沖縄神話 久高島から沖縄本島へ 神さまたちの上陸地点 百名ビーチ
沖縄神話 久高島から沖縄本島への上陸地点 百名ビーチ 久高島から神様が沖縄の島に上陸地点は、久高島の向かいの知念半島『百名ビーチ』」です。知念半島にある百名の浜辺には、久高島から渡ってきた神様のいた浜川御嶽があります。第126回沖縄訪問(17)
久高島から神様が沖縄の島に上陸地点
久高島から神様が沖縄本島に
渡ってこられた上陸地点を訪ねます。
自転車に乗り換えて、周りを散策しています。
車では入りきれていない、多分見落としている、
重要なスポットに、自転車なら、
立ち寄ることができました。
その場所は、南城市百名の浜辺に繋がる「浜川御嶽」です。
浜川御嶽
百名ビーチ北端の崖の上にある御嶽です。
この場所は、琉球創世の神と言われる
アマミキヨがヤハラヅカサに降り立った後、
仮住まいをした地とされています。
浜川とは海のそばの湧き水のことです。
アマミキヨはこの水で疲れを癒し、
近くの洞窟にしばらく住んだのちに
ミントングスクに移り住んだと言われています。
首里城の東方にある霊地を巡拝する、
東御廻り(アガリウマーイ)で訪れる拝所のひとつです。
琉球の国王や琉球信仰の神女である
「聞得大君(キコエオオキミ)」も
この地を訪れて参拝したと言われています。
バナナの畑を横切って、
浜に向かってサイクリングしている時、
細い道に、案内板がありました。
案内には、この奥に御嶽があるという内容です。
自転車を置いて、歩いて中に入っていきます。
御嶽というのは、神様を祀る場所ですが、
この場所は久高島から、百名の浜に神様が上陸したときの、
上陸地点だと言われている場所です。
南城市百名浜辺「浜川御嶽」
文化財として保護されているので、
周りは古い木やツタがあり、ややジャングル風です。
ここに神様を祀って、
一時ここで過ごしたという記念碑がありました。
沖縄の暑い日照りを防ぐ、
深い亜熱帯植物の森、その静かな森の中に、どこ
からか沸いてくる細い、自然の水の流れ、
その水の湧き出るところは、「神聖霊域」となっています。
久高島から上陸した神様達は、
一旦ここで、体制を整えて、しばらく過ごし
たとの記録があります。
知念半島の国道を走っているときは、
海岸線にこんな文化財が残っていると
は、思ってもいませんでしたが、歩いてみてみると、
随分貴重な文化財に出会いました。
自然の霊界を感じるパワースポット
なんとも言えない自然の霊界を感じます。
まさしく、パワースポットです。
亜熱帯の大きな木から、大地に向かって、
ツタが絡み合うように降りて来ています。
今は1月で、暑さを感じませんが、
夏になって、うだるような熱暑のなかでも、
ここなら、涼しい風が吹くでしょう。
玉城村教育委員会の案内に沿って、
浜に降りてみます。
海岸から浜の方を見て見ると、
大きな岩が重なって、岩には灌木が生い茂り、
岩と岩の間に、木陰を作る洞窟があるように見えます。
きっと、神様達は、海からこの洞窟のような岩の裂け目か、
割れ目を見つけ、水と涼しさを求めて、
上陸したのかもしれません。
上陸記念碑
随分昔の話、それは、
神話と言われるほどの古い話ですが、上陸記念に建っ
ている石碑には、なんと5年前の日付が刻まれています。
ここから上陸したんだという、
記念碑が平成17年(2005年)に建てられています。
大変歴史的貴重な場所であり、景観もすばらしいです。
上陸地点を前に、レストラン風のお家があり、
そちらを覗いて見ます。
どうも私有地のようで、勝手に入ることはできません。
猫が迎えてくれました。
周りに猫が何匹かいて、
懐いているのか寄ってきます。
かなり人なつっこい猫で、
グループで遊んでいるようでした。
そのうちの一匹の猫は、
傍の大きな木に登っていて、
まるで、豹のように周りを警戒して見ています。
よく見れば、下の幹にも、
別の猫が陣取っていて、周りを見回しています。
海岸に面した、レストラン風の建物に興味が沸き、
何のお家なのか、ちょっと寄ってみることにします。
レストラン風のお家は、浜川御嶽に接していて、
静かな公園の隣にあるような、
なかなか有利な立地にあります。
通りかかった土地の人に、
この家は誰のものですか?と尋ねてみました。
これは、外国人の方の別荘に使っているのだそうです。
以前は、本当にレストランだったそうですが、
レストランは廃業し、その後売却され、
外国人の方が購入したそうです。
まとめ 地元の伝説
通りかかった土地の人に、
この辺りの歴史についても、少し話を聞いてみました。
やはりそれぞれの土地には、
土地の郷土史というのがあって、その郷土史に基づけば、
やや歴史書とは異なった、いわゆる裏話・秘話が聞けます。
大変詳しい方の話を、30分くらい聞かせてもらいました。
沖縄の歴史は、いくつかの王朝があり、
その王朝に繋がる皇族や、王家の
人々に歴史があり、侍もいて、
身分制度も複雑にあり、更に薩摩からの政治
介入もあって、歴史の流れは、
土地の歴史の中で、複雑に解釈されています。
2011年1月23日(日)