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2006年のお正月を沖縄県恩納村で過ごす

10

 

沖縄県恩納村前兼久村から神戸に帰ります 第72回沖縄訪問(10)

前兼久村の新年の参拝が終わった後、上間光元さんが「うちに来ませんか」と誘ってくださいました。

お言葉に甘えて、上間光元さんのおうちに着いて行き、お家で色々な上間家のお話を聞きました。

写真を見せていただきました。三人のお子さんがいらっしゃいます。

長女の方は具志川中学の先生です。次男の方は姫路工大(現兵庫県立大学)で学び、沖縄の久米島高校で高校の先生です。バレー部の監督もしてらっしゃるそうです。

お正月ということなのでおせち料理をご馳走していただきました。上間さんの奥様はお料理がお上手で、今日いただいたのは沖縄の郷土料理であるナカミ汁です。

ナカミ汁の具には豚の内臓が細かく切って入っていて、食べやすくしています。

上間光元さん宅でご馳走になったナカミ汁 上間光元さん宅でご馳走になったタコと海ブドウ

タコ捕り名人|上間光元さんさん上間光元さんは、以前、スナックのお店を経営していました。

その時に、お客様に出す飲み物のアテに、海産物を獲ることを考えついて、目の前の珊瑚礁の海に獲物を捕りに入りました。

海に入ると、運良く、タコが獲れたので、このタコをこの先中心に獲っていこうということに、方針を決めたそうです。上間光元さんの38歳の時です。

以来、ずっとタコを獲りを20年続けています。今ではこの辺りでは、「タコ獲りの名人」と言われるようになりました。

この事は地元の新聞に詳しく報道されました。その報道記事を読んで、松葉博雄は感動しました。


上間光元さんが船に乗ってタコ漁に行っている時は、奥様は家を守り、夫婦で力を合わせて子供三人をしっかり養育してきました。

タコ捕り名人|上間光元さんさん タコ捕り名人|上間光元さんさん

朝日会のゴルフ上間さんのお家から、今度は朝日会に戻りました。朝日会では村中の皆さんが集まってゲートボール大会をして楽しんでいます。これは、村中の行事です。

青少年も、壮年、中高年の皆さんが方が一つのグラウンドでチームを作り楽しんでいます。これが地域社会の楽しい行事です。


松葉博雄が今日、神戸に帰宅するということで、今日の前兼久村の町内会に集まった人たちの中で、朝日会で顔なじみの人たちが、松葉博雄を囲んで集合写真を撮ることになりました。

朝日会のゴルフ

中央に立っている、兵庫県立大学水泳部のユニフォームを着ているのが、松葉博雄です。

次の朝日会訪問予定は、2月16日の神戸新空港オープンを祝して、神戸空港から飛び立つ沖縄行き初日便に乗って、また朝日会に帰ってきます。


松葉博雄は、帰宅準備にかかっていますが、前兼久の皆さんは、町内の行事であるゲートボール大会に盛り上がっています。

前兼久村でのお正月の行事 前兼久村でのお正月の行事

前兼久村でのお正月の行事

もし、帰宅が明日であれば、松葉博雄も当然この町内会のゲートボール大会に参加して、賞品をいただけるのですが、誠に残念ながら、皆さんに惜しまれつつ、前兼久から車に乗り、神戸に帰ることになります。

記念に、ゲートボール中の選手の皆さん方の写真を写しましたので、ホームページ上にてご紹介します。


前兼久村でのお正月の行事 前兼久村でのお正月の行事

前兼久村でのお正月の行事 前兼久村でのお正月の行事

賞品は、自転車やら、座椅子、着る物、食べる物、勉強道具、ビール、寄付もあり、年代別、男女別、グループ別で、とにかく誰かに何かが当たるような、絢爛豪華な賞品でした。

前兼久村でのお正月の行事 前兼久村でのお正月の行事

那覇空港に着いて、お昼ご飯を飛行場で食べ、伊丹行きの飛行機に乗りました。

 


今から、離陸に向かいます。離陸体勢に入ったところで、今回の沖縄訪問を終了いたします。ご精読ありがとうございました。

おしまい




沖縄恩納村前兼久村の地元のお正月行事に参加する
〜竜宮の神、久高島のご先祖様、前兼久の鎮守様に礼拝〜 第72回沖縄訪問(9)

 

 

朝日会 イカ墨汁ゴルフの後、朝日会に行きました。朝日会では、ゴルフに参加人たちは、先ほどのスコアを話題にして、もう一度ゴルフを楽しんでいます。

今日のご馳走は、イカの墨汁です。イカの墨を水洗いしないで、イカの身をぶつ切りにして煮込みます。

イカの墨汁は、初めて食べる人には、書道の墨汁のように見え、何か気色悪い感じがします。それが、食べてみると、おいしいのです。


朝日会 イカ墨汁臭いを消すためには、 香辛料にンジャナ(にが菜)を入れます。これを、カツオだしのスープとイカの墨で煮込むと、沖縄独特の郷土料理になります。

イカの墨汁のルーツは、イタリア地方から宣教師によって沖縄に伝えられたと言われています。本当でしょうか。

それなら、キリスト教の布教に合わせて、日本の各地にもイカの墨汁が伝播したのでしょうか。これは、読者の皆様からの情報提供をお願いします。


2006年1月2日、晴れです。東の空からは太陽が見えています。風は強いですが、天気は持ち直しています。

昨日は、朝日会でビールとお酒をしっかり呑んだので、朝日会のある恩納漁港に車を置いています。朝から帰宅の準備に取り掛かるため、車を取りに行きます。

途中、前兼久の集落を通っています。細い道に入っていくと、公民館から流している沖縄の伝統舞踊、そして三線に乗った、めでたい歌が流れてきます。そうです。今日は、前兼久村では、お正月の行事なのです。

前兼久の集落 前兼久の集落

公民館の運動場に集まって、これから四方の神様に、この一年の祈願をして回る儀式が始まります。いよいよ、松葉博雄も村民に溶け込みつつあります。

前兼久村でのお正月の行事 前兼久村でのお正月の行事

区長さんを先頭にして、前兼久村の三箇所の礼拝所に、お参りに行きました。

前兼久村でのお正月の行事1つは、海の幸の豊漁を祈って、竜宮城の神様に参拝します。運動場には、沢山の前兼久村の一家の主を中心とした年長者が集まり、一同で礼拝所に向かって頭を下げ、祈念します。

区長さんは全員を代表して、竜宮城の神様にお供えをして、豊漁を祈っています。

 

 

