沖縄 第二尚王朝を築いた、伊是名島の百姓 金丸 410年続く、第二尚王朝の開祖となりました。

沖縄 第二尚王朝を築いた、伊是名島の百姓 金丸 伊是名島の百姓金丸は、410年続く、第二尚王朝の開祖となりました。第127回沖縄訪問(21)

銘苅家住宅で、

およそ100年前の沖縄の住宅を見た後は、

伊是名ビーチにまた来ました。

今日は、どんよりとしたお天気で、

サンゴのリーフの砂浜は輝いていません。

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ロケマップは、古い桟橋ナンバー5です。

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伊是名ビーチには、松林が続き、

林の緑地には今を盛りに菜の花が咲いています。

まるでこの世の極楽のような、

あの世の涅槃のような穏やかな風景なので、

片山正喜さんは、松葉さんの

あの時用の写真を撮ってあげると言って、

松葉博雄のカメラで

入滅を感じさせるような写真を撮ってくれました。

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なるほど確かに、

菜の花の絨毯の上に座り静かに黙想をしていると、

穏やかな心落ち着く場所でした。

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都会の喧噪はまったくありません。

島の人の生活の音も聞こえません。

音があると言えば音があり、

音がないと言えば音がありません。

禅問答で言う

「無人の地に立木が倒れたとき、倒れた音は聞こえるか」

と言う公案を思いだします。

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伊是名ビーチの浜辺で、

片山正喜さんと少し雑談です。

2人とも気になっていることは、

伊是名島から脱出した百姓の金丸は、

その後どのようにして、

琉球王朝を建てたのか?

なぜ尚氏の名前に変わったのか?と言うことです。

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片山正喜さんと、

伊是名ビーチに散らばっている珊瑚のかけらを集めて、

金丸が、仲間もお金もないのに、

伊是名島から対岸の本島に渡って、

どうやって上手くやって行ったのか、

沖縄の地図を砂の上に書きながら考えています。

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伊是名島から見れば、

沖縄本島は大きな島です。

沖縄本島の北の先端部分が辺戸岬です。

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金丸は、信長型なのか、秀吉型なのか、

それとも家康型なのか、

政権を取るのはどのような出世物語があったのか、

色々と想像してみました。

浜辺で談義していると10時頃になり、

また仲田港に自転車で戻ります。

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昨日来たきれいな海を、

ギタラ展望台でもう一度みます。

昨日は、太陽が出ていて、

砂浜が白く輝いていましたが、

今日は、曇り空でどんよりとしています。

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今回のギタラ展望台では、

目の前に広がる珊瑚礁には、潮が満ちてきています。

潮が満ちると、浅瀬が出ている光景とは、また違います。

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そろそろお昼時になったので、

昨日の経験に懲りて、

ちゃんと店が開いている時間に、

お昼ご飯を食べることにします。

仲田港の中にあるお店でお昼ご飯を食べます。

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中江裕司監督の「真夏の夜の夢」

というポスターがあります。

主演は、柴本 幸さんと、蔵下 穂波さんです。

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航空写真で見ると、

伊是名島の手前には、

屋那覇島があり、屋那覇島には、

珊瑚礁が広がり、あの珊瑚礁で、

夏にはシュノーケリングをしてみたいなと誘われます。

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伊是名島と言えば、

第二尚王朝を開いた尚円王の誕生の地です。

ここはどうしても、尚円王の銅像を見ることにします。

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伊是名島を外周する道路を、

自転車で走っています。

この道路は、トライアスロンの会場となる道路です。

海の見えるいいコースです。

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かわいそうなのは、伴走するリーです。

片山正喜さんの自転車の後を、

リーは一生懸命走って着いていっていますが、

もうハアハアと言ってしんどそうです。

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仲田港から、尚円王を祀る

御庭公園の近くまでやってきました。

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伊是名島の百姓であった金丸が

見事、位人臣を極め

尚円王となっていく最初のスタートとなる、

伊是名島を脱出する、

沖縄本島を指さす、

金丸の銅像を見つけました。

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伊是名島の

「百姓 金丸」は25歳の時この島を出て、

55歳で琉球王朝を築いています。

相当な世渡り上手なのか、

周りの人を惹きつける魅力ある人だったのか、

何か特殊な才能を持っていたのか、

これから与並岳生著「新 琉球王統史」を元に、調べます。

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第二尚王朝を開いたのは、

島から出ておよそ30年後です。

金丸は、伊是名島から出て、

宜名真(ぎなま)ー奥間ー久志へと流れて行き、

越来(ごえく)グスクで、

尚 泰久に出会い、家来になります、

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運が回るのは、尚 泰久が、

その後、尚王に即位し、

金丸は、王の側近として頭角を現していきます。

この辺りは、仕えた人がよかったことになります。

尚 泰久王が亡くなり、

嫡子の金橋王子が即位するべきところ、

側室の子、幼い八幡王子の尚徳が

即位することになりました。

この背景にも、金丸が画策したと言われています。

八幡王子の尚徳王が成人すると、

25歳の尚徳王と51歳の金丸とは、

考え方に違いがでて、

やがて衝突するようになります。

尚徳王が没し、

幼い尚徳王の子どもを即位させようとしたとき、

霊能者・予言者の安里が現れ、

幼い王の即位を反対します。

これも、霊能者・預言者の背後に

金丸の画策があったのではないかと、記されています。

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そして、金丸は、幼い王子に代わり、

自らがクーデターを起こす形で、

尚円王を名乗り、即位しました。

これまでの尚王家と、

血縁・血統関係がないので、ここから、

金丸の作った尚王朝は、

第二尚王朝と言われるゆえんとなっています。

このとき、金丸は55歳。

伊是名島を出て30年後の事です。

伊是名島から出て本島を制覇し、

第二尚王朝を建てたとは、大したものです。

第二尚王朝は、その後、

1879年(明治12年)まで続きます。

出典:

与並岳生著「新 琉球王統史」(新星出版 2005年)

沖縄歴史教育研究会編 新城俊昭著 高等学校「琉球・沖縄史」(東洋企画 2001年)

沖縄歴史教育研究会編「琉球・沖縄の歴史と文化」(東洋企画 2010年)

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2011年2月23日(水)

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