離島の旅 渡名喜島 ハブの島,猫の島,愛の聖地,(沖縄離島 2)
投稿No:8691
離島の旅 渡名喜島 ハブの島,猫の島,愛の聖地,(沖縄離島 2) 渡名喜島旅行の振り返り 沖縄の素晴らしい離島
離島の旅 渡名喜島の思い出
沖縄へは何度も訪問しています。
しかし、コロナの影響で県外からの旅行者へ自制を促すなど、
観光業が主体の沖縄も厳しい選択を迫られています。
行けないなら懐かしい思い出に浸って、離島のすばらしさを
多くの人に知ってもらう試みをしてみようと思います。
今回は、沖縄離島シリーズ第2弾の渡名喜島(となきじま)です。
離島の旅 渡名喜島へ渡る日
渡名喜島にわたるために、フェリーの切符を買います。
面倒なことに、自家用車の車載の切符と
人の乗船の切符の販売所が違います。
なんという手間のかかることでしょう。
車は運転手一人込みで往復1万7600円です。
切符売り場のおじさんによれば、
安くしといたからねと言われました。
離島の旅 久米島商船に乗船
久米島商船に乗ります。
曇りですが、波はおだやかです。
泊港を出港する時間になりました。
8:30出発です。笑顔満面です。
これから、渡名喜島に向かって進みます。
ゆっくりとフェリー那覇は泊港を出港します。
デッキの2階に出てみると、
雨が降った後で、床もベンチも濡れています。
濡れた床に座るのはまずいので、
新聞紙をひいて、ごろ寝をします。
離島の旅 ナガンヌ島通過
泊港を出て1時間もすれば、海の色は変わってきて、
何も見えなかった海上に砂浜だけの
ひらったい島が見えてきました。
途中見えたのはナガンヌ島でしょうか。
砂だけの島です。
デッキでのんびり、ひと寝入りしました。
離島の旅 慶良間諸島海域
10時をすぎたころ、慶良間諸島が見えてきました。
慶良間を過ぎると、いよいよ渡名喜島が見えてきます。
離島の旅 断崖絶壁に囲まれた渡名喜島
今日はやや波が高いです。船の行く先の波も荒いです。
人を近づけないような、
断崖絶壁に囲まれた渡名喜島です。
船はぐるっと周って西の方向にある渡名喜港に入ります。
向こうに見えるのは、入砂島です。
何も知らずに、入砂島を行ってみたいと、
シュノーケリングの候補に入れています。
フェリー那覇は、減速しながらゆっくりと渡名喜島に近づきます。
船の上からは、渡名喜島のシンボルのように見える
ごみ焼却場が見えました。
渡名喜島に向かう船のしぶきです。
珊瑚礁と深い海との境目です。碧さが違います。
珊瑚礁のリーフを割って作られた水路を進んでいきます。
波はおだやかです。
離島の旅 渡名喜島港に入港
島に入る前に、フェリー那覇は汽笛を鳴らします。
渡名喜島の船着き場へゆっくり入っていきます。
さて、これから渡名喜島に上陸し、
色々なことを調べて回ります。
ハブに注意。渡名喜島のヤシガニは、ハブが生息する地域に住んでいます。ヤシガニは見たいし、ハブは怖いし、どうしようかな?
