恩納村前兼久とのご縁の始まりは、金城正則さんからの お誘いの一声でした

投稿No:9861

シーミー祭(清明祭)へ参加した後は 金城家で飲み直し 久しぶりにゆっくり団欒です

シーミー祭(清明祭)へ参加して

各々の自宅へ帰ったあとは

金城家にお邪魔して、

みんなで飲み直しをしました。

シーミー祭(清明祭)へ参加していたので

お腹はいっぱいですが

オードブルをお酒のおつまみに、

用意してくれました。

もちろん、シーミーから

持ち帰ってきたお料理もあります。

お酒だけだと味気ないので

気遣いに感謝します。

金城正則さんの

お孫さんたちも来ています。

先ほどまでは、金城家のみんなが

大勢集まっていたので賑やかでしたが、

今度は、いつもの顔なじみの

メンバーで落ち着きます。

大勢の親戚の前では話せないような

深い話から、いつも通りの他愛もない話まで

のんびりとお酒を飲みながら、

団欒の時間です。

沖縄へ来るたびに

こうして金城家へお邪魔していますが、

いつも、家族の一員のように

笑顔で迎え入れてくれます。

今年はもう3回目の沖縄訪問ですが

金城家へ足を運ばない時はありません。

金城正則さんとの仲は

もう20年以上になります。

金城正則さんとのご縁の始まりを

思い出してみました。

ご縁の始まりは、メニコン沖縄営業所から

FAXが届いたことからです。

恩納村前兼久で建設中のリゾートマンションの

分譲が始まったというお知らせのFAXでした。

すぐに前兼久に飛んでいき、

分譲開始したホテル形式のマンションを

下見して、購入の申込みをしました。

当時は、バブル景気のさなかで、

リゾートホテルも作れば売れる時代でした。

それまでは、沖縄の各地を順番に回っていて、

主に離島を中心に旅行をしていましたが、

恩納村前兼久に拠点が出来ると、

沖縄訪問は恩納村が中心になってきました。

恩納村を中心に

沖縄を楽しんでいたころです。

前兼久の土地の人達と交流したいという

思いが芽生え始めました。

ある夏の日、恩納村前兼久に来て、奧さんと一緒に

前兼久漁港を散歩していました。

漁港の端に小さなテントがあり、

そこに土地の人らしい人が集まって

酒盛りをしていました。

夏の夕方の風に当たりながら、

どんな酒盛りなのか、

遠くからじっと見ていました。

すると、私と以心伝心したのか、

向こうの方のテントから、

「こちらに来て休んでください」と

お誘いがありました。

この方が金城正則さんだったのです。

この地元の人たちの社交クラブが朝日会でした。

いつの間にか、私も朝日会の会員に入れて貰えました。

あれからもう20年以上が

経過しています。20年も経つと

まわりの環境も色々と変わり、

金城正則さんにも、今となっては

もうこんなに大きいお孫さんもいます。

私がしょっちゅう金城家へお邪魔しているので

お孫さんたちも、私に良く

なついてくれています。

4月に入り、小学校の

新学期がもうすぐ始まり、

学年も1つ上がるという事で、

私達から、お祝いを渡すことにしました。

みんな、並んで、一人一人、

お行儀よく受け取っています。

ありがとうございますと、

丁寧にお礼を言って、

金城正則さんのお孫さんの成長を感じました。

今日は、久しぶりにゆっくりと

金城家で団欒をすることができました。

これからも、金城家との

この関係や絆を、大切に

していきたいと思います。

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