投稿:宝永山登山 Part1
はじめまして。スタッフのSと申します。
今日は、ちょっと前の出来事ですが2004年の夏に宝永山という山に登った時のことを書きます。
宝永山というのは、 きれいな円錐形の富士山の中腹に盛り上がった小さな山です。
江戸時代中期の宝永4年(西暦1707年)に噴火してできたので「宝永山」という名前がついています。
僕の実家は、静岡県の清水市です。最近、お隣の静岡市と合併して静岡市の一部になってしまいました。
ここ数年、日本中でおこなわれた市町村合併では、長年慣れ親しんできた町の名前があっさりと消えてしまい、悲しい思いをした人がたくさんいると思います。僕もその一人です。
そんな清水の僕の実家からは、天気のいい日は季節を問わず富士山がよく見えます。
見えるわりにはあまり行ったことはなく、家の車で、五合目まで何度か行った事がある程度で、頂上なんてもちろん登ったことはありません。
初めて行ったのは小学生の時でした。家や学校から見るとあんなに青く美しい富士山が、行ってみてその場に立ってみると、真っ黒でザラザラしていて、少なからずショックを受けたものです。
2004年のお盆に実家に帰省した時のことです。次の日の予定について話しながら父とビールを飲んでいました。
好きな山登りも思うようにできないほどしばらく仕事の忙しかった父が、「宝永山に行ってみよう」と言い出しました。ご存知のとおり、2004年の夏は異常な暑さに見舞われ、暑さもあまりにひどいとそこから逃げたくなるほどで、僕に、「避暑」という言葉が「避難」の親戚だということに気づかせてしまったほどでした。
富士山の五合目まで行くと、とても涼しいのです。真夏であれ、ちょっと曇って風が吹いたりするとむしろ寒いくらいになります。
僕も母も、この暑さから逃げようと一も二もなく賛成しました。
富士登山にはいくつか登り口がありますが、僕の実家からは「富士山表口」が一番近くなります。その富士山表口までは車で行けます。ここが五合目で標高は2400メートル。すでにとても涼しく「避暑」の目的は達せられました。
五合目からまず新六合目(標高2490m)まで歩きます。30分も歩くでしょうか。あっという間です。この新六合目には、売店や山小屋があり、自動販売機も置いてあります。ジュース1本が250円でした。ちなみに五合目では1本200円でした。
さて、売店のわきをすり抜け、宝永山を目指します。風がとても強く、雲が出てきては吹き飛ばされて、コロコロと天気が変わります。
新六合目からはいったん宝永山の火口の底(標高2420m) まで下ります。
火口の底まで下りると、黒い溶岩性の岩石でできた大きなすり鉢の底にいるような感じで、なんだか不思議です。
行ったことはありませんが、まるで月面のような風景です。
この火口の底から、一気に宝永山山頂(標高2693m)へとすり鉢を登っていきます。