離島の旅 ハブの島 渡名喜島に上陸
渡名喜島に上陸すると、
船から片山さんの車が港に横付けされていました。
どれだけの人が降りるのでしょうか。
晴れた空、静かな海です。
係の人から切符をよこせといわれました。
無いといったら探せといわれました。
探したら出てきました。やれやれです。
港には昔の改造した船が泊まっています。
私たちを降ろして、久米島行きの船が出て行きます。
船尾のほうはまだ離れていません。
ぐるっとまわってターンしたら離します。
離島の旅 ハブの島 渡名喜島で『民宿となき』探し
さて、11時。これから予約しておいた民宿を探します。
片山さんはインターネットで民宿の予約をしたものの、
民宿の名前がわからないということで、
目印となるのは黄色い建物だということだけ。
さて、最初に寄ったところは民宿となきです。
なんと!一軒目で当たりました。予約した民宿はとなきでした。
この島で一番古い民宿です。
ハブに守られているヤシガニ
民宿の食堂には「ヤシガニ」の標本が飾っています。
松葉博雄はヤシガニ研究会の会員なので、
ヤシガニのことが気になります。
こんなに大きなヤシガニの標本がどうしてここにあるのか、
民宿となきの奥さんに尋ねてみました。
このヤシガニは家の近くで捕獲して、那覇に土産として
持っていくと、那覇の人がこんなに大きなヤシガニは
今に珍しくなるから、食べるより剥製にしたほうが良いよと
言われ、食べるのを止めて剥製にして持って帰ったそうです。
確かにその後ヤシガニはだんだん減少し、今ではこれほど
大きなヤシガニは島では見つかりません。
ヤシガニが生息している地域には、ハブが生息しています。
ハブがいると人は近づきません。
ヤシガニはハブに守られているという、共生のような関係
であるように思います。
ハブは廃屋に潜んでいます
民宿となきの向かいには廃屋があります。
ここは、人が住まなくなって木や雑草が深く生い茂り、
ハブにとってはとても住みよい環境にありました。
家の周りの防風林の石垣は、ハブには隠れやすい場所でもあります。
民宿の女将さんは、開口一番、
渡名喜島ではハブがよく出るため、注意が必要だと言われました。
民宿のおかみさんの名前は桃原さんです。
離島の旅 ハブの島 渡名喜島を探索
部屋のカギをもらい、荷物を部屋に置いて、
これから島を回ります。
人が住んでいるのはごく一部の地区です。
まず最初のほうは島尻の方向に向かいます。
島の人口はおよそ500人と聞いています。
この島の文化の特徴を探していきます。
渡名喜島は、港が西側にあります。
港の左側(北)と右側(南)に山があります。
渡名喜島港から、反対側の東の浜には、
歩いて600メートルぐらいで横断できます。
蟹がハサミを広げたような形です。
つまり、右手が展望台のある南の山で、
左手は西森園地展望台のある山です。
最初に見た絶景は、昔の歩道です。
今は埋め立てられ、車もすぐ傍まで入れますが、
昔は岩のわずかな幅に道が作られ、すぐ前は海で、
たとえ夫婦でも親子でも、並んで歩くこともできない細道です。
後に続く人が、波にさらわれても、
助けることができない険しい地形です。
そんなことも今は昔で、名残の荒々しい岩が残っています。
この道のことをアマンジャキ・シュンザと言います。
浜辺には、もずくの養殖場が見えます。細い道です。
岩と海の間に少し埋め立てをして道を作っています。
埋め立てた隙間に少し水を残してあり、
池のように仕切られたところに魚が泳いでいます。
海水と自然水の汽水になっているんでしょうか。
片山さんが確かめに降りてなめてみると甘塩だということです。
海水ほどからくはないけど、
水よりはからいということで甘塩です。
どんどん進みます。ほとんど人のいないところです。
キレイな自然が広がっています。
島尻岬の方向に向かいます。所々に展望台があります。
ここでは、カワラナデシコが有名です。
風が強い島です。観光客用に桟敷道が敷かれています。
名前は島尻毛散策道(ボードウォーク)です。
これだったらハブに襲われることは無いでしょう。
向こうには、慶良間諸島が見えます。