前兼久村でのお正月の行事次の礼拝所は、小高い丘にあります。前兼久村を突き抜ける国道58号線を横切って、礼拝所に続く整備された階段を上っていきます。

階段を上りきった所には、少し開かれた広場があります。

この広場で、また前兼久の皆さんは腰を低くしてしゃがむ形で、礼拝所に今年一年の安寧をお祈りします。

この後は、礼拝所とは反対の方向にある小さな石に向かってしゃがみなおします。この石の方向は、前兼久村の祖先が、沖縄全体の祖先の発祥地である久高島に向かっています。

沖縄信仰では、今の沖縄の人たちの祖先は久高島から本島に渡ってきたと言われています。そこで、久高島には、沖縄の本家の意識があり、 御獄が久高島の各地にあります。

前兼久村でのお正月の行事 前兼久村でのお正月の行事

久高島のご先祖様に礼拝した後は、前兼久村の鎮守の神様に参拝します。

村の鎮守は公民館の近くにあります。本土のお堂のような造りと大きさです。この祠は、普段は扉が閉まっていますが、夏のお盆にあるエイサーの時にも開かれます。

前兼久村でのお正月の行事 前兼久村でのお正月の行事

前兼久村でのお正月の行事ここでも前兼久村の皆さんは、祠の前に膝まづいて、区長さんの礼拝について、鎮守の神様に、今年の家内安全をお祈りします。

全員が鎮守の敷地の中に入り切れず、通路に溢れるほどの沢山の人が集まっています。

鎮守の神様にお供えをしていたお米の粒を、全員が少しずつ分けていただきます。このお米を混ぜてご飯を炊くと、ご利益があるようです。

 

前兼久村でのお正月の行事 前兼久村でのお正月の行事

前兼久村でのお正月の行事お神酒が振舞われ、おつまみも沢山揃っています。

松葉博雄は、ご利益のあるお酒はどんどん飲みたかったのですが、これから神戸に帰宅するために、車の運転があり、残念ながらビールもお神酒もいただきませんでした。

前兼久村の伝統行事を見ていると、沖縄には、まだまだ地元ならではの血縁関係が強く残り、ご先祖様や年長者を大切にする儒教思想が残っていることを感じました。

この鎮守での参拝は、年始の交歓会も兼ねています。一箇所で沢山の人に新年のお慶びを言うことができます。

伝統行事には、根底には生活のために便利なように長い年月をかけて考えられた、知恵のようなものがあることがわかりました。



沖縄恩納村でのお正月は、高原ゴルフクラブで宮里藍かもしれないゴルファーを見ました 第72回沖縄訪問(8)

 

2006年1月元旦、今日から新しい2006(平成18)年が始まります。今年のお正月も、沖縄の恩納村で迎えました。

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブホテルでは、新年を迎えお祝いをしています。ロビーでは、セイロで餅米を蒸し、杵と臼を用意して、ホテルの従業員と宿泊客とが、お正月のお餅つき大会を始めました。

おじさんになると、子供の時ほど嬉しくもなく、「それがどうしたん」という感じで、朝寝坊を楽しんでいましたら、奥さんが「お雑煮が出るから食べに行こう」と声かけてきます。

これも面倒なので、「持ってきてもらったら食べる」と、ずぼらを決め込んでいます。

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ使い捨てのお椀に、つきたてのお餅が2個入って、紅白のなると渦巻きとほうれん草のおひたしが入ったシンプルなお雑煮が届きました。

スープの味がなかなかおいしいので、取材を兼ねてロビーに降りてみることにします。餅つきはもう終わったようで、ホテルの従業員のハッピ姿がお正月の華やかさに演出しています。

 

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブお餅を頂いた後は、11時からは朝日会のメンバーによるゴルフ大会が始まります。

松葉博雄も参加するように呼びかけがありましたので、これから朝日会に行きます。

ゴルフ道具はホテルの倉庫に預けてあったので、ぼろっちいゴルフセットですが、これを使います。

腰痛のせいで、最近はゴルフを全然やっていませんので、どんな結果になるやら。見るのも哀れな結果になると思います。

それでも皆さんとの親交を温めるためには参加させていただきます。

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ 沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ
沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ 沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ今日のゴルフ大会の会場は、「高原ゴルフクラブ」です。ここは、1995年正月、長女と長男を連れて、家族ゴルフに来たことがあるゴルフ場です。

だからといって、勝手しったるコースではありません。ゴルフの下手くそな松葉博雄にとっては、初めてと全く変わりません。

受付でエントリーをして、プレー費を払います。これは、賞品に変わります。ただし、入賞すればです。

プレー費と賞品代合わせて4000円ですから、沖縄のゴルフ場は安いです。

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ

ゴルフのプレーの前には、皆さん、我こそはと思い、パターの練習場で入念なチェックを始めています。

松葉博雄は、本気になればなるほど、腰痛に悪いので、気楽に行こうとしていますが、しかし、あまりにも惨めな結果になると、人格を疑われるような恥ずかしさもあるので、少しだけ、パターの練習をしてみました。

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ 沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ

さあ、スタートの時が来ました。スタートは、ギャラリーが周りを囲んでみているので、皆さん、緊張が伝わってきます。

ここで一発、ナイスショットが出ると、後が気が楽になって、プレーが楽しくなります。しかし、肩と腕に力が入ると、ボールはあらぬ方向にいってしまい、苦笑いのスタートとなります。

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ 沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ

高原ゴルフは、やや高台にあり、金武湾の海と岬が遠くに見える場所もあります。風はあまり強くないものの、天気は曇天で、照りつける太陽の明かりはないので、汗をかくことはありません。

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブスポーツは、努力の結果がある程度正比例で出てきます。練習すれば、素直にスコアは上がってきます。

ところが、練習をしていないので、スコアは運次第で、うまくいけばパーになることもあれば、OBや、池ポチャでダブルスコアになることもあります。

この辺が不安定というか、練習をしない無謀なプレーが反映されたスコアとなります。

さすが沖縄と思うのは、グリーンが冬枯れしていないことです。

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ 沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ

納得の出来ない成果をもって、スコアを提出し、順位の判定があり、表彰式となります。

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブビールを飲みながら、結果の発表を待っていると、下の階で、No.1のコースでざわつきが起こりました。

誰かが、「宮里藍や!」と叫んだので、一斉に皆さん窓から見えるティーショットをしようとしているグループに目がいきました。

高校生のような女性ゴルファーを、3,4名のスタッフとおぼしき男性が、ビデオカメラを回しながら取り囲んでいます。後ろ姿なので、宮里藍かどうか、わからないまま見ていると、見事なショットでした。

この宮里藍らしき女性ゴルファーが、1球打っただけで、あとは誰も打たないで、もうボールを追いかけて、チームの全員が移動を始めました。これは、プレーではなく、練習だとわかりました。

高校生ぐらいの女性ゴルファーが1球打っただけで、ビデオの記録係が付いて歩き、キャディーや取り巻きの人がついて行きます。

沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ 沖縄恩納村 高原ゴルフクラブ

ゴルフは、イメージトレーニングが大切と言われています。上手なプレーヤーのショットを頭の中で描いてみて、そのようになると念じて打ってみると、そうなるようです。

これから少しゴルフのテレビ番組を見て、イメージトレーニングをやってみます。



沖縄の年末大晦日の家庭料理をいただき、ムーンビーチの年越しカウントダウン花火を見る 第72回沖縄訪問(7)

