阪神大震災の復興中に、地下鉄サリン事件が起き、日本中の注目が神戸から、地下鉄サリン事件に移っていきました。:阪神淡路大震災後63日目~72日目

 全国からかけつけてきていただいた震災復興ボランティアの方たちも少しずつ引き上げが始まっています。

摩耶山天上寺のマーヤ様にお参りをし、これからも震災復興が順調に進むようにお願いをして帰りました。なんとなく、すがすがしい春の一日を過ごしました。


≫線路が波打つ六甲道駅の様子

今日は日本中が驚く事件がありました。

それは東京の地下鉄でサリン毒ガス事件が起き、この時点で死者6名、中毒になった方が3500人出ました。今日のニュースは地下鉄サリン事件が中心になりました。

サリン事件が起きた時は、神戸の罹災者の人たちはまだ安定した生活に戻ることはできていませんでした。

テレビでニュース報道を見たときも、私たちの震災による生活から見れば、大変なのは神戸の方だと思っていました。

ところが、事件が東京で起きていたために、これまでの神戸の震災を伝えるマスコミの報道姿勢は、急展開となりました。なんたって地元の東京で起きた事件の方が関心が高く、取材も熱が入り、神戸の震災を伝える報道は、今日を境に一変することになりました。

阪神淡路大震災63日目:1995年3月20日(月)



今日はお彼岸なので、摩耶山の天上寺にお参りしてきました。

本来なら、お墓にお参りをして、お掃除などもしてくるのですが、交通機関が麻痺状態なので手近な摩耶山に車で上り、長い階段を上り、山頂の天上寺にお参りしました。

天上寺から神戸の街を見れば、震災後の特徴が青いビニールシートに現れていました。屋根を覆うビニールシートが一様に青く、遠くから見れば青い点の集合が街全体をブルーに染めているように見えました。遠く須磨の鉄拐山が春霞におぼろげに見えました。

マーヤ様にお参りをし、これからも震災復興が順調に進むようにお願いをして帰りました。なんとなく、すがすがしい春の一日を過ごしました。

阪神淡路大震災64日目:1995年3月21日(火)


 

テレビでは、オウムのサリン事件一色です。オウム心理教の本部のある上九一色村を警察が家宅捜索しました。

神戸の人たちもこれまでのテレビの報道が、神戸から東京や山梨へ移っていましたが、それを避難所でも見守っています。いったい何が起きているのか、テレビは繰り返し繰り返し報道をしていても、真相にはまだ迫っていません。


震災復興関連ニュースとしては、今日は、芦屋市の水道が全戸通水しました。(33388戸)

阪神淡路大震災65日目:1995年3月22日(水)


 

子供が通っている白陵高校の田野校長からお電話があり、茜寮(女子寮)のPTA会長に松葉博雄が就任してもらえないかという依頼がありました。

しかし私は今、家も会社も従業員もお客様も、私の肩に復興がかかっているので、ここを復興している間は、電車に乗って岡山にしょっちゅう行くような大切な役目であるPTAの会長として皆さんのお役に立つことはできる状態ではありませんので、せっかくながらお断りをいたしました。

今日は定休日なので、これまでほとんど帳簿などにかまっていられませんでしたが、滞っていた経理の仕事を、家でずっとやりました。

現金を確認し、現金出納帳に記載をし、残高と現金有り高が一致するように電卓を何度も叩いて、合わなかった金額を合うように、記憶を辿りながら、合わせていきました。

たとえ地震があろうとも、いつかは税務調査があり、ちゃんと帳簿をつけていないと注意を受けることになりそうなので、こんな時でもちゃんと帳簿付けを一日かけてやりました。

阪神淡路大震災66日目:1995年3月23日(木)


クラレの担当の小泉さんがお見舞いにきてくださいました。

新聞の報道では、今日は神戸市の小学校で一斉に卒業式がありました。不自由な生活の中でも、子供達には元気に巣立って欲しいという親心や、周囲の支援により、学校行事は徐々に平常に戻っているようです。

阪神淡路大震災67日目:1995年3月24日(金)


しばらくミーティング、及び販売会議をしていませんでしたが、震災後第一回の販売会議をメニコンの安永幹夫さんを交えて、居酒屋で行いました。

会議をした場所は地下にある居酒屋さんでやりました。ビールを飲み、料理を箸でつつきながら、これまでよく頑張ってくれた従業員の皆さんと久しぶりに一杯やることになりました。

その中で、議題はどのように私たちが震災で困っている人たちに貢献できるのかということですが、何しろ連絡手段が限られている中で、多くの方が住居を転々と変わっていて、なかなか相互連絡がとれないというもどかしさがあります。

阪神淡路大震災68日目:1995年3月25日(土)


 

大相撲、春場所では貴乃花と曙でにぎわっています。曙が優勝しました。

寺田俊三様が奥様とご一緒に震災のお見舞いに来て頂きました。過分なお見舞金を頂きました。大阪から三宮に来るには、まだ電車に座った状態で来ていただけるのではないのですが、一部歩いてでもわざわざ訪ねてきていただいたことに大変嬉しく思いました。

 阪神淡路大震災69日目:1995年3月26日(日)


 

今日の警察庁発表では、今回の震災による死者は5498人(兵庫5477人、大阪20人、京都1人)、行方不明は2人とのことでした。

70日あまりが経過し、罹災者の数が確定しつつあるようです。それにしても5000人以上の方が亡くなられたとは驚きです。

もし、この震災が市民の人たちが起きて市民生活をしているお昼や夕方などで、交通機関が動き、人が街で働いている時だったら、きっともっと多くの方が罹災されたのではないかという解説がありました。

確かに高速道路で走行中、あるいは電車が走っているときなら脱線事故や衝突事故が起き、一つの列車だけでも数百人の犠牲者が出たかもしれません。

阪神淡路大震災71日目:1995年3月28日(火)


 

兵庫県内の上水道ほぼ復旧してきました。全国からかけつけてきていただいたボランティアの方たちも少しずつ引き上げが始まっています。

ライフラインという言葉がよく使われています。生活を支えるための水、電気、ガス、通信、医療など、安全を確保するために最低水準ですらまだ復旧が完全ではありませんが、しかし、徐々に生活は落ち着きつつあります。

間もなく電車も復旧するような情報が届いています。

 阪神淡路大震災72日目:1995年3月29日(水)



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