島尻の浜辺のほうには断崖絶壁で降りられません。
急斜面の、わずかな林道を車で上がっていきます。
ナデシコの写真がとれました。たくさんナデシコがありました。
渡名喜島は島尻郡に属します。島尻郡の渡名喜島に、島尻崎があります。島尻の尻です。
渡名喜島 シュノーケリング場所を探して
渡名喜県立自然公園に着きました。
この頂上部分の170メートル地点あたりの展望台に向かいます。
駐車場です。ナデシコが咲いていました。
展望台に上がっています。島尻崎が見えました。
向こうの島は、入砂島です。
米軍の演習場になっています。
ここは米軍の管轄になっていて立ち入り禁止です。
入砂島には港はありません。
船が近づけないようになっています。
豊かな緑と自然を見てみます。
片山さんと相談して、シュノーケリングする場所を下見しています。
片山さんの考えでは、島尻崎まで降りていったら、
きっと素晴らしいシュノーケリング場所がありそうだ、
という意見ですが、どうやって降りるのか、
話によれば降りようとしてハブに噛まれて死んだ人がいるそうです。
ウーンダ展望台
展望台に着きました。ウーンダ展望台です。
ウーンダからは久米島、粟国島、慶良間諸島が見えました。
渡名喜島を見たことがありますが、遠くから離島を見ると、
険しい島にしか見えませんでした。
ここは、久米島や座間味島へ、かがり火や松明で狼煙を
上げる場所になっていました。
圧巻です。見とれてしまうほど素晴らしい景色です。
どこから浜に降りていこうか、片山さんと探してみます。
明日泳ぐ場所の下見です。
断崖絶壁のところを降りれるかどうか。
人がこないところほどおもしろいのですが、
ハブに噛まれないで降りれるかどうかです。
あちらこちらにハブに注意の標識
島尻崎を一巡しました。
島のあちらこちらにはハブに注意の標識があります。
ハブは岩の隙間や暗いいじめっとしたところに生息しているので、
こういうところにはハブがいるのではないのかと思います。
ハブが好きそうな場所です。
また、すぐに浜辺に出てきました。
島をちょっと歩くだけですぐ一周できます。
ここはごみ焼却場です。
風が強いですが、風よけの防風林の代わりに柵が設けられています。
浜はどこも浜焼けをして黒くなっていて、
あまり魚がいるようには見えません。
ダーウィンのように、キャプテン・クックのように、
コロンブスのように、初めて新たな島に上陸すれば、
測量をして、動植物を調べ、人がいるかどうか探検して、
スケッチをして、本国へ連絡する報告書を作ることになります。
ちょっと休憩をします。
船着場に行きます。お昼ご飯を食べる時間です。
お昼を食べるには、どっか良い店がないかこれから探します。
渡名喜島の人口は431名で、戸数は232戸です(2010年4月現在)
【歴史民族資料館:渡名喜島の人骨第3号の発掘場所は西ノ底原遺跡です。】
離島の旅 渡名喜島 渡名喜島役場
渡名喜島でお昼ご飯を食べるにはどこに行けば良いのか、
渡名喜村の村役場に行ってみます。
ところが、お昼休みの最中で、
役場の窓口には職員の姿がありませんでした。
仕方がないので、次は情報が集まる渡名喜村のフェリーの
待合室で資料を探しましたが、ありませんでした。
渡名喜島役場では気になることがあるので、
掲示してある資料を探します。
渡名喜島の人口
渡名喜島の人口から見てみます。
インターネットで調べてみると、500人説や700人説が
ありましたが、実際に渡名喜島役場に来てみれば、
2010年(平成22年)4月現在では男性233名、女性198名、
合計431名の人が住んでいます。
戸数は232戸です。
やはり現地に来て見ないと、
ここまで確かな人数はわかりませんでした。
渡名喜島の村役場でも、フェリー発着場でも、美味しい店は
どこかという情報は取れませんでした。
後は、実際に足で歩いて目で確かめて探します。
お昼のもっとも陽射しの強いころなので、熱中症に注意です。
離島の旅 渡名喜島中央の町並み
無防備な状態で、渡名喜島中央の町並みを歩きます。
村道一号線は歩きやすいように、凹凸が無く平らな、
草履でも歩けるような、平坦な道になっていました。
