渡名喜島 歴史民族資料館 渡名喜島訪問記(4) 

渡名喜島の人口は431名で、戸数は232戸です(2010年4月現在)
【歴史民族資料館:渡名喜島の人骨第3号の発掘場所は西ノ底原遺跡です。】  第120回沖縄訪問(6)

渡名喜島役場

渡名喜島で、お昼ご飯を食べるには、どこに行けば良いのか、渡名喜

村の村役場にいってみます。

ところが、お昼休みの最中で、役場の窓口には、職員の姿がありませんでした。

仕方がないので、次は情報が集まる渡名喜村のフェリーの待合室で資

料を探しましたが、ありませんでした。

渡名喜島役場では、気になることがあるので、掲示してある資料を探

します。

渡名喜島の人口

渡名喜島の人口から見てみます。

インターネットで調べてみると、500人説や700人説がありました

が、実際に渡名喜島役場に来てみれば、2010年(平成22年)4月現

在では男性233名、女性198名、合計431名の人が住んでいます。

戸数は232戸です。

やはり、現地に来て見ないと、ここまで確かな人数はわかりませんでした。

渡名喜島の村役場でも、フェリー発着場でも、美味しい店はどこか情

報はとれませんでした。後は、実際に足で歩いて、目で確かめて、探

します。

ところが、お昼のひでりの強いころなので、熱射病に注意です。

渡名喜島中央の町並み

無防備な状態で、渡名喜島中央の町並みを歩きます。

村道一号線には、歩きやすいように、凹凸の無い、平ったい、草履で

も歩けるような、平坦な道になっていました。

両脇には廃屋がたくさんありました。何件か家を見て回ります。

沖縄風の、絵葉書になりそうな綺麗な家を見つけました。

素晴らしい屋根の家です。

魅とれてあちらこちらから写真を撮ります。

しっくいの白い壁、周りには福木の木を植えて防風林にしています。

渡名喜島の家のつくりかたは道路より敷地を低くしています。

屋根が飛ばされないように、風よけのせいでしょうか。

台風が直撃する、その瞬間は、どのぐらい強い風が吹くのでしょうか。

ふくぎ食堂 憩い処西門(ゆくいどぅくるいりじょー)

ふくぎ食堂と憩い処西門(ゆくいどぅくるいりじょー)の二軒を訪ね

てみましたが、受付時間オーバーと、昼休みのため、お昼ご飯は、結

局カーフェリーの船着場のターミナル食堂で食べることにしました。

ターミナル食堂では、ご飯は売り切れてありませんでした。

船着場のターミナル食堂

オリオンビールと沖縄そばをいただきます。

お勘定は、沖縄そば2つとビールで1550円でした。

少し高いと思いました。

ターミナル食堂には、渡名喜島の昔の写真を掲示しています。

つい数十年前は、こんな自然が残っていた時代だったんだなあと、タ

イムスリップしてみたくなります。

ターミナル食堂を出た後は、また、車で外周して海を見ます。

ぐるっと回ります。写真を撮りたくなるような風景があります。

やぎがくくられて、つながれています。

やぎはその周りの草を食べています。

外周を終えると、民宿にかえってきました。

渡名喜島 歴史民族資料館

今度は、村の中心地を歩いて回ります。

パンフレットに載っている歴史民族資料館に行くことにします。

歴史民族資料館は、村の中心地にあります。

あちらこちらのお家を撮っています。

あまりにも、沖縄風の素晴らしいお家なので、別のページで、特集したいと思います。

歴史民族資料館は、渡名喜村老人福祉センター、中央図書館と同じ場所にありました。

中央図書館も、歴史民族資料館も、村が運営しています。

靴を脱いで、図書館に入ってみると、渡名喜島の暑さが、忘れられる

ような、クーラーがきいた涼しい場所です。

こんな涼しい場所があれば、子供たちが集まってくると思います。

図書館の担当者に尋ねると、歴史民族資料館は、上の階にあるそう

で、案内してくれました。歴史民族資料館の鍵を開け、暗い部屋の明

かりをつけ、歴史民族資料館の部屋の中に入れてくれました。

写真は撮らないで下さいと注意されました。

歴史民族資料館は普段訪れる人がいないにもかかわらず、クーラーが

23度に設定されて、電気をつけて案内してくれた臨時職員の人が、

普段人がいないのにクーラーをつけているのに不思議に思いました

が、臨時職員のかたが「私は臨時なのでわからない」といわれました。

渡名喜島で発掘された土器、人骨

歴史民族資料館では渡名喜島で発掘された土器、人骨を展示してます。

発掘地点は、西ノ底原遺跡で、第3号人骨と名づけられています。

渡名喜島の地質が、土葬した人骨の酸化を防いで、土葬した時の状態

に近い、骨格が保存されています。

説明書によると、この人骨は女性で推定40歳ぐらい、推定身長は142

センチで、腰痛に苦しんでいたと、解説されています。

じっくり見れば、渡名喜島の歴史や風習、生活模様がある程度わかり

ます。写真禁止は残念です。

一時間ぐらい、歴史民族資料館で、島の文化を研究した後、図書館の

臨時職員の方にお礼を言って、見学は終わりました。

渡名喜島の村道には、福木の木が植えられ

その後、村をぐるっと周りました。

民家と民家の、村道には、福木の木が植えられ、福木の木から落ちた

枯葉も、毎日清掃され、道はゴミの無い、道徳教育の行き届いた道になっています。

その時、片山さんが見つけたのが、飛行機の機体の一部を使って、

ボートに改造したカヌーです。

沖縄は、アメリカ軍の装備品を、使い終わると、軍の払い下げ品として、売られます。

極めて珍しい、飛行機の部品を使った、カヌーです。

こんなカヌーを見るのは、やはり沖縄です。

まとめ

渡名喜島は古くから人が棲んでいました。歴史民族資料館では渡名喜島で発掘された土器、人骨を展示してます。

発掘地点は、西ノ底原遺跡で、第3号人骨と名づけられています。

渡名喜島 記事アーカイブ

2010年7月9日(金)


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