

「大日本古文書・家わけ十四」「平賀氏系譜」

などがあげられます。

一族

郷土史としては広島県の

「賀茂郡史-中世武士編-(飯田米秋著)」があります。

松葉氏の家祖

「出つ羽なる 平賀の庄に 咲花は 幾たび見ても 梅のから花」
 

「松葉家の歴史 安芸の松葉氏 藤原姓松葉氏の素」
系図集の原典である「尊卑分脈」によると、松葉氏は藤原氏の太祖、大織冠藤原

鎌足より始まる。

淡海公不比等、参議房前、大納言眞楯、内大臣内麿、左大臣冬嗣、太政大臣良

房、利世、中納言共良、内蔵頭良春、遠江守、備中守共資、共保、共宗を経て、

松 葉氏の家祖、資宗となる。

資宗は、松葉遠江次郎と称していた。

「東鑑(あずまかがみ)」に松葉次郎について、尾張国の御家人にて、文永2年

(1265年)97才にて没する。

父の 宗益(松葉入道と称する)と共に源氏に属して軍功あり、出羽の平鹿郡、安

芸の高屋保などに所領を有するという記述があり、

この松葉次郎が資宗と見られ、松 葉氏の家祖と見られている。

平賀氏の開祖、松葉資宗が壇ノ浦で平家の赤旗を射切り、

その功績で文永元年(1185)後鳥羽院より、

御歌「出つ羽なる 平賀の庄に 咲花は 幾たび見 ても 梅のから花」を賜った。

この時から唐家紋が平賀氏の家紋となった。  

資宗の子息は出羽に転じて平鹿郡の地頭となり、その後安芸に移り、

「平鹿」が「平賀氏」と称することになった。

この平賀氏から松葉氏が生ずる事となった 。

松葉氏の家租 松葉遠江次郎資宗

戦国時代、安芸南部で活動した

国人領主平賀氏は太政大臣良房の後裔といい、

平賀系図によれば

松葉遠江次郎資宗が始祖となっている。

資宗は『吾妻鏡』に松葉次郎とみえ、

尾張国松葉庄を領有し松葉氏を称したのだという。

源頼朝の旗揚げに参加し、

源平合戦における功によって、

出羽国平鹿郡、安芸国高屋保、上総国桜屋郷、

越中国油田条などを領有するようになった。

資宗は源実朝の学問所番衆を務めており、

文人としての才能もあったようだ。

以前、松葉姓の方から

情報を頂くよう、呼びかけた事があります。

個人情報について

頂いた情報は、松葉姓の研究のみに使用し、

ウェブページで公開する際は、

ご提供者の確認と許可を得て公開しています。

→ブログはコチラ

調べてみると、松葉姓は

松葉さんの多い地域 TOP5
 
都道府県 人数
大阪府 およそ1,800人
岐阜県 およそ1,000人
三重県 およそ1,000人
東京都 およそ900人
愛知県 およそ890人
市区町村 人数
広島県福山市 およそ600人
宮崎県日向市 およそ500人
埼玉県熊谷市 およそ380人
三重県いなべ市 およそ220人
岐阜県高山市 およそ200人

 

となっているようです。

(引用:名字由来net

日々何気なく使っている苗字も、

こうした歴史の積み重ねの上に

成り立っているのです。

自分の苗字のルーツを辿ると、

知らなかった歴史や

意外な発見があるかもしれません。

たまには、自分の苗字の由来を

調べてみるのも面白いものです。

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