両脇には廃屋がたくさんありました。
何件か家を見て回ります。
沖縄風の、絵葉書になりそうな綺麗な家を見つけました。
素晴らしい屋根の家です。
魅とれてあちらこちらから写真を撮ります。
しっくいの白い壁、周りには福木の木を植えて
防風林にしています。
渡名喜島の家のつくりかたは道路より敷地を低くしています。
屋根が飛ばされないように、風よけのせいでしょうか。
台風が直撃するその瞬間は、
どのぐらい強い風が吹くのでしょうか。
ふくぎ食堂 憩い処西門(ゆくいどぅくるいりじょー)
ふくぎ食堂と憩い処西門(ゆくいどぅくるいりじょー)の
二軒を訪ねてみましたが、受付時間オーバーと昼休みのため、
お昼ご飯は結局カーフェリーの船着場の
ターミナル食堂で食べることにしました。
ターミナル食堂では、ご飯は売り切れてありませんでした。
離島の旅 渡名喜島 船着場のターミナル食堂
オリオンビールと沖縄そばをいただきます。
お勘定は、沖縄そば2つとビールで1,550円でした。
少し高いと思いました。
ターミナル食堂には、渡名喜島の昔の写真を掲示しています。
つい数十年前は、こんな自然が残っていた時代だったんだなあと、
タイムスリップしてみたくなります。
ターミナル食堂を出た後は、また車で外周して海を見ます。
ぐるっと回ると、写真を撮りたくなるような風景があります。
やぎがつながれていました。
やぎはその周りの草を食べています。
外周を終えて、民宿に戻ってきました。
渡名喜島 歴史民族資料館
今度は、村の中心地を歩いて回ります。
パンフレットに載っている歴史民族資料館に行くことにします。
歴史民族資料館は、村の中心地にあります。
あちらこちらのお家を撮っています。
あまりにも沖縄風の素晴らしいお家なので、
別のページで特集したいと思います。
歴史民族資料館は、渡名喜村老人福祉センター、
中央図書館と同じ場所にありました。
中央図書館も、歴史民族資料館も、村が運営しています。
靴を脱いで図書館に入ってみると、
渡名喜島の暑さが忘れられるような、
クーラーがきいた涼しい場所です。
こんな涼しい場所があれば、子供たちが集まってくると思います。
図書館の担当者に尋ねると、歴史民族資料館は、
上の階にあるそうで、案内してくれました。
歴史民族資料館の鍵を開け、暗い部屋の明かりをつけ、
歴史民族資料館の部屋の中に入れてくれました。
写真は撮らないでくださいと注意がありました。
歴史民族資料館は普段訪れる人がいないにもかかわらず、
クーラーが23度に設定されていて、
電気をつけて案内してくれた臨時職員の人に
普段人がいないのにクーラーをつけているのを不思議に思って
理由を聞いてみましたが、
臨時職員の方も「私は臨時なのでわからない」と言われました。
渡名喜島で発掘された土器、人骨
歴史民族資料館では渡名喜島で発掘された土器、人骨を展示してます。
発掘地点は西ノ底原遺跡で、第3号人骨と名づけられています。
渡名喜島の地質が土葬した人骨の酸化を防いで、
土葬した時の状態に近い骨格が保存されています。
説明書によると、この人骨は女性で推定40歳ぐらい、
推定身長は142センチで、腰痛に苦しんでいたと解説されています。
じっくり見れば、渡名喜島の歴史や風習、生活模様が
ある程度わかります。写真撮影禁止は残念です。
1時間ぐらい、歴史民族資料館で島の文化を研究した後、
図書館の臨時職員の方にお礼を言って見学は終わりました。
渡名喜島の村道には、福木の木が植えられ
その後、村をぐるっと周りました。
民家と民家の間の村道には、福木の木が植えられ、
福木の木から落ちた枯葉も毎日清掃され、道はゴミの無い
道徳教育の行き届いた道になっています。
その時片山さんが見つけたのが、飛行機の機体の一部を使ってボートに改造したカヌーです。
沖縄は、アメリカ軍の装備品を使い終わると、
軍の払い下げ品として売られます。
極めて珍しい、飛行機の部品を使ったカヌーです。
こんなカヌーを見るというのも、やはり沖縄ならではです。
渡名喜島 道路に足元を照らす照明
【沖縄の民宿に泊まります。沖縄の離島の民宿に泊まります。
沖縄の離島の民宿には、何を期待するでしょうか?
