完璧な夕日:完璧な夕日とは、遮られることのない夕日です。
完璧な夕日が、恩納村の東シナ海に現れるでしょうか?第130回沖縄訪問(11)
完璧な夕日を見たいなと思います。完璧な夕日は、遮られることのない夕日です。完璧な夕日を求めるのは、心の有り様が完璧でないからでしょうか?
片山正喜さんと食事をした後、ホテルに戻って一服し、朝日会に行きます。
祭りの後で、宴の後で、残るのは、淋しい気持ちでしょうか?充実した気持ちでしょうか?たくさんの人が集まって、楽しい宴になれば、その後は、空気が抜けたボールのように、虚無感があるかもしれません。
恩納村前兼久では、地域の大きなイベントである前兼久ハーリーが終わると、一つの大きな宴が終わった充実感と、会場の後に残る漁港の寂しさが、参加した人たちの気持ちに、足し算と引き算をして、充実感のある人と、寂寞感のある人に現れています。
朝日会で皆さんが飲んでいる間、港の灯台の所へいって、夕日を見ています。
夕日は雲にかくれて、全部見ることはできませんでした。前兼久漁港から東シナ海に沈む夕日を、見ていて、雲のない水平線に沈む、太陽だけが裸になるような、完璧な夕日が見られることは滅多にありません。何かが、完璧な夕日を、邪魔しているのです。
完璧な夕日と言えば、イメージはこんな感じです。
東シナ海の海には、絶え間なく水蒸気が蒸発して、海上から上がってきて雲となり、完璧な夕日を隠しているのです。完璧な夕日が、見られませんでした。
まぁこれは仕方がないとして、ビールを一缶飲んだ後、金城正則さんと金城家へ行き、クレアちゃんにお土産を渡します。
この後、金城正則さんと将棋です。ゆっくりと将棋して、一時間くらいかけて、攻防戦を続けても、結局は今日も負けてしまいました。
9時半を過ぎて、ホテルに帰ります。 ホテルに帰って、本を読みます。沖縄に来て、本を読むくらいなら、神戸でも本は読めるし、わざわざ飛行機を使って沖縄に来る必要があるのでしょうか?
このように、問われると、実はあると思います。何度か本を読んでいるうちに、場所を変えて本を読むことによって、本の内容の理解が、変わってくることが分かりました。
本を読んだ後に簡単なメモをつけておき、それを二度目に読むときに読み返してみると、前回の読書感想と違った読書感想があることがわかりました。本を読むことは、ただストーリーを追いかけるだけではなく、読み手の問題意識が、ストーリーを理解する上で、読む度に変わってくるのです。
明日は神戸へ帰る日なので、最後の沖縄の夜をゆっくりと過ごすことにしました。