2005年12月末の大晦日にお忙しいにもかかわらず、松葉博雄と奥さんの2人をお家に呼んでいただいたのは、仲村盛勇さんのお宅でした。

沖縄の家庭で過ごす大晦日仲村さんのお宅は、タイガービーチの浜辺の延長線にあり、お家の前が珊瑚礁の海に面した素晴らしい景色のお家です。しかし、残念ながら夜に訪れたので、きっと素晴らしいのではないかと思ったものの、明るい時に見たわけではありません。

仲村盛勇さんは、冨着勝弘さんの岳父にあたります。冨着勝弘さんが「うちのおじいちゃんと話してみると面白いよ」と言って、連れてきてくれました。

今年の沖縄は記録的な寒さで普段と違ってお部屋の中には暖房機が用意されていました。

平年並みであれば、12月であってもお部屋の中に入ると暖かさがあり暖房機はいらないのですが今年は日本列島が記録的寒さに震えています。

補助的な暖房機だけですむぐらいが、沖縄の温かさと思います。

沖縄の家庭で過ごす大晦日お家にお呼ばれを頂きましたので、まずお家に入りましたら、奥様にご挨拶をいたしまして、それからご先祖様を祀る仏壇にご挨拶させていただきました。

 冨着勝弘さんの奥様もまもなく仲村盛勇さんのお宅にやってきました。

このように、沖縄のおうちでは、仏壇があるお家には、季節の行事があると次から次へと縁がある人が集まってきます。

沖縄の家庭で過ごす大晦日仲村盛勇さんは、松葉博雄とほぼ同じ頃、会社を興し、建設事業を始めたことが、話していてわかりました。

ビジネスを立ち上げるときのことや、会社を育てていくときの楽しかったことや、苦しかったことが共通の話題としてわかりあえ、とても楽しい会話となりました。

 

 

しばらく団欒の時間があり、おいしいお料理と、温かいおもてなしをいただいた後は、冨着勝弘さんが、車で次のお家の金城正則さん宅まで送ってくれました。

沖縄の家庭で過ごす大晦日金城さんのお家でも、お孫さんを連れてお子さんたちが一緒に大晦日を過ごすために集まってきています。ここでも家族が集まり大賑わいです。

 

仲村盛勇さん宅と同じように、金城さんのお家でも、沖縄のおやつであるから揚げ団子のサーターアンダギーの紅芋のが出ました。サーターアンダギーはお母さんの味です。それは各お家によって味が微妙に異なるからです。

沖縄の家庭で過ごす大晦日このサーターアンダギーの味の差を目隠しテストをして当てる事はなかなか難しいことですが毎日自分のお家の味を食べているとよそのお家との差がわかるそうです。

味の差は砂糖の味と揚げ物に使う油の差、温度などはすぐに気がつくことですが、この中に隠し味を使うことが味の差にもつながります。香りをつける為に使う香料もあります。

やはり料理は工夫と言うことになるのでしょうか。残念ながら、金城さん宅の美味しいサーターアンダギーの味をネットでお伝えすることは出来ませんが、とても美味しくいただきました。写真を見て、アツアツの香ばしい、紅イモの色の付いたサーターアンダギーを想像してください。

沖縄の家庭で過ごす大晦日 沖縄の家庭で過ごす大晦日

次に奥様の手料理が次々に出てきました。金城さんのお家のジーマミ豆腐は、松葉博雄と奥さんのリクエストでもあり、今夜もジーマミ豆腐をいただきました。

ビールを飲みながら、いただいたのはこの前兼久でとれた海ぶどう、タコ、イカなどの海の幸です。

デザートにはシークワサーのゼリーとフルーツにはパッションフルーツをいただきました。どれもとても美味しく、一つ一つ感心しながら賞味させていただきました。

沖縄の家庭で過ごす大晦日 沖縄の家庭で過ごす大晦日

金城さんのお孫さんたちが集まってきます。どこのお家も、特に沖縄では幼い子供が家の王様です。お孫さんたちの賑やかな声で家中が明るくなってきています。

冨着信常さんのヒゲ丁度その頃、冨着信常さんがやってきました。冨着さんは先日のクリスマスの時にはサンタクロースの役をしたそうです。

冨着さんがサンタクロースになります。そのためにサンタクロースらしくヒゲを伸ばして、幼い子供達にはもうすっかりサンタクロースと信じてもらえたそうです。

サンタクロースはいるのかいないのか、松葉博雄の幼い時にも、その子供の時代でも、サンタクロースがいるかいないかは引き続き話題になっています。

そんな時に、今夜は信常さんはいいこと言いましたねぇ。サンタクロースはいるかいないかが問題ではない、信常さんの考えは「心の中にサンタクロースはいる」と言いましたねぇ。

とってもいいことを言っています。「俺は明日を信じて前へ進む」とも言いました。素晴らしいと思います。

沖縄の家庭で過ごす大晦日 沖縄の家庭で過ごす大晦日

金城さんのお宅には、2人の息子さんがいて、2人ともとてもお父さんとお母さんを大切にしていることが、そばで見ていてよくわかります。


カウントダウンを警戒する警察恩納漁港の入り口のところで、沖縄県警が沢山のパトカーと警察バスを駐車して、年末の交通検問を行いました。

興味があったので、どんな様子か交通検問を見学に行きました。不思議なことがあります。どうやら沖縄県警の歳末交通検問は、予定が11時になっているようで、10時台では、1台も止めていません。

恩納漁港の国道58号線は、沖縄県警にとって見ると、交通検問をしやすい場所のようです。一直線に伸びた国道は、つい、アクセルを踏みたくなるような場所です。

沖縄県警にとってみると、ここなら駐機して、何台もパトカーやバスを停めるスペースがあり、スピード違反もありそうな、そんな絶好の場所のようです。もちろん、年末の飲酒運転の確認もあります。

花火を見るために集まった人々今夜は、ムーンビーチを中心としたマリンリゾートホテルでは、新年を迎えるカウントダウン花火がいくつかのホテルから打ち上げられます。

ラマダルネッサンスホテル、ムーンビーチホテル、サンマリーナホテルなどが打ち上げる花火が、しっかり見えるホテルのラウンジに行き、そこから海上に打ち上げられる大きな花火をすぐ近くで見ることになりました。

 

 

金城さんのおうちからは、金城さんご夫妻とご長男がカウントダウン花火を見るために、松葉博雄が泊まっているホテルに来られました。とても仲睦まじいご夫婦です。

年越し花火

花火が始まりました。真夏の花火は、夕暮れが始まり周りが暗くなる8時から始まりますが、カウントダウン花火は日付が変わる深夜の12時の、15分ぐらい前から始まりました。

真ん前と、右と左から、競争のように大きな大音響で花火の破裂する音が聞こえてきます。こんな贅沢な花火見物は、めったにあるものではありません。

どーんとなる花火は、今年の過ぎてゆく一年を忘れさせ、ドカーンと鳴る花火は、来年の新しい年を期待するような音に聞こえました。

年越し花火

次から次へと花火が上がります。沖縄のリゾートホテルの集まる恩納村での年越しはとっても賑やかです。

年越し花火 年越し花火

これで2005年が終わり、新たに2006年の始まりとなりました。 明日は、ニューイヤーゴルフ大会です。



沖縄県名護市辺野古地区から国道58号線を通って恩納村に帰ります 第72回沖縄訪問(6)

