世界文化遺産 国宝姫路城 【後半】

姫路城の歴史をみてみると、姫路城は実際の戦国の世で命のやりとりとして戦いで使われたことはないようです。

戦国時代を勝ち抜いた侍がその居城として使った城と、戦争が終わって自分の威厳を示す為に作った城とでは、その戦略上の役割や利用方法が違うようです。

姫路城

姫路城は平和な時代に作られた城なので、その絢爛豪華さを競っているようです。 本丸の中に入っていくと、靴をぬいでスリッパに履き替えます。

姫路城

この中に入っていくと気がつくのは寒さと暗さです。 子供の時に映画の時代劇をよく見ました。お殿様が家来と一緒にお酒を飲んできれいな腰元ガールズが踊りを見せるシーンでは、撮影の都合もあり、昼間と見まがうばかりの明るさです。子供なので、それが本当だと思ってました。

姫路城

ところが、姫路城に遠足で行ってお城の中に入ったときに、この疑問がわきました。 卒業式に歌う歌に「蛍の光」があります。

姫路城

勉強をするときに明かりが必要ですが、昔は本を読む明かりを夏は蛍に、冬は窓の雪の反射の明かりで本を読んだことを表しています。

したがって、やはり暗かったのです。私の誤解を植えつけたのは、当時の東映時代劇だったのです。

 

 


 

天守閣は主に兵器の貯蔵庫だったということが書かれていました。たくさんの鉄砲、槍、武具などが天守閣に納められていたようです。
しかし実際に敵が攻めてくる時、天守閣の上にまで槍や鉄砲を取りにいっているようでは、もう落城間近です。したがって平和時だからこそ、このような武器の収納場所を設計したのでしょうか。

姫路城

天守閣の上に行くほど、階段は狭く急勾配になっています。これを上がるだけでもしんどいのですが、上がるときはどんな景色が待っているかという期待感があり、興味もあってあまり苦にならなかったのですが、思いのほかにしんどかったのは、階段を下るときでした。

足を大きく上げて、普段使わない筋肉を使って、階段を下りたもので、翌日には筋肉痛となってしまいました。

姫路城

一番上に出て外を見ると、天下をとったような景色が見えます。ここから見えるお城の瓦を私に補修しなさいと言われたら、昔の時代にはイヤとも言えず、命をかけて瓦に上がり取替え工事をやったのでしょうか。

姫路城

今にも滑り落ちそうな急勾配で、想像しただけで怖くなりました。案内図では、敵が攻めてきたら石を投げる、あるいは煮えたぎった油をかける、水を流すといったようなことを書いていますが、ここからそんなことをするのは大変だなと思いました。

姫路城

お城の中から城下を見る、城郭の間から天守閣を見る、石垣の曲線を見る、素人ながらいろいろな角度からお城を見てても飽きませんでした。一つ気が付いたことがあります。

天守閣の大黒柱に使った杉の大木が2本、掲示されていました。1本は岐阜県から、もう1本はよく行く姫路の竺形山から切り出された大杉が姫路城の天守閣を支えていました。竺形山のことは、以前に何度も訪れた「せせらぎの湯」を参照してください。

姫路城

不思議なことに日本では、大木になって何百年もあるいは千年も樹齢が越えてくると、もうこれは単に樹木ではなくなり、信仰の対象となってきます。幹の回りにしめ縄を回し、御神木として敬っていきます。

そこで、竺形山の御神木を切り倒すときは、あとあと祟りがないように神事をおこない、神木自体に次の立派な役目があることをわからせて、決して無駄な命を奪うのではないのだと神主さんは神木に言って聞かせます。

姫路城

やはり、御神木となるとこれを切って後々祟りがあることを内心は心配しているのです。このようなことを思いながら杉の大きさと木組みの美しさに感動して、長い時間見ていました。

しかし、お城も大気汚染や風雨によって白壁が汚れているような気もします。周りに青葉や桜があればこれが分からないのでしょうか。姫路城を見た数日後、新聞によれば姫路城の壁を塗り替えるというニュースがありました。やはりお城も時々はお化粧しないと人目をひかないのでしょうか。

姫路城

今日の姫路城はかわいそうだなと思いました。でも素肌の美しさを見た気がします。日本の城郭の美しさを演出する源は、漆喰にあると思います。

姫路城

城郭が全国に進むに従い、漆喰にもいろいろと工夫がもたらせれました。漆喰は基本的には消石灰を結合剤としています。その中に海草糊を入れ、いっそう粘り気が出て、耐火性、耐久性が優れた白壁を作れるようになりました。

帰るときにもう一度振り返ってみてみました。かつて男の人は、一国一城の主になりたいのが夢でした。

なんとなく、その気持ちを誘う美しい城だと思います。