洲本市 国指定名勝 旧益習館庭園 日本最大級の巨岩を用いた豪壮な武家庭園 

投稿No:9570

日本最大級の巨岩を用いた豪壮な武家庭園 国指定名勝 旧益習館庭園に行ってきました。

武家庭園 国指定名勝 旧益習館庭園

淡路島の岩屋に住んでいると、

紅葉の紅葉は、どこで観賞しようかと迷います。

神戸と違って、紅葉を探す範囲が狭いからです。

東浦大磯に家を建てて、淡路島に来るようになって

もう、40年が経過しています。

これまで、淡路島の各地を回りました。

まだ、行っていない紅葉の見どころは、どこか?と迷います。

探し当てたのが、洲本市にある

旧益習館庭園の庭園です。

旧益習館庭園(きゅうえきしゅうかんていえん)とは

寛永8年(1631)から行われた城下町建設時の

石切場であった場所で石切場として利用されたのち、

徳島藩の筆頭家老稲田氏の

別荘(西荘)の庭として作庭されました。

明治3年(1870)の庚午事変により、

建物は焼失しましたが、

庭だけが当時の面影を残しています。

(参照:洲本市HP)

徳島藩筆頭家老稲田氏の別荘、旧益習館庭園のルーツ

元和元年(1615)徳島藩主蜂須賀氏は、

大坂の陣の功により淡路一国の加増を受けました。

寛永8年(1631)蜂須賀氏は淡路支配の拠点を

由良から洲本に移す「由良引け」と呼ばれる

城下町の引越しを行います。

洲本は、慶長14年(1609)に

洲本城主脇坂安治が去ってから、

約20年ぶりに淡路の都に復することになりました。

蜂須賀氏よりその淡路支配を主に任されたのが、

筆頭家来の稲田氏です。

稲田氏は1万4500石と大名並みの石高を有し、

歴代当主は洲本仕置や洲本城代に任ぜられました。

稲田氏は、曲がり田山の北麓の下屋敷に

西荘(別荘)を建てそこに庭園を築きました。

今に残る旧益習館庭園の誕生です。

(参照:洲本市教育委員会作成リーフレット)

歴史的庭園から文化財庭園へ

稲田家は、尊王思想が強く、

勤皇学者との交流が盛んで

頼山陽がここを訪れています。

幕末には、桂小五郎、西郷吉之助,山縣狂助らが

ここに滞在していました。

庚午事変後、稲田家臣団の北海道移住により

益習館跡は民間に払い下げられました。

幾度か所有者は変わりましたが、

庭園は破壊を受けず守り続けられました。

平成25年8月、当時の所有者であった高田一幸氏より、

文化財的価値の高い庭園であることから、

庭園を含む土地建物を洲本市にご寄贈頂きました。

洲本市で庭園を整備し、

往時の庭園の姿がよみがえりました。

後世の改変はあるものの、主要部分については

すぐれた独特の意匠を持つ特徴がよく残っていることから、

芸術上及び鑑賞上の価値、日本庭園史における

学術上の価値を高く評価され、

淡路島の庭園では初めて国の名勝に指定されました。

(参照:洲本市HP・洲本市教育委員会リーフレット)

曲田山山麓に作庭された庭園は、

東西に長い池泉を穿ち、山側護岸に

和泉砂岩の巨石を用いた池泉回遊式庭園です。

高さ4mを超える山側護岸の巨石は、

庭園石材としては日本最大級のものとのことです。

庭園文化の発展とともに鑑賞目的で

設置されるようになった石灯籠も、

巨石とダイナミックに配されています。

紅葉も見ごろです

晩秋の紅葉も最後の見頃を迎えています。

とてもきれいに色づいていました。

見ているだけで癒されます。

巨石を配置した池も斬新ですが風情があり、

一見の価値があります。

庭園内の花の美しさに

足を暫し止めます。

この季節なので、サザンカでしょうか。

椿との見分けは色々ですが、

サザンカはほとんど完全に開きます。

喧噪を忘れ侘寂の世界観に浸った休日の一コマでした。

日本庭園 関連記事 アーカイブ

2022年12月5日(月)