40年ぶりの再会 呼吸器外科医の甥家族が 淡路島旅行の帰りに寄ってくれました

投稿No:10007

呼吸器外科医の甥家族が 淡路島旅行の帰りに寄ってくれました

呼吸器外科医の甥家族

私の父と母の孫たちの内、6名が医師になっています。

6名は従兄弟同士の関係になります。

幼いときは、いとこ同士の交流はありましたが

親の住んでるところが、関西と関東に離れていて

最近では、いとこ同士は、

ほとんど会うことがありません。

それが、40年ぶりぐらいで、

神戸に寄ってくれました。

呼吸器外科医の甥家族は、3名です。

夏休みに、淡路島に家族旅行を計画し

その途中に、神戸に寄ってくれました。

松葉家の話

甥には、松葉家の血筋が半分入っています。

そこで、NHKの家族ヒストリーのように

母側の松葉家のルーツについて、歴史を簡単にはなしました。

松葉家のお墓には、お参りしたことが無いようです。

昔のお墓が竹やぶに埋もれてしまったので

市役所の許可を得て

お墓を山から平地へ移したことを話しました。

甥の母姉妹も、墓参りには一緒に来ています。

甥は、知らなかったことが一度に知って

これまでの疑問が、解けたようでした。

十代の若者だった甥は、

今は50歳台です。

呼吸器外科の勤務医なので

超多忙の毎日を過ごしているようです。

想い出話となると

亡くなった 松葉登美子母

甥にとっては、母側の祖母になります。

祖母のお見舞いに来ていたころの話です。

主治医の先生が甥に、祖母に聴診器をあてて

心音を聞かせてもらった思い出があったそうです。

先生は、「君も、医師になるのだろうから、

おばあさまの心音を聴いて見なさい」と、

言われたそうでした。

3人の私たちの子供たちは、

まだ幼いときに東京の姉夫妻の家に

泊めてもらった思い出があります。

親戚は、遠く離れていると疎遠になり

遠くの親戚より近くの隣人の方との

お付き合いが深くなりがちです。

初対面のような緊張感が

伝わってくるので

私の方から、私の自分史「社長経営学」に沿って

これまでも経験や、

記憶に残っている話をしました。

我が家での、子育てのことや

勉強方法についてもはなしました。

3人の子供達との楽しかった

思い出をたくさん話しました。

こんな、砕けた話をしたので

対話の雰囲気はすっかり、

和やかになってきました。

甥は 医学部の准教授をしているので、

研究論文に関する話に興味を示しました。

それは、私が3つの社会人大学院に入学して、

2つの修士論文と、1つの博士論文を書いたことです。

3つの論文を本にしているので、

修士論文と博士論文を見てもらいました。

論文製本

論文を見て彼は、ビックリしていました。

医学部の論文は、症例を中心とした内容なので

論文の文字数は少なく、

ページ数も少ないのです。

論文は単著は少なく、共著が多いのです。

私の場合は、単著で、一冊が400ページほどある分厚い論文です。

こんなにぎっしり研究成果が書かれているのですかと、

彼は驚いていました。

ひと通りお話をしたので、

初めての視察なので、眼科医院

コンタクトレンズ販売店

眼鏡の販売店を案内しました。

いとこにあたる院長の案内で、

松葉眼科の施設の案内と

医院経営についての意見を話していました。

一緒に来たお嬢さんは、

小学生で大人の話には黙って聞いているだけでした。

様子を見ているとお父さんが大好きなようで、

三階の眼科診療所や、コンタクトレンズ店を

案内した時には、お父さんと手をつないで、

仲良く歩いていました。

こんな微笑ましい時代が

私にもあったなあと思い出します。

私の3人の子供達もお父さん大好きで、

ちょっと外に出ようとすると、

いつも付いて行こうとしていました。

あちらこちらに連れて歩いて、

世間も広く見せてきました。

こんな子育ての話をすると、もうすっかり

40年の乖離の溝は埋まったように思います。

今度は淡路の家にも来て下さいと、お誘いしました。

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