 

 

沖縄県名護市辺野古地区沖縄県名護市辺野古地区は、辺野古漁協を中心とした、海に面した住宅地と、浜から少し上に上がった丘にある小高い住宅地の二つの集落があります。

二つの集落には、なんとなく地域の特色が見えました。海岸近くの集落には、中庭もあり、家の前で作業をするためのスペースがあり、亜熱帯の植物などが家からのぞいています。

一方、丘の上の集落はダウンタウンのようで、自宅でお店をしているお家がたくさんありました。それぞれが辺野古地区を形成しています。

辺野古地区の二つの集落のすぐ近くには、国道329号線に面して、米軍キャンプシュワブの基地がありました。

鉄条網に囲まれ、外から見える文字は英語で、その中は日本の主権が及ばないアメリカ合衆国の一つの街のようです。

キャンプシュワブの基地 キャンプシュワブの基地

中村そば辺野古地区から恩納村に帰る国道58号線を走っている時、仲村ソバがありました。仲村ソバはとても有名なので、お昼ごはんを食べるために、ここに入ることにします。

松葉博雄が選んだのは、ソーキソバで、ジューシーご飯のセットです。セットでご飯が付いて600円です。奥さんはソバ単品です。

入り口から入ると、すぐに食券のための自動販売機が置いてあり、ここで何を食べるかを決めて、食券を買います。

このような自動販売機による食券販売方式は、神戸では少ないと思いますが、ここ沖縄では特に沖縄ソバのお店では、自動販売機による食券販売のお店が比較的多くあります。

なかむらそば なかむらそば

食べた後は国道58号線を通ってホテルに戻ります。大浦湾に面している辺野古岬から、329号線を通り沖縄本島を横断するルートで、名護湾に面した世富慶に出ます。

世富慶からは、国道58号線を南に向かって走ります。この名護から恩納村に向かう国道58号線は、海岸線に沿って走るので、那覇に向かって右手には東シナ海が続きます。

天気が良ければ、沖縄の青い海がついつい視線を引き付けてしまい、危ないところで対向車とごっつんこすることもあるようです。とても景色が良いので、まっすぐ見ているほうが難しいほど、右手の海が気になります。

許田インターチェンジから一般道に入ってくる車との合流するところは、気をつけないと接触事故が起きそうです。喜瀬ビーチを過ぎると、沖縄サミットがあった万国津梁館がブセナ岬から少しだけの間、チラッと見えます。

さらにかりゆしビーチ、いんぶビーチを経由すると、ユニマットが大京に代わって経営するゴルフ場の前を通ります。ユニマットは沖縄開発に熱心で、各地で環境問題に関わる自然開発をおこなっています。(西表島の未来を考える、ユニマット社製品不買運動、西表の自然を愛する会)

南恩納村の瀬良垣には国道に面した御菓子御殿があります。御菓子御殿には、観光バスが立ち寄り、沖縄観光客が団体で沖縄お土産を買っていきます。

御菓子御殿の中に入ると、沖縄の紅芋まんじゅうの製造工程がガラス越しに見ることができます。お菓子御殿の値打ちは、屋上のテラスから見る名護湾のマリンビューです。あいにく今日は雨のため、お菓子御殿に寄って、名護湾をテラスで見ることはパスしました。


朝日会に寄ってみました。今は誰もいません。

今日は大晦日なので何か料理を作るのかなぁと思います。昨日獲った巻貝は鍋に入れて煮ていました。これから一つ一つ取り出すのでしょうか。

巻貝から貝の身を一つ一つほじくり出すのは、とっても根気の要る、時間のかかる作業です。

巻貝のほかにも、大きな鍋に入っていた菜っ葉がたくさん並んでいました。これは昨日、すき焼きをするという話でした。

巻貝 菜っ葉

朝日会には誰もいなかったので、金城正則さんのところと、富着信常さんのところにお歳暮を届けに行ってみましたが、あいにくお二人とも不在でした。

沖縄では12月31日に、お世話になった方にお歳暮を配る風習があります。

お世話になった方の家そのときにご先祖様の仏壇に手を合わせて感謝をすることになっています。従って、親戚縁者が多い方は大変です。

一軒一軒回って、特に本家で仏壇を祀っている方にはたくさんのお参りが来ます。

金城さんのお家に行って、奥様がちょうどいらっしゃいましたので渡してきました。

姫路の方の牛尾地区で採ったとても美味しいお米です。金城さんのお家では、コナコーヒーをご馳走になりました。それからジーマミ豆腐もご馳走になりました。


大晦日の朝日会その後、朝日会に行きました。今日は年末ということで、皆さん集まっています。

朝日会のメンバーは、皆さん、それぞれ一家の主で、きっとおうちではお正月を控え、あれやこれや仕事のことや、家庭のことについて、采配する立場にあると思います。

それが、朝日会にはかなり忙しいときにも、万難を排して集まってくる、このロイヤルティには感心します。

ハリセンボン今日、冨着信常さんは、船を出してハリセンボンをたくさん獲ってきたので、ハリセンボンのおつゆになりそうです。

ハリセンボンというのはフグですが、威嚇した状態になると、全身に棘のある針が総立ちになり、外敵を威嚇します。

その姿が、針が体に千本も立っているように見えるので、ハリセンボンといいます。


饒波(のうは)さんは、自分の家の畑から採ってきた大根を持ってきています。大根とお豆腐とネギと春菊、それからお魚を煮込んだ料理です。

大根にすじを沢山いれて、それから斜めに切っていきます。そうすると大根の細切りが出来ます。これは崎浜さんが中国に行って見てきたやり方です。

大根 調理風景

それからもう一つ、サーターアンダギーは崎浜さんのお家で作ったものです。

家によって作り方が違います。練り具合と、油の調整、温度の調整、甘いのは砂糖で、あとは香料を入れるとか色々違います。水の具合によって味が変わってきます。

サーターアンダギー 沖縄恩納村 朝日会

朝日会では、船を出して海から獲ってきた魚や貝などの海産物、養殖している海産物、お家で作った料理、頂いたお土産のおすそ分け、お店に行って買ってきたものなど、食材を持ち寄ってその日その日の献立が変わってきます。決して給食のような計画的なレシピがあるわけではありません。その意外性が楽しいのです。

このあと、松葉博雄と奥さんは、年末の大晦日の沖縄のお家にご招待を受けています。どんな年末の過ごし方が各家庭であるのでしょうか。



海上ヘリ基地建設反対運動に揺らぐ名護市辺野古地区 第72回沖縄訪問(5)

