三宮で震災復興のための工事が始まりました :阪神淡路大震災後119日目~125日目(№37)
三宮で震災復興のための工事が始まりました 大震災で罹災したビルは、安全性のため罹災ビルを閉鎖して、立ち入り禁止になっています。
「1995年5月15日のさんプラザビル」 |
今日から、阪神淡路大震災以後から新たに採用したスタッフが、
メニコンの大阪研修センターに
コンタクトレンズの研修に行くことになりました。
研修に行くのは男子2人です。
これから始まるさんプラザコンタクトレンズの復興に向けて、
技術研修を受けることになります。
最近の神戸市中央区三宮界隈の様子は、
崩壊したビルの撤去が始まっています。
日本中から集めたのかと思うほど、
沢山のパワーショベルや、ブルドーザー、クレーン車が
三宮の狭い地域に集中的に集まっています。
右や左、前や後ろ、どこを見てもすぐ近くで、
傷ついたビルの取り壊しが始まっています。
すでに取り壊しが進んでいるビルは、
ダンプカーで廃材を積み込み、
三宮からどこか指定された産業廃棄物撤去場所へ、
ピストン運転のように運び去っています。
三宮は埃だらけの街になっています。
まだ余震の恐れと、
撤去中のビルの落下物の危険を避けるために、
道行く人はヘルメットをかぶっている人を多く見受けます。
私も、頭にはヘルメットを着用し、口にはマスク、
目には防塵用のゴーグルを着用しています。
これが、平時であればきっと、
あの人ちょっと怪しそうと指差されるような姿で
歩いています。
16日は、オウム真理教の麻原彰晃教祖がとうとう逮捕されました。
テレビのニュースはこの事件でもちきりです。
今、日本中の注目を浴びているのは、
オウム真理教の問題です。
神戸の震災を報道する時間は、
少しずつ減少していっています。
東京から見れば、地下鉄サリン事件の方が、
身近な問題なのかもしれません。
今日は、神戸市の市役所の理財局に行って、
震災による資産価値の減少に関わる
市民税の一部減免申請をしてきました。
最近は当然ながら、コンタクトレンズと眼科の収益性が悪く、
これのために何らかの減免措置をしていただくようにお願いに行きました。
18日木曜日はさんプラザコンタクトレンズのお休みです。
天気もよいので、体を鍛えようと思い、
メニコンの安永さんを誘って
加古川のニッケゴルフ練習場に、
ゴルフの練習にいきました。
ここはショートコースですが、
ゴルフをすることで少し運動をして
体力維持をする目的があります。
腰痛で言い訳をするのではありませんが、
かなりひどいスコアとなりました。
阪神淡路大震災の後、
やっと見つけた仮店舗と仮診療所は、市役所の近くで、
商工中金が隣にある今西ビルです。
今西ビルは、伊藤町で、オフィス街にあります。
毎日この今西ビルに通っていて、
本拠地のさんプラザビルに行くことは
あまり機会がありません。
安全性のために、ビルを閉鎖していて、
復興関係者以外は中に入ることが
制限されています。
この他に、ドサクサにまぎれて
ビルの中の金目のものを強奪する恐れもあるので、
警備員が入場制限をしています。
19日(金)には、警備員の許可をもらって、
懐かしいさんプラザビルの中に入ってみました。
あのにぎやかだったさんプラザビルの中は、電灯が切れ、天井は落ち、
天井に張り巡らされたパイプや配管が剥き出しに見えています。
この状態は暗い廃墟のような状態です
。もちろん、女性が単独で入るのも怖いぐらいの不気味さが漂っています。
懐中電灯を手に持ち、かすかな明かりを頼りに
3階のさんプラザコンタクトレンズの店舗に行き、
復興の様子を見てみましたが、
今のところ、さんプラザビルの上層部の解体が作業の中心で、
まだ内部にまで修復工事は入っていませんでした。
20日(土)は息子が寮から帰ってきました。
やはり実家のことが気になるのでしょう。
松葉博雄も息子に本で読んだことや知識を教えるのではなくて、
人生に一度あるかないかという災害を通して
、生きた実践教育を行っています。
できるだけ息子を連れて会社や三宮に行き、
震災復興には何が必要であるか、
自分であればどうしたらいいかという、
いろいろな問題を話しながら、
もし息子が将来このような災害があったときには、
今回のことが教訓となるように、
親として気がつくことをいろいろと伝えています。
もちろん、二度とこんな天災は無いに越したことはありません。
21日(日)は、翌日から息子は学校があるので、
神戸に1泊したあとは、寮に帰りました。
被災地を一緒に歩いて、沢山のことを伝え、
実際に力仕事もしてもらって、
こんなときにはやはり男の子は頼りになると思いました。
まだまだこれからも復興は続きます。
阪神淡路大震災後119日目~125日目