伊是名島観光ガイドマップに沿って、伊是名山森林公園、ふれあい民俗館、銘苅家住宅を廻っています。伊是名島訪問記
伊是名島観光ガイドマップに沿って、伊是名山森林公園、ふれあい民俗館、銘苅家住宅を廻っています。伊是名島の銘苅家住宅は、尚円金丸公のおじさんの家で、文化財となっています。第127回沖縄訪問(20)
伊是名山森林公園で島の眺望を見た後は、
自転車に乗って、昨日通った道をもう一度
伊是名ふれあい民族館の方に向かいます。
所々に、ロケマップが表示されていて、
ロケマップ4は神様の岩座となっています。
トライアスロンが開催される島なので、
サイクリングロードが整備されていました。
伊是名島の歴史や文化を知るために、
伊是名村ふれあい民俗館に行ってみました。
しかし、今日はお休みでした。残念です。
お休みだと仕方ないので、
辺りを散策して色々と探ってみます。
産業支援センターもあります。
人口2千人を切る島でこれだけ公共施設が充実してるのに驚きます。
もう一度伊是名ビーチに向かいます。
ふれあい民俗館から伊是名ビーチには、
緩やかな坂が続き、進んでいる方向は下り坂で、
途中には沖縄には少ない水田地帯を走っています。
坂を下り切ると伊是名地区で、この辺りは沖縄風の石垣と、
防風林のフクギに囲まれた家が続いています。
観光ガイドマップにでてくる、銘苅家住宅に向かいます。
伊是名島の旧家です。銘苅家住宅では、
今は人が住んでいません。
古い屋敷を利用した、ハウスウェディングを行っています。
銘苅家の前には、ロケマップ9が表示されています。
史跡の「銘苅家」、王族に繋がる銘苅家の住宅を訪問します。
この家は、国指定の重要文化財です。
銘苅家は琉球王朝第二尚氏王統の始祖尚円王の叔父が先祖の旧家で、
伊平屋島の夫地頭職を務めてきた家です。
この建物は1906年(明治39年)に建て替えたものだそうです。
そうなると、105年前の家と言うことです。
一族に王様が出ると、その親族も豪族になり、
立派な家屋敷が建てられているのです。
家の中も見てみたいなと思いましたが、
残念ながら今は工事中で入ることができませんでした。
銘苅家の裏の庭には、
驚くほど大きなガジュマルの木がありました。
昔、家と家の境界に植えたガジュマルの木が、
大きくなったのでしょうか。
途中、選定のために切った後からも、根が伸びて、
台風にも負けないほど強い根をはっています。
沖縄の民家では、椰子の木と、
ガジュマルの木は、敬遠されることがあります。
その理由は、根が張りすぎて、
家を壊すほど、塀を壊すほど茂ってくるからです。
この銘苅家の石組みは、
他の民家と違う石造りがされています。
他の家の石垣は、小さな石を積み上げて、
でこぼこしているのに対して、
この家は比較的大きな石を積んで、
隙間をキレイに埋めて、
表面を平らに切り出しています。
多分本土から石工が来て建ったんだと思います。
城の石垣のような立派な石組みです。
やはり王族の家だからでしょうか?
勝連半島の浜比嘉島の旧家の吉本家でも、
このような、本島から渡ってきたような、
石工の仕事による石垣をみました。
銘苅家の保存は、伊是名島の村役場が、
文化財として手厚く保存活動をしています。
伊是名島から島民が減っているのか、
人が住んでない家も幾つかありました。
家は人が住まなくなると、
どんどん傷んでしまいます。
沖縄の伝統ある家の姿が、だんだんと沖縄からなくなり、
朽ち果てていくのが残念です。
伊是名村の村営住宅もあちらこちらにあります。
伊是名島には5つの区があり、
伊是名区・勢理客区・内花区・諸見区・仲田区です。
一番栄えているのが、行政の中心地の仲田区です。
自転車を停めて、人の住んでいないお家の周りを周り、
沖縄の風に吹かれてみます。
ハブのいない島なので、
草の茂った場所でも平気です。
2011年2月23日(水)