2005年12月31日、今日は大晦日となりました。とうとう今年も、今日で終わりです。思えば沢山のことがこの1年間にありました。これを全部整理しても書ききれないので、そのことはいったん置いておいて、今年最後の有意義な行動として、今、沖縄が苦しんでいる基地の問題について、少しでも理解しようと、海上ヘリ基地建設の反対運動に燃える名護市辺野古地区に行ってみました。

朝、8時起床すると、外を見れば大変強い風が吹いています。雨脚も強く、辺野古へ行くには、よい天候ではありません。

一般に沖縄では、大晦日の日には、これまでお世話になった方や、一門の中で仏壇を受け継いでいる本家にお参りに行き、お歳暮を配る日になっています。

名護市の辺野古地区に行く前に、私もお土産のお歳暮を、お世話になった方に配っていく予定にしています。さて、まず車を朝日会に置いているので、雨の中とりに行きます。

海ブドウの栽培所 海ブドウの栽培所

海ブドウの栽培所朝日会に来てみましたが、雨の中、誰もいません。隣の小屋では、この大晦日もこれからダイビングをするのか、何人かの若い人たちが来て、ダイビングの船を出航させる準備をしています。

今日の天候で沖に出ると、波は荒れて、海底の砂は舞い上がり、海中の透明度はきっと濁って悪いはずです。船に上がって風に当たれば、いくらウェットスーツを着ていても、肌は冷えて寒いはずです。

海ブドウの栽培所恩納漁港の港内には、もずくと海ブドウの栽培所がハウスの中にあります。

国や県の指導と補助を受けて、地域の漁業の振興を図るために、雇用の拡大を図るために、高齢化社会になっても陸で海の仕事ができるように、多目的な理由があり、養殖栽培の仕事に取り組んでいます。

ハウスの中に入ってみると、外より暖かい空気を感じます。一見、魚の養殖のように生け簀がたくさんあります。


海ブドウの栽培所 海ブドウの栽培所

海ブドウの栽培所魚の生け簀と思って見てみると、ほとんどが海ブドウの生け簀です。

海ブドウの栽培所では、上間光元さんが海ブドウの選別の仕事をしていました。

この道すでに15年だそうです。最初は水産庁の指導を受けてやっていたそうです。

この辺りでは三箇所、前田村、前兼久、恩納村で、およそ100人の方が、海ブドウの栽培に取り組んでいます。

 見ていると、大変な作業です。海ブドウの育ち具合によっては、水槽を入れ替えて、水流を加えて、海ブドウが生け簀の中で対流を利用した、海の潮の流れを再現したような環境を作り、絶えず海ブドウが流れているような仕組みにしていました。


辺野古 ヘリ基地反対協議会海ブドウの栽培ハウスを見た後は、雨の中を名護市の辺野古岬に行くことにしました。

ここは今、アメリカ軍が辺野古沖の代わりに、新しい基地をキャンプシュワブ(Camp Schwab)に作ろうとしているところです。

名護市の辺野古地区に座り込みをして長期的な反対運動をしている地元の人達がいることを知り、沖縄のジュゴンの育つ美しい海を守ろうという気持ちに賛成し、応援のために反対運動の励ましに行きました。

辺野古 ヘリ基地反対協議会着いたは11時過ぎたころです。あいにくの強い雨で、辺野古地区の漁港には人影はなく、座り込みをしているテントにも人影は見えません。これから行ってみます。

もし天気がよくて、大晦日でなければ、もっと沢山の人がテントの中に集まっているはずです。

誰もいないのでテントの中に入り、奥の方へ入っていくと、一人だけ男性の方が留守を守っていました。


辺野古 ヘリ基地反対協議会「いらっしゃい」と声をかけてくれました。

このテントには必ず1人誰かが残っているようです。今日留守番をしていた方に、神戸から来たことと、何か支援をしたいという気持ちを話しましたら、喜んで下さいました。

「どうぞ、この辺野古地区で起きていることや、海上ヘリ基地建設反対の住民の行動を、どんどん神戸から発信してください」と、励まされました

辺野古 ヘリ基地反対協議会海上基地建設の阻止の開始から、今日で2639日、8年かけているそうです。座り込みが始まって622日です。

パネル写真を見ながら、状況の説明をしてくれたのは、辺野古地区の岬、ここのすぐ左、写真に向かって左側にジュゴンの藻場があるそうです。

このジュゴンが入っていくところに深みがあって、そこから入って、ジュゴンは藻を食べるそうです。

それが今回の海上基地ですっかり駄目になるということです。

辺野古 ヘリ基地反対協議会現在では一日100人くらいの支援者が全国から駆けつけ、バスで寄ってくださることもあるそうです。

もちろん、地元の住民の方も交代で座り込みを続けていらっしゃいます。 監視を続けていなければ、基地建設推進側の人達が突然工事に関わる行動に移ることもあるそうなので、一日たりとも油断無く、24時間続けて監視体制を続けているそうです。

神戸にいてはわからなかった反対運動のご苦労が辺野古地区に来て、ひしひしと伝わってきました。

あのジュゴンが生息できる地域は世界でも、もうわずかな地域しか残っていません。それが沖縄の名護市辺野古地区の沿岸部に、ジュゴンの藻場があるのですから、それだけここの自然環境が素晴らしいことを示しています。

この自然環境を壊すことは、結局は地元住民にも、沖縄県民にも、日本国民にも、世界人類全体にも、なんらかの悪循環が起きる恐れがあります。

辺野古 ヘリ基地反対協議会 辺野古 ヘリ基地反対協議会

案内して下さった方が色々な反対運動に関わるお話を聞かせてくださいました。

辺野古 ヘリ基地反対協議会自然環境保護だけではなく、地元住民の生活環境が変わり、基地からは毎日ヘリが飛び立ち、日夜爆音をまき散らし、住宅地を飛び交うことになります。

宜野湾市普天間基地の米軍ヘリが、沖縄国際大学構内に墜落・炎上した例もありました。住民の皆さんが不安がるのも当然のことです。

松葉博雄の支援といっても何も出来ませんが、この反対運動をやってらっしゃる総まとめの本を出版しているということで、この本を2000円で買って寄付に代えさせていただきました。

本の名前は、「辺野古アクション」といい、写真と文章でわかりやすくこれまでの行動の要約を紹介しています。
  反対運動のためには、この「辺野古アクション」を紹介してもいいですよと、了解をいただきましたので、一部を読者の皆さんに紹介いたします。

辺野古 ヘリ基地反対協議会 辺野古 ヘリ基地反対協議会

辺野古 ヘリ基地反対協議会 辺野古 ヘリ基地反対協議会

辺野古 ヘリ基地反対協議会辺野古 ヘリ基地反対協議会

2005年12月31日の大晦日の日、辺野古岬には雨のせいか人影もなく、車から降りて浜辺を歩き、アメリカ軍が計画している辺野古岬沖が見える高台から付近の様子を見回せば、本当に美しい沖縄の自然が見えました。

これは、次世代にも、そのまた将来にも残すべき自然だと思います。

この後は、この近くの村を通って恩納村に帰ります。



沖縄恩納村の朝日会では、タコの雄雌の見分け方、おいしい海ブドウ、泡盛についてお話しが弾みました 第72回沖縄訪問(4)

