秋を楽しむ 芸術の秋ということで 神戸博物館のコレクション展へ行ってきました
投稿No:10039
秋を楽しむ芸術の秋ということで神戸博物館のコレクション展へ行ってきました
秋の風が心地よく、
空の色も澄んだ
深い青を見せる季節となりました。
秋を楽しもう思い、
前回は読書の秋を楽しんだので、
今回は、「芸術の秋」を楽しもうと
やって来たのは神戸市立博物館です。
神戸市立博物館は、
神戸市中央区に位置する歴史ある博物館で、
主に日本と西洋の文化が交錯する
神戸の歴史と美術を紹介する施設です。
今回私が見て回ったのは、
コレクション展です。
神戸市立博物館には
何度も行ったことはありますが、
ここ数年、足が遠のいていました。
久しぶりに、神戸の歴史に触れようと、
早速館に入ります。
神戸市立博物館には、
国宝1件21点、重要文化財7件76点を含む、
約7万点の館蔵品があります。
国宝桜ヶ丘銅鐸・銅戈群をはじめとする
考古・歴史資料、池長孟氏が収集された
南蛮紅毛美術や開化錦絵などを中心とした、
美術資料、南波松太郎氏・秋岡武次郎氏が
収集されたコレクションを中心に、
全国一の質と量を見据えた古地図資料が
保管されています。
(参考:神戸市立博物館)
コレクション展には、
その一部が展示されているのです。
外の街の賑わいを感じながらも、
静かで荘厳な博物館の中に入ると、
まるで時間が少し止まったような、
心の中に、静かな落ち着きが広がります。
まず最初に見たのは、
桜ヶ丘銅鐸・銅戈群
(さくらがおかどうたく・どうかぐん)
が展示されています。
これは何かというと、
桜ヶ丘銅鐸・銅戈群は、
日本の弥生時代(紀元前300年頃〜紀元300年頃)に
使われた青銅製の遺物で、
兵庫県神戸市の桜ヶ丘で発見された
この発見は日本の弥生文化の研究において
非常に重要なもので、当時の人々の生活や信仰、
社会構造について多くの情報を得ることが出来ます。
銅鐸は、弥生時代に製作された
鐘のような形をした青銅器で、
祭祀用具と考えられています。
農業の豊作祈願や、
集団の儀式などで使われたとされ、
宗教的・儀式的な用途が
あったことが示唆されています。
銅鐸には彫刻や模様が
施されていることが多く、
これにより当時の人々の美的感覚や
信仰に対する考え方がわかります。
描かれた小動物や人などの絵画は、
農耕に関わるものと考えられています。
当時のくらしを考えていくうえで、
たいへん貴重な資料です。
銅戈は、武器の一種で、柄を持ち手にして
振り回して使う斬撃用の武具です。
しかし、桜ヶ丘で発見された銅戈は、
その装飾性や製作の精巧さから、
実際の戦闘で使われたものではなく、
儀礼や権力を示すための
シンボル的なものだったと考えられています。
銅戈もまた、共同体のリーダー層や
重要な人物の権威を表すために
使われた可能性が高いそうです。
聖フランシスコザビエルです。
誰もが一度は見た事のある画だと思います。
聖フランシスコ・ザビエルは、
16世紀のカトリック教会の宣教師で、
日本に初めてキリスト教を
伝えた人物として知られています。
1506年にスペインで生まれ、
イエズス会というカトリック教会の
宣教団体の一員として活動しました。
ザビエルは1549年に日本にやってきて、
鹿児島を始めとするいくつかの地域で
キリスト教を広めました。
彼は、日本人にキリスト教の教えを伝え、
多くの信者を増やすことに成功しました。
ザビエルは、日本の文化に
深い関心を持ち、日本語を学ぼうと努力し、
日本の人々にキリスト教の教えを
わかりやすく伝えようとしました。
彼の熱心な活動により、日本と西洋の文化交流の
先駆けとして大きな役割を果たしました。
こちらは、都の南蛮寺図で、
16世紀末から17世紀初頭にかけて、
日本の京都に建てられたキリスト教の教会を指します。
都の南蛮寺は、京都に設置されたもので、
イエズス会の宣教師たちが日本での
キリスト教布教活動の拠点として使用しました。
次は美術部門です。
こちらは南蛮屏風です。
南蛮屏風とは、
16世紀から17世紀にかけて
日本で制作された屏風絵で、
南蛮人と呼ばれたポルトガル人や
スペイン人を描いたものです。
これらの南蛮人は、
日本に初めてやってきたヨーロッパ人で、
当時の日本人にとっては非常に珍しく、
