一番です。うちの村が一番です。

一番です。うちの村が一番、うちの地区が一番です。第133回沖縄訪問(11)

一番です。競争したら一番です。働きぶりも一番です。こんな話しになりました。

忘年会のあとは二次会です。どこに行こうか、カラオケの星の砂が有力な意見でしたが、どうもお店はいっぱいのようで、なんとなくお腹もいっぱいなのですが、山城亭に行きました。

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参加者は、山城興善さん、片山正喜さん、松田光正さん、幸地新二郎さん、金城勝秀新会長と松葉博雄です。

山城亭にはサンタクロースが座っています。

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もう一度食事はいらないので、席料だけになります。ボトルキープの焼酎を飲みます。席料は通しで一人2000円です。

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おつまみには、厨房の金城さんが、あまりお腹の張らない揚げ物を作ってくれました。軟骨の唐揚げです。

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今夜も、お料理には飾りが付いています。包丁捌きが上手いものです。

二次会では、冨着、前兼久、仲泊の近隣の三つの集落について、歴史的な話しを聞きました。

距離としては近いのですが、三つの集落は、それぞれ独自の文化を持っていて、例えば少しだけ言葉が違う、踊りが違う、価値観が違う、考え方が違うなど、そうかなぁ?と思ったり、そうだなぁと思ったりしました。

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この三つの地区に影響を与えたのが、糸満の追い込み漁の仕事と、采配する糸満の親方です。昭和の初めの頃には、幼い少年が糸満で、追い込み漁の仕事をしていた時代がありました。

親方の権威は絶対で、親方の指示通りに行動しなければ、網に追い込む魚が一瞬のチームワークの乱れで、網から逃げてしまうことがあります。

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前兼久からも、糸満の追い込み漁に就職していた青年達がいました。一定の年季が空けると、また前兼久に戻って、農業や漁業の仕事をし、糸満で培ったチームワークの大切さをその後の仕事に適応させていました。

チームワークを学んだ青年達には、自由な縛りのない働き方の人には、生ぬるいと思ったようです。三つの集落で、糸満の親方にチームワークを学んだ人が多い地区には、チームワークが大切であるという、地域の文化が形成されていったようです。

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さらに小中学校でも、地域の対抗が繰り返され、子どもの時から冨着、前兼久、仲泊の対抗意識が形成されていったようです。三つの中では、前兼久が一番あびーだと言っています。それぞれの地区が、おらが一番、うちが一番と言うのは、当然です。

2011年12月10日(土)

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