恩納漁港に帰ってきて、捕ってきた魚や貝やタコを水揚げします。大漁の時の水揚げは何とも誇らしい気持ちになります。

沖縄恩納村の恩納漁港 沖縄恩納村の恩納漁港

沖縄恩納村の恩納漁港奥さんは私が船に乗って沖に出ていた時は、今日は金城正則さんの奥さんと、買い物をしているお店でバッタリ出会わせたので、ご一緒に買い物をしたそうです。

沖縄の子供たちは、お母さんの買い物を手伝いにいき、重いものは子供が持つというような親孝行なところを見せてもらいました。

子供といってももうすっかり成人して30過ぎというところですけれど、それでもまだ、お母さんを大事にするという風習が残っているようです。これには奥さんもいたく感心し、是非うちの子も伝えたいと言っていました。

沖縄恩納村の恩納漁港朝日会の皆さんが、獲った魚の料理を始めました。

朝日会の皆さんの様子を見ていると、獲った魚は船に乗っていた人だけで分けるのではなく、今来ている人にも分けて、家に持って帰ってもらっています。

主婦にとって、魚のウロコをとり、内蔵を取り出すと、台所がとっても汚れて臭くなってきます。そこで、家に持ち帰る前に、魚の下処理をして、家ではすぐにお料理にとりかかれるような、奥さんが助かるようなことをしています。

私は、いったんホテルに戻って一眠りをしたあと、7時を過ぎた辺りで、もう一度朝日会に出かけていきます。

沖縄恩納村の恩納漁港タコについて、面白い話しを聞きました。タコの雄と雌の見分け方です。普段何気なく食べているタコにも、当然ですが雄と雌があるのです。さて皆さん、タコの雄雌はどこで見分けるのでしょうか。

その前にタコの頭はどこだと思いますか。一般的には、タコの絵を思い出してみると、タコの頭は、タコの頂上部分で、ここに鉢巻きを巻いている絵を思い出します。

 ところが、頭と思っている場所は、実はお腹なのです。本来のタコの頭は、足とお腹の中間部分にあります。その辺りには、目もあり、口もあります。

それでは、雄・雌はどうなるのでしょうか。何か変わったものが付いているのが雄だと思いますか?

沖縄恩納村の恩納漁港正解は、タコの足にあるのです。

8本の足を比べてみてください。8本の足の太さがほとんど同じようなタコと、1本だけ足が太くなっているタコが見分けられます。

雄の足は内一本が交接器なので、その足には吸盤がないのだそうです。更に、吸盤が大きく不揃いなのが雄、整然と並んでいるのが雌なんです。写真の右側の足が他の足に比べてはっきりと太いことがわかると思います。それでこのタコは雄ということがわかります。

沖縄恩納村の恩納漁港上間光元さんのお仕事はタコ獲りだけでなく、海ブドウの栽培もしているそうです。

今日はその海ブドウを食べさせていただいています。海ブドウは、プチプチという感触が楽しいので、内地でも人気があります。

しかし、生のプチプチ感を損なわずに長期間の保存することが難しいため、流通が簡単ではありません。

入手するのが難しいので、神戸ではなかなか食べることができないのです。 海ブドウをいただくと、知らない人は、とりあえず冷蔵庫に入れてしまいます。ところが、海ブドウを冷蔵庫に入れると逆効果で、寒さで海ブドウは弱ってしまい、食べられなくなります。

沖縄恩納村の恩納漁港 沖縄恩納村の恩納漁港

沖縄恩納村の恩納漁港

今日乗せていただいた上間光元さんの船の名前は「明光丸」です。

名前の由来は、「明」は奥さんの「明子」、「光」は光元さんの「光」で、名前を合成してつけたので、夫婦丸と呼ばれています。

それで思い出したのですが、かまぼこを作っている会社に「紀文」があります。これは、ご主人が始めていた果物屋の屋号「紀伊國屋」の「紀」と、奥様の「文子」さんの「文」の一文字ずつを合わせて作った会社の名前です。そこで、紀文も夫婦会社といえるのでしょう。

沖縄恩納村の恩納漁港上間光元さんの話を聞いていると、彼は子供の教育に熱心で二人の子供を学校の先生にしています。

3人のうち、2人の子供を本土の大学に進学させています。沖縄から本土に進学することは、大変な親としての負担があったと思います。

子供たちに教育をするということが目標でした。上間光元さんのお若い時は、沖縄から本土の大手建設会社に就職したそうです。

少しずつ朝日会に溶け込んでくると、やはり関心は人間になります。人の歴史は、その人がたどってきた人生模様であり、特に何に関心が強いかによって、話しの話題が膨らんできます。

最初は、ビールから始まり、そのうち泡盛になり、それもどんどん飲んでるうちに、また今夜も頭が良い気持ちになり、足下はフラフラして、車を置いて歩いて帰ることになりました。ご馳走様でした。



【水中写真】沖縄恩納村の海で、海人(うみんちゅ)の大ダコ獲りの名人芸を見る 第72回沖縄訪問(3)

 

 

【水中写真】沖縄恩納村の海第3話は、松葉博雄が沖縄の前兼久の海の中で撮った写真のご紹介です。

沖縄は暖かいのですが、それは太陽が出て晴れているときなら、12月でも暖かいのですが、雲が厚く垂れ込め、陽が差していない12月の海は、裸で泳ぐには寒すぎるし、ウェットスーツを着ていても、水はどこからか必ず入ってくるので、寒い感じは避けられません。

神戸商科大学(兵庫県立大学)水泳部の練習は、4月の終わり頃から野外プールで練習が始まります。

この野外プールの水温の方が、12月の沖縄の海よりも寒く感じます。

【水中写真】沖縄恩納村の海今日の海での目的は、上間光元さんは専門のタコ獲りで、金城正則さんと石川さんは、貝獲りです。

松葉博雄は何をするのかと言えば、3人の活躍をホームページで読者の皆様にお伝えする報道班の役割です。

水深は4m程度でした。腰に重石の鉛のベルトを巻いて、金城さんはアクアラングを背負い、獲物を入れる網を左手に持ち、珊瑚礁のかけらとそっくりの貝を探して、海底すれすれをくまなく探して周ります。

 アクアラングで貝獲りをするのは、レジャーであれば禁止されています。それは、漁業権を犯すからです。ですから、漁業組合員でない人は、アクアラングを使って貝獲りや魚獲りは許されません。

【水中写真】沖縄恩納村の海 恩納村のほんの10年か20年前の海を知っている人は、珊瑚礁の内側のリーフには、色鮮やかなたくさんの珊瑚が生い茂り、その珊瑚の隙間にはたくさんのカラフルな熱帯海水魚が湧くように泳いでいたことを知っています。


 