異文化的な存在だったそうです。
南蛮屏風には、南蛮人たちの様子や
彼らの船、服装、貿易活動の様子などが
描かれています。
日本の港や町で、日本人と南蛮人が
交流している様子なども描かれており、
当時の文化的な交流や商業活動が
わかりやすく示されています。
これらの屏風絵は、この時代の好奇心や
異国趣味を反映したもので、
権力者や裕福な商人たちによって好まれたそうです。
お次は古地図です。
古地図は、地理的な特徴や交通の要所、
村々の配置、農地、河川などの情報を
詳細に示しており、当時の土地利用や経済、
文化の理解を深めるために重要な役割を果たしました。
まず目に入ったは、淡路島の古地図です。
日本の江戸時代に描かれた淡路国を描いた地図です。
江戸時代、日本全国の各国や地域の
詳細な地図が作成されました。
淡路国図には、
淡路島の地形、集落、道路、寺社などの情報が
詳しく記されており、当時の淡路島が
どのように開発され、人々がどのように
暮らしていたかを知るための貴重な資料です。
現在の淡路島の風景とは異なる地形の様子や
村々の配置は、島の長い歴史を感じさせ、
先人たちの暮らしの足跡を
たどるような気持ちになりました。
古地図は、
今私たちが知っている神戸とは異なる姿で、
まるで過去の神戸を
旅しているかのような気分です。
古い地名やかつての街並み、
現在の地形の中に残っている名残などが
細かに描かれており、
神戸という街がどのように発展してきたのか
知る手がかりとなりました。
びいどろ・ぎやまん・ガラスの
コーナーです。
「びいどろ」「ぎやまん」「ガラス」は、
日本におけるガラス製品を指す言葉で、
日本におけるガラスの発展を物語っています。
「びいどろ」は、ポルトガル語の
「vidro(ガラス)」に由来する言葉で、
日本ではガラス製品全般を指します。
16世紀にポルトガル人が日本に来航し、
ガラス製品やガラスの製造技術が
日本にもたらされました。
これが「びいどろ」の始まりです。
当時の日本人にとって
ガラスは非常に珍しく、
美しい透明感や光の反射が新鮮なものでした。
ガラス製の小物や装飾品が作られるようになり、
特に南蛮貿易の影響を受けた九州地方で、
ガラス工芸が発展していったそうです。
「ぎやまん」は、
オランダ語の
「diamant(ダイヤモンド)」が転じたもので、
江戸時代に用いられたガラス製品を指します。
特に切子ガラスや、
高級感のある装飾ガラスのことを表します。
オランダは江戸時代において
日本と交流のあった西洋諸国のひとつで、
その影響で日本に
は西洋のガラス技術がもたらされました。
江戸時代には、
ガラスの技術が向上し、
装飾を施したガラス製品が
製造されるようになりました。
「ぎやまん」は主に、豪商や大名たちに珍重され、
高級な食器や装飾品として利用されました。
その美しさと光の屈折がもたらす輝きから、
ダイヤモンドにたとえられたのです。
当時のガラス製品は、
透明度が低かったり、
気泡が入っていたりしましたが、
それがまた味わい深い特徴となっています。
「ガラス」という言葉は
現在一般的に使われているもので、
明治時代に入ってから本格的に
日本に根付いたガラス産業と関係があります。
明治維新以降、西洋の技術が本格的に導入され、
ガラスの大量生産が可能になり、
より日常的なアイテムとして
使われるようになったそうです。
たくさん見てきましたが
まだコレクション展のコーナーは
続いているようです。
他にも、銅鐸がたくさんありました。
一つ一つ、丁寧な説明が
書かれていて、
歴史を良く知ることが出来ます。
最後に、
平清盛挫創がありました。
これは、昭和56年に
ポートアイランドで開催された、
神戸ポートアイランド博覧会で展示されていた
平清盛の像だそうです。
清盛は現在の神戸港の前身にあたる
大輪田泊(おおわだのとまり)の整備を行い、
貿易港としての重要性を高めた人物であり、
これにより神戸は日本と海外との
交易の玄関口として栄える基盤が
築かれたのです。
コレクション展を
ひと通り見回りました。
とても満足感がありました。
他にも、神戸の歴史が
詳しく紹介されているコーナーがあります。
次は、そこを詳しく見てみようと思います。
まだまだ、久しぶりの博物館を
楽しもうと思います。