阪神淡路大震災を事前に占いで的中 占い師の矢代さんを訪ねて占ってもらいました。 

 阪神大震災を事前に占って的中。神戸から信者と一緒に社町に疎開してた占い師の矢代さんを訪ねて、占ってもらいました。阪神淡路大震災を事前に予言した占い師に占ってもらいました。 阪神淡路大震災後112日目~118日目(№36) 占いの結果は、松葉博雄の人生は明るいという事でした。占い方法一覧

占い 関連記事 アーカイブ

 阪神大震災を事前に占って的中した 占い師に見てもらう


≫「1995年5月9日:復旧工事の始まったさんプラザビル」

11日(木)はさんプラザコンタクトレンズの定休日です。

この日は奥さんが以前からぜひ行きたいという、

占いの先生のところに行きました。

この方は矢代さんという方ですが、

今回の震災を当てた占い師の方です。

これまでこの占いの先生を捜して、

何回か尋ね尋ね、やっと見つけました。

あらかじめ電話をし、約束を取り付けて、

みてもらうことになりました。

占いに一番熱心なのは奥さんですが、

ところが占い師の先生は、

奥さんよりも松葉博雄の方に強い関心を示し、

私の方を見たいと言われました。

阪神大震災を事前に占って的中した占い師 占い方法

 占いの方法は、姓名判断と生年月日、それから手相と、

私の持っているオーラを感じることで、

これらを総合して占いの判断をします。

この先生の言うことには、

松葉博雄の人生は1995年5月より、

また新たに始まると言われました。

ということは、松葉博雄はこの阪神淡路大震災からもう一度、

蘇るということです。

阪神大震災を事前に占って的中した オーラの色は紫色 イメージは水色

わたしのオーラは紫だそうです。

そして松葉博雄のイメージは水色だそうです。

この占い師の先生は、

小学生の頃から人を見ればその人の頭上に、

その人の性格を表すオーラの色が見えました。

ある時、友達にその色のことについて話してみると、

友達にはそんな色は見えないと言われ、

自分だけが見えることに初めて気がつきました。

色にも何段階かがあります。

一番人間的に悪い色は、どす黒い黒です。

このようなどす黒い黒いオーラを出す人が

指導者の中にいるそうです。

一番人間的に優れたオーラは、輝く金色です。

この金色を放つ人は、ほんのわずかのようです。

次に銀色か、プラチナ色です。

なにか水に関係するのがいいのです。

そういえば、松葉博雄は海やプールの水が好きです。

魚を飼ったり、川で遊ぶことも幼い頃から好きでした。

よく当たるものです。

肝心の将来像ですが、

これからの松葉博雄の人生は明るいということです。

阪神大震災を事前に占って ぴったりと的中

今回、テレビでも紹介された

阪神淡路大震災をズバリ当てた矢代さんの占いはこうです。

神戸市東灘区の岡本地区に阪神淡路大震災がおきて、

阪急電車より下(南側)、阪神電車より上(北側)