【水中写真】沖縄恩納村の海

貝も、床に貝殻を敷き詰めたぐらいぎっしりと棲んでいたようです。

今、松葉博雄の目の前にある恩納村の珊瑚礁のリーフは、目を覆いたくなるような、珊瑚礁の墓場です。


【水中写真】沖縄恩納村の海

珊瑚は、砕かれているものもあり、あたかも、人の骨のように白く見えます。

テーブルの形のまま残っている珊瑚は、黒ずんで、もはやかっての色鮮やかな原色はありません。

珊瑚が死滅すれば、花と蝶のように、小魚は見当たりません。小魚がいなければ、それを狙った中魚や大きな魚は見当たりません。

これは、食物連鎖の構図そのものです。

どこかに希望はないかと松葉博雄は魚を獲るよりも、珊瑚の生態を場所を変えながら泳いで探し続けました。そうすると、わずかながらも、希望の灯火が見えました。

【水中写真】沖縄恩納村の海左はシャコ貝が岩について、貝を開いて、水中からエサを摂取している様子です。もし、人が、外敵がこのシャコ貝に近づくと、シャコ貝はすぐに開いている貝を閉じて、しっかりと硬い防御体制に入ります。


【水中写真】沖縄恩納村の海右の方は、新しい珊瑚の命の芽生えです。

触ってみると、柔らかいゴムのような弾力のある感覚を感じました。

この珊瑚がまた次の珊瑚の卵を満月の夜に放卵して、いつか、以前の珊瑚礁の輝く沖縄の海を回復させて欲しいものです。


【水中写真】沖縄恩納村の海 【水中写真】沖縄恩納村の海

沖縄は、戦後しばらくはアメリカの統治下に置かれ、琉球政府の下で本土との交流が制限された時代がありましたが、1972年5月15日に沖縄県は日本国に復帰しました。

この後、沖縄開発庁が置かれ、沖縄を本土並みに開発していきましたが、主に道路や観光資源の開発を通して、掘り返した赤土が雨に流されて珊瑚礁に流れ込み、珊瑚に甚大な被害を起こしてしまいました。

この他にも地球温暖化現象による、珊瑚の白化現象や、オニヒトデの異常繁殖による珊瑚の被害がありました。いずれにしても、一度傷ついた珊瑚礁は、その再生には長い時間がかかります。

暗澹たる思いで、万座ビーチ沖の珊瑚礁を調査しているとき、若い新しい珊瑚の息吹を見つけて大変嬉しくなりました。この次に来たときは、もっともっと珊瑚が増えていることを祈っています。

【水中写真】沖縄恩納村の海今日のハイライトは、上間光元さんのタコ獲り漁です。

松葉博雄が見過ごすような岩と岩の隙間に顔を覗き込み、タコが隠れているところを見つけ、とうとう今日一番の獲物である大きなタコを見つけました。

タコは逃げようと、引きずり出されないようにと、全身の力を込めて吸盤を使って、岩にしがみついて、ちょっとやそっとの力では引き出せませんでした。

これを、金城正則さんが応援に駆けつけ、二人の力で大きなタコを捕獲しました。獲れたタコの大きさは1m以上の大物でした。前頁の写真をごらんください。

【水中写真】沖縄恩納村の海このように、あちらこちらに船の場所を変え、その都度碇を下ろし、朝からお昼過ぎまで5時間くらい、本土では味わえない12月の厳寒の時期に珊瑚礁の海で泳ぐことができました。

そろそろ、帰り支度をする時間がきました。

沖縄の海で楽しい時間をすごせましたが、一つ残念なのは、ずっと曇っていて、肌寒い寒さを感じるような悪天候だったことです。

いつもいいことばかりとは限りません。獲れた獲物を船に積んで、恩納漁港にこれから帰ります。上間さん、金城さん、石川さん、連れてきていただいてありがとうございました。



沖縄恩納村の海に潜って魚捕り 第72回沖縄訪問(2)


沖縄恩納村の恩納漁港2005年12月30日、今日は、昨日と比べるといい天気になりました。

船でムーンビーチ沖に出て、海に潜って魚捕りに行くことになります。


恩納漁港に行くと、冨着信常さん達がアクアラングの道具を準備して待ってくれていました。酸素ボンベは4本積んでいます。それにスーツ一式が用意されていました。

沖縄恩納村の恩納漁港
沖縄恩納村の恩納漁港

私も着替えました。12月というのに、さすが沖縄の気温は神戸とは違います。

上着を脱いで裸になっても、太陽が出ていれば寒さは感じません。これが沖縄のよいところです。だからこそ、内地の方からツバメが飛んでくるように、寒い頃には沖縄には人が集まってきます。

沖縄恩納村の恩納漁港
沖縄恩納村の恩納漁港

準備が整って、恩納漁港を出港します。

沖縄恩納村の恩納漁港 沖縄恩納村の恩納漁港

沖縄恩納村の恩納漁港船で陸地に沿って恩納村から名護の方向に行くと、万座ビーチや瀬良垣ビーチの辺りまでやってきました。

ちょうどヤシガニ会の古荘さんのお店の向かいの辺りでしょうか。この辺りは、今、沖縄県が計画をしている科学技術大学院が出来る辺りの沖合いです。

ここで金城さんはアクアラングの潜水を用意して、貝を獲りに行きました。松葉は後ろから付いて様子を見て、写真に収めました。

船の上から海だけを見れば、澄んだ水に素晴らしい珊瑚礁がその下に広がっているようにイメージしますが、実際に海に入って見てみると、珊瑚の海はほとんど死滅して、珊瑚の残骸がたくさん残っています。

人に踏まれたのでしょうか、オニヒトデに犯されたのでしょうか、海水温度の上昇により珊瑚の白化現象のせいなのでしょうか、陸地から流れ込む赤土や生活排水のせいでしょうか、珊瑚は何も語ってくれません。しかし、無惨な珊瑚の死骸は、辺り一面に広がっています。

沖縄恩納村の恩納漁港 沖縄恩納村の恩納漁港

沖縄恩納村の恩納漁港もう1人の石川さんはシュノーケリングです。

2人の後について、松葉博雄も潜ってあっちこっちを見て回りました。途中で珍しくイソギンチャクが見つかり、そのイソギンチャクの近くには、ちゃんとクマノミがいることを見つけました。

かなり経った頃、上間光元さんが岩の隙間に隠れているタコを見つけて格闘している所に行きました。かなり大物のようで、金城さんも応援に来ました。

金城さんに私の鉛の重しのベルトを貸して、金城さんもタコを岩から引きずり出すことに力を貸してもらいました。

タコは必死の抵抗で墨を海中に吹いています。 岩の隙間に隠れ、槍で突かれたものの、吸盤をしっかりと周りの岩に吸着させ、負けてたまるかと最後の抵抗をしています。

繰り返し繰り返しひっぱり続けているうちに、タコは墨を吐いて逃げようとし、一瞬、岩に捕まっていた吸盤を離した瞬間に、2人の海人(うみんちゅ)にあっけなく捕まってしまいました。

船にあげて、大きさを確かめてみれば、1mもあるようなかなり大きなタコでした。


沖縄恩納村の恩納漁港場所を変えて漁をしています。少しずつ恩納漁港のところへ戻ってきます。今、潜っているのはリザンシーパーク茶谷(ちゃたん)ベイホテルのすぐ沖の辺りです。

