インド巡礼記:ナーランダ大学遺跡を訪れる 第13話

インド巡礼記:真理を求めて インドに、インドに真理を求めて、インド巡礼に行きたい、こう思ったのも、家庭を築き、仕事に精を出し、人生も順調に歩んでる時、ふと心の中に、「これで良いのかな?何か大事な事を忘れていないかな?成る程と腑に落ちる様な真理を理解できてるのかな?」このように、ふとした疑問がどんどん膨らんできたからです。インド巡礼は、真理を求める巡礼の旅になるはずです。 【その13】

インド巡礼記

待たされること数時間、やっとバスは駅から発車し、近くのホテルに入りました。ここで朝食となります。

今日も晴れ渡る青空のもとで、なにか新しいことが見つかればいいなっと、思いながらホテルに入って行きます。

ホールで全員揃っての朝食は卵焼き2つとパン、お茶です。パンを避けているとお腹いっぱいとはなりません。

それならばと、またどん兵衛をバッグから取り出して、どん兵衛のお世話になりました。今回は息子の水筒を借りてきているので、生水を飲まないでティーバッグでお茶を作ることができます。

ホテルのロビーにあるキャッシャーで手持ちのドルをルピーに両替しました。今日のレートは1ドル10.4ルピーです、TBの方がレートが良いので40ドル交換して、これまで借りていた100ルピーを岡田氏に返しました。

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朝食の後、バスに乗り、今日はこれから仏教遺跡へ向かいます。

いよいよ私の巡礼の核心に向かうというのに、昨夜からの疲れで、とうとうバスの中で揺られているうちにうたた寝をしてしまいました。そういうことで、途中の景色についての記録はありません。

うたた寝からさめて、今日のバスから見る景色は、田舎の田園の広がる平野が続きます。街と違って人影は少ないです。泥水のような水溜りで洗濯をしているおばさんとか、昔風の農作業をしていたりして牛が見えます。レンガを作る作業をしている人が多かったように見えました。

そうこうするうちに、バスはナーランダ大学跡に到着しました。ナーランダ大学遺跡は国連のユネスコとインド政府が発掘と整備を進めています。

今、インドではヒンズー教が多いので、仏教は発祥の地だというのに廃れてしまい、昔の仏教大学の跡も、地中に埋もれていたものを1944年に発見、発掘、調査したものです

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レンガ造りの遺跡が、平原の中に風に吹かれて残っています。

仏教大学は5世紀から12世紀まで栄えたようです。盛時には1万人ほどの学僧が住んでいて、インド最大かつ最高の仏教の中心地でした。玄奘三蔵はここに留学し、後には自分でも講義したそうです。

柱などは何もなく礎石だけになっています。仏像の顔は削り取られたものもあり、ここがかつて三蔵法師が学んだところであると考えると感慨深いものがあります。

日本から、仏教関係の人つまりお坊さんのグループもツアーで来ています。

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ナーランダは、もとは仏弟子シャーリプッタとモッガーラナの故郷です。ブッダも時々訪れていたところです。

ブッダが入滅した後、シャーリプッタの高名のため寺院が作られました。ナーガールジュナ(竜樹)はここで学びました。ナーランダの地が大学になったのは5世紀で、12世紀まで続いたそうです。7世紀にやってきた三蔵法師はここで5年間学び、当時ここに3000人の教師、10000人の生徒、900万冊の写本があったことを伝えています。

当然、仏教が教えられましたが、そのほかに、論理学、文法学、物理学、数学、薬学、なども学ばれていたそうです。

それでは、何故、仏教と仏教大学は滅びたのでしょうか。

その原因は、私も大変興味のあるところです。いろいろな説があります。

バラモン教の台頭、仏教教団の中の分裂が挙げられていますが、決定的な原因としてはムガル帝国による仏教弾圧が挙げられています。

今に伝わる伝説では、大学の図書館に火がつけられ数ヶ月間燃え続けたといわれています。

今でもレンガの壁には所々、燃えた時の黒い炭の痕が残り、火事があったことが窺えます。

歴史にもしも、と言っても仕方がありませんが、もしも、焼失した写本が今に伝わっていたら、仏教研究はもっともっと違ったものになったかもしれません。

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ムガル帝国にだいぶ破壊され、一度は埋もれてしまった遺跡ですが、発掘されて往時に近い形が現れてくると、ここで多くの学僧が学び、たくさんの経典が編纂されていった遺跡らしく、沢山のレンガ遺跡を見る事ができました。

11の建物は周辺が寮、中央が教室になっていて、井戸や浴室、排水溝なども残っています。寮は1部屋に2人住むようになっていて、奥が先輩、手前が後輩だったそうです。

屋根は無いので、遺構だけを見ていますが、なんとなく部屋を想像してみて、真剣に学ぶ学僧の声が聞こえてきそうになりました。

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仏像などは全くないのですが、近隣の子供たちがブッタの石の彫刻を観光客相手に真剣に売っています。

石像なので、これを持って帰るとなると、実のところ重いのです。

しかし、せっかくインドへ真理を求めてブッダの足跡を巡礼していくからには、何かしらブッダに関わる物を持ち帰りたいと思い、いくつかの石仏を入手しました。下の写真はその中の一つです。

訪れた博物館はこの遺跡から発掘されたものが納められているのですが、残念ながら今日はお休みの日で見学できませんでした。

インド巡礼の旅に来たものの、知りたいことや尋ねたいことがありますが、言葉の大きな壁があります。

インドの言葉で話してることは、聞いててさっぱりわかりません。そうなると、頼りは現地ガイドのアーナンダ氏です。ところが、アーナンダ氏は昼間から既に酒臭く、周りの人に大きな声を上げて、真理を伝える伝道師の役割を果たしていません。

アーナンダ氏は24歳というから血気盛んな頃なのでしょう。今までの私の経験から、旅行の満足度は添乗員とガイドの力量に大きく左右されると言えます。

列車での日の出ツアー岡田氏といい、アーナンダ氏の振る舞いといい、今回は果たして満足できる旅となるかどうか、これからどうなることかと心配です。

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ここでも、私たちに向かって物売りがついてきます。物乞いもいます。

あれも欲しい、これも欲しいと思いました。ここにしかないブッダの石仏です。

しかし、何個か重ねて持ってみると、既にある荷物と合わせて持つと重くて持てそうもありません。残念ながら数個の持てる範囲で求めました。

物売りの子供やおじさんたちが、「これはいい客が来た」と判断し、私の前にはどんどん石仏が集まってきました。