に挟まれたところでたくさん死者が出るから、

数年前から地震が来る前にこの地区から

逃げるようにと予言をしていました。

この噂を、たまたま乗ったタクシーの運転手さんに聞き、

奥さんはすっかりこの占い師に

見てもらいたいという気持ちなりました。

そこでドライブを兼ねて、

姫路の近くの町に行ったわけです。

この占いの先生のご近所には、先生の予見に従って、

阪神淡路大震災が起きる3年ほど前から、

神戸市東灘区から天災を避けるために

転居してきた何軒かの信者のお家があります。

さて、肝心の今日の松葉博雄に対する予見です。

大筋は、この先にも、天災があります。

その時に救われる人はすでに決まっているそうです。

救われる人は、ノアの方舟のようなものに

助けられることになっています。

その舟でまたお会いしましょうと言われました。

これを聞いた奥さんは、

松葉博雄について行けば大丈夫と思いました。

参考資料 占い師になるには キャリアガーデン

5月8日は阪神淡路大震災から数えて112日目です。

胡蝶蘭

そろそろ近づいている誕生日のお祝いに、

子供達2人でCDを買ってきてくれました。

お祝いに頂いたCDは、奥村チヨのCD全曲集でした。

そして花をいただきました。胡蝶蘭の花です。

奥村チヨを選んだ理由は、

震災以前に奥村チヨのテープをよく聴いていたのですが、

これが震災で壊れてしまったので、

その代わりにテープからCDに進化してプレゼントしてくれました。

メニコンさんからはゴルフボールを10ダースいただきました。

どうもゴルフを元気なときにやっていた印象が強いようですが、

最近のこの腰痛の状況では、

ちょっとこのゴルフボールは使えそうにありません。


10日(水)のお昼には、旧友の高浜滋樹さんが

震災お見舞いにきてくれました。

神戸の倒壊している状況を

初めて見たようで大変驚いています。

市役所から三宮駅へ行くまでの

倒壊現場を少し案内しましたが、

周りは復興に向けて壊れた鉄骨や鉄筋のビルを

パワーショベルで取り壊している様子を見て、驚いています。

神戸の街にJRが復旧したので、

これまで控えていた見舞いのための訪問者が、

街を歩いていても増えたことに気がつきます。

たいていの人は、背中にリュックを背負い、

口にマスクをして、埃の吸収を防いでいます。


従業員の送別会

男子社員の小山君が辞めることになりました。

以前から退職の相談がありました。

慰留をしていましたが、郷里に残した親が年老いて、

自分を頼りにして帰ってきてほしいという依頼があるそうです。

神戸の生活も震災によって沢山の家財を失い、

生活の再建が苦しいのでこの際

思い切って親元に戻りたいという理由でした。

従業員の送別会

止めても止まる理由ではなさそうなので、

仕方のないことだと諦めて、送別をすることになりました。

そこで北野坂のお店でみなさんで送別会をしました。

男子社員の小山君は、私達の会社の柱となって、

頑張ってもらうつもりでしたが、

親元に戻ったらしっかり親孝行を尽くすようにと、励ましました。

一方、何人かの新しい社員も入ってきていますので、

送別会と歓迎会を合わせて行いました。


12日(金)は、糖尿病の疑いがあるので、

主治医の先生のところに行って、

奥さんは松葉博雄に食べさせる

食べ物の栄養指導を受けてきました。

まるでパンダやコアラの飼育のように、

食べさせるものに気をつけないと、

体が壊れるようです。憐れなものです。

会社には、今日はニチコンの本社から加藤新社長が、

阪神淡路大震災のお見舞いにいらっしゃいました。

過分のお見舞い金と、お見舞いの言葉をいただきました。

あるコンタクトレンズメーカーさんのお話では、

今回の震災のときに松葉眼科および、

さんプラザコンタクトレンズに対し、

大変な誤解があるようです。

どうやら意図的に周りの人によって作られている誤解なので、

その釈明を眼科医会の先生の所に行かれたらどうですか?

というアドバイスがありました。

「私たちはここにいます」という神戸市が作った掲示紙に、

さんプラザビルから市役所南へ移転した案内を書いて、

市役所や人の集まる場所に貼っていました。

この移転案内の掲示紙を、

今回の神戸の大震災で大変な罹災をされた、

眼科の先生の家の前に故意に貼り、

恨みを抱かせるようにした人がいるようです。

いったい誰がこんな悪意な仕業をしたのでしょうか。


13日(土)です。今日も

友人が今西ビルの仮設店舗に

わざわざお見舞いに来ていただきました。

まだ電話も1回線しかつながっていないので、

連絡には困っています。

阪神淡路大震災 関連記事 アーカイブ

阪神淡路大震災後112日目~118日目


←前へ:阪神淡路大震災(35)

→次へ:阪神淡路大震災(37)