 


沖縄恩納村の恩納漁港

潜って魚や貝を捕る時は、腰につけた網に獲物を入れていますが、この網袋も次第にふくらんで重くなってくると、その都度、船に戻るのも大変なので、獲物を入れる小さな小船を体に引き、それに獲物と貝を入れておきます。

こうすると、相当な獲物があっても、船に戻らなくても獲物を体から離すことができます。


上間光元さんが獲ってきたシャコ貝を船の上でさばいてくれました。シャコ貝のおいしい部分は貝柱です。それを海水で洗い、塩水を味つけにして貝柱をいただきました。

沖縄恩納村の恩納漁港 沖縄恩納村の恩納漁港

沖縄恩納村の恩納漁港甘味があって美味しいですね〜。縁側の辺りも美味しいです。

このシャコ貝は、人が近づくと閉じてしまいますが、紫色やらキレイな色で貝を開けている時の様子はとてもキレイです。

どうして七色に変わるのか。見ていると確かに変わっていきます。生きているように変わってきています。

特別の味があります。貝柱も縁側も美味しいです。


沖縄恩納村の恩納漁港 夏は上間光元さんのタコ捕りは、リーフの外に出るそうです。リーフの外に出る方がタコを獲りやすそうです。

 さて、サンマリーナの沖に移動して、今度は網を使って追い込み漁です。3人で網を持って追い込みをしています。

残念ながら松葉博雄は服を着替えてしまって参戦できません。


沖縄恩納村の恩納漁港 10分くらいかけておこなった追い込み漁でしたが、かなり魚が獲れています。まず網を上げて一つ一つの魚を網から取り出していきます。

ムーンビーチとサンマリーナの間くらいの珊瑚礁の浅瀬に入ります。

ところどころ深いクレバスのような切れ目があるところに、追い込みながら網をつけていきます。3人でまた入っていきます。

金城さんはもう寒いといってちょっともう寒そうでした。

沖縄恩納村の恩納漁港 沖縄恩納村の恩納漁港

船で一緒の人は、石川さんで、建設会社の社長をしておられるそうです。今日が会社の忘年会ということで、陸に上がると大急ぎで忘年会に出席するために帰られました。

沖縄恩納村の恩納漁港 沖縄恩納村の恩納漁港

次回は、水中で撮影した写真をご覧いただきます。

 

浦添総合病院に知人を訪ねて行きました第72回沖縄訪問(1)


伊丹空港2005年12月29日、沖縄行きの旅行の始めの日です。

朝、神戸三宮のリムジンバスに乗り、大阪伊丹空港に9:30に着きました。伊丹空港のロビーには門松が飾られていました。もうすっかりお正月気分です。


伊丹空港JALの10:15発便です。大阪はとてもいい天気でした。しかし、天気予報を見ると、沖縄の天気は雨のようで、とても残念です。


那覇空港 那覇空港に着くと、天気予報どおり、外は雨です。

いくら南国といっても、12月の雨の日の沖縄那覇空港の気温は、暖かいとは言えない、少し寒いぐらいの気温でした。

どこに最初行こうかと考えて、恩納村前兼久に行く途中にある浦添総合病院に向かいました。


浦添総合病院へ行く理由は、長女の大学時代の友達がここの救急で、内科医として働いているからです。

浦添総合病院
浦添総合病院

アヤさんと久しぶりにお会いしました。アヤさんは医療現場での仕事があるので、ご挨拶をするだけになりました。久しぶりにお会いしましたが、お元気そうなので安心しました。

浦添総合病院 アヤさんにこの近くでどこかお昼を食べたいのでおいしいお店を紹介してもらうことにしました。

雨の降る中で、傘も差さないで濡れながら、アヤさんが道案内してくれました。お薦めの店は、病院の近くにある高江洲そばでした。

アヤさんは仕事があるので、一緒には食事ができなくて残念でした。お医者さんは大変だなぁと思います。

高江洲そば 高江洲そば

ここのお薦めは、湯し豆腐とソーキソバで、これを食べました。湯し豆腐は、お豆腐を砕いたような形がお椀に入っています。

高江洲そば 高江洲そば

高江洲そばはとても美味しかったです。沖縄ソバで有名なのは、中村ソバとそれから本部の岸本ソバですが、どちらにも負けないほどの味でした。

高江洲そば 高江洲そば

恩納村・国道58号線 恩納村に向かう道は、国道58号線に入るまでは宜野湾を通る海岸沿いの道を通ります。

コンベンションセンターを左に見て、この後58号線に出ることになります。


恩納村「おんなの駅」

恩納村に入ってきました。「おんなの駅」に入ってコーヒーを飲みます。

2Fのパンとコーヒーの店でゆっくりコーヒーを飲みます。ジャズの音楽を聴きながら恩納村の海を見ています。あいにくの雨で曇り空です。


恩納村「おんなの駅」 恩納村「おんなの駅」

「おんなの駅」で一休みしてから、恩納漁港にある朝日会のテントに行ってみましたが、誰も居ませんでした。そこで前兼久の町をぐるっと回って、登川先生の所へ行きましたが、もう年末の仕事納めで人がいないようです。

次に冨着信常さんのところへ行きました。お家にあがり、お茶をいただきました。お孫さん二人が、冬休みになっているので、おじいちゃん、おばあちゃんのところに泊まりに来ています。

2人の姉妹は、普段と違って楽しいのか、大変はしゃいで賑やかにしてくれました。


沖縄恩納村「朝日会」 夜になって、朝日会に行きました。

 冨着信常さんはもずくを作っています。このもずくが本土の人たちに安い値段で食べられるように願っています。

しかし、実際はこのもずくは、流通によって付加価値を付けられて、沖縄の恩納村のもずくセンターから出荷されたときよりはるかに高い値段に本土では変わってしまいます。

一般にもずくの流通に関しては、国、県、漁業組合、この3つによってそれぞれもずくに対する意識は違ってきます。もずくを沖縄で栽培することは、国の漁業政策によって立案され、その初期投資の8割の援助がされています。

沖縄恩納村「朝日会」 しかし実際にこの地域の経済を仕切っているのは実は漁業組合です。漁業組合によって、何人もの生産者が作ったもずくが一箇所にまとめられ、ブレンドされ、実際の生産者の名前が消えてしまいます。

手塩にかけて作った自信作であるもずくは、できるものなら自分の名前を付けたもずくを直接消費地で売れたらいいなぁと思っていても、結局は流通に乗ると、自分が作ったブランドは一般名詞に変えられてしまいます。


沖縄恩納村「朝日会」 今夜の朝日会の話の中で、明日は松葉博雄は朝日会の皆さんと船に乗り、ムーンビーチ沖の海に潜りに連れて行ってもらえることになりました。

この時期、寒くないのか気になりましたが、ウェットスーツもあるようで、遠足の前の子供のように嬉しくなりました。