震災復興の過労による高熱と心労で、体調不良が続いています。:阪神淡路大震災後54日目~57日目

震災後、阪急は御影・三宮間が復旧しました。

さんプラザビルの「り災証明書」

次女と長男が春休みになったので、学校の寮から神戸に帰ってきました。本来なら進学の問題が家の中で大きな問題となり、いろいろと相談に乗ってやらないといけないのですが、今の現状を見れば、子供達も自分で考え、自分で進路を判断して進んでいるように思えて、すまないと思う反面、成長したなあと頼もしく思いました。


メニコンの安永幹夫さんがいろいろとよく動いてくれているので、これまであまり食べられなかった冬の味覚であるカニを食べに行くことにしました。

三宮の市街地では、まだ飲食店は本格的な復興をしていませんので、少し足を伸ばして近郊の飲食店に車で行って食べてきました。

カニスキを食べながら、この先の再建の中でやらないといけない問題である告知活動について、どのようにして、少ない予算で効果的な成果を上げられるのか、という虫のいい相談をしています。


その中で考えついたのは、センタープラザの壁面広告に、我が社が、さんプラザから市役所の後方にある今西ビルに移ったという広告をすることにしました。

さんプラザにいれば、JRに向かって無料でできる広告なのですが、今は有料でも高い広告費を払ってでも、移転告知活動をしなければならないので、現在は仕方がないと思います。

阪神淡路大震災54日目:1995年3月11日(土)


 

忙しい1日でした。忙しい原因は、先日のDMハガキや、マスコミ各社の記事紹介が効いているからですが、従業員が減っていることも、理由にあります。早く従業員が採用できたら、と思っています。

阪神淡路大震災55日目:1995年3月12日(日)


 

なにもかも、少しでも、一日でも早く復興をしたいという気持ちが先立ち、少し働きすぎたようで発熱です。38度の熱が出て、頭がくらくらしました。しかし、私が出ないと、指揮者がいないので無理をして出勤です。一日大変辛い状況でした。


阪急は御影・三宮間が開通しました。御影まで何とか行けば、電車で三宮まで行けるようになりました。

この新聞記事は、当日のものです。夕刊ですが1面にさんプラザビルが写っているので大事に保管しておいたものです。

紙面には、御影駅の混雑ぶりをよくとらえた写真も掲載されていました。


眼科の方の元従業員の方が、震災後の対応について労働基準監督署の方に督促の依頼があったので、そちらの方の対応をしました。

震災直後に神戸から他の地区に避難した従業員の中には、すぐにでも失業保険をもらいたいという気持ちがありました。しかし、神戸の街は大混乱で、自分の身の安全の確保の方が難しい状況があったので、失業保険給付の事務手続きが遅れていました。

これに対し、退職金支給や失業保険手続きが遅いという理由で、労働基準局に相談した方がいました。そこで、労働基準局に出向いて、当社の状況を説明すると、神戸の地元の方は、今の震災の状況は十分理解できていますので、それはやむを得ないという意見を頂きました。

阪神淡路大震災56日目:1995年3月13日(月)


 

熱は下がりません。相変わらず38度、大変しんどい状況が続いています。寝ているわけにもいかず、高熱のまま仕事に就いています。

風邪なのか、過労なのか、花粉症なのか、どれにも当てはまりそうで、何が本当の原因なのかわかりません。しかし、あちらこちらが痛く、しんどい状況が続いています。きっと精神力で立っているようで、もし何か安心するようなことがあれば、どっと隠れていた疲れが出て、寝込んでいたかもしれません。


今日は、取引先のニチコンの荒木社長が震災見舞いにやってきてくれました。荒木社長は芦屋の自宅で罹災されていました。

幸い、お家は崩壊していなく、荒木社長にも怪我もなく、家族の皆様も無事でした。

阪神淡路大震災57日目:1995年3月14日(火)



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