沖縄の食事、沖縄の音楽、沖縄のおもてなし その7】
渡名喜島 アメリカ軍のヘリコプター演習
歴史民族博物館を見学したあとは、
もう一度渡名喜島の居住地区を散歩します。
今度の散歩には、片山正喜さんの愛犬:リー君も参加しています。
目の前に広がるのは、民宿の横の広場と民宿の横の畑です。
耳を澄ますと、トタン板を叩くような大きな爆音が聞こえます。
何かなと思い、民宿となきの屋上に上がります。
屋上から見ると、向いの離島、入砂島に向かって
ヘリコプターが繰り返し行き来しています。
これは、アメリカ軍のヘリコプターを使った演習でした。
実戦さながらの演習を実際に行っているのです。
集蛾灯
もう一度歩いて島を散策です。妙な物を見かけました。
明かりをつけて虫を集めてそれを下で受けるのかなと
思っていると、下の箱にはペットボトルや空き缶がたくさん入っています。
何でしょう、これは。
住宅地には人が住んでいない場所がいくつかあります。
そこには、今は人に代わってハブが住んでいるそうです。
入ると危ないと言われています。
渡名喜島の商店 上原商店、又吉商店、桃原商店
日用品の買い物をしに、桃原商店に行ってみます。
共同売店のようなところです。玉ねぎがありました。
色んな日用雑貨が売っています。
調べてみると、渡名喜島での日用品の店は、上原商店、
又吉商店、桃原商店の三軒のお店があるようです。
離島の旅 ハブの島 渡名喜島の道路照明
一般住宅を回ってみます。
東西に走るこの道は村道一号線ですが、夜になると
ライトアップされるようになっています。
なぜ足下を照らすのか、観光資源かなと思っていましたが、
実際に夜歩いてみるとこれもハブ対策です。
ハブが突然足下に噛みつかないように、足元を照らしているのです。
町並み保存のように、沖縄風の台風を意識した、
低い造りの昔の民家が残っています。
村道を散歩しているときに、リーくんを連れていたので、
通りかかった子供が大変興味を示していました。
渡名喜島のお医者さんは一人だけ
片山さんは子供に、リーくんの首輪に繋がっている紐を
渡してあげました。
子供は男の人と二人連れです。
大変喜んで、わんちゃんの散歩をしています。
「この島のかたですか」とお聞きすると、
診療所の医師だそうです。
今年4月から赴任してきて間もないそうですが、
この島では430人の島民に対して
医師がたったの1人であることがわかりました。
渡名喜島の産業はなに?
渡名喜島で、唯一の信号機がありました。
渡名喜港にいってみます。
夕日をみるためですが、どうも曇っていて、
感動の夕日を見ることができませんでした。
渡名喜港で、この村の産業とは何だろうと考えてみました。
430人の島民のいる島の中で、島の建物を見ると、
公民館や役所、あるいは学校など公共の仕事はたくさんありました。
建物も立派です。警察もあります。
人口430人に対して、公務員の数が多いなということが
わかりましたが、島の代表的な産業はまだわかりません。
民宿となきに戻ってきました。
民宿となき 質素な晩ご飯
夜の7時から晩御飯です。
どうやら、民宿の客は私たち二人だけでした。
民宿となきの晩ご飯は、トレー1つに全ての料理が盛ってあります。
ご飯、柴漬け、お肉炒め、お刺身、ゴーヤチャンプルー。
片山さんが海で捕ったテラジャ〈マキガイ〉、味噌汁です。
この刺身は何でしょうか。タイでしょうか。
片山さんはお酒を飲まないので、普段の私のビールを
飲みながらの食事のペースとは違います。
ご飯はすぐ終わってしまいました。
夕暮れ時になりました。
期待している正しい民宿像は、民宿の親父さんが出てきて
三線を弾いて、地酒を飲みながら話が弾み、近所のオバサンも
参加して渡名喜島の昔の人情話を聞きながら、
いつしか夜が更けていく。
こんな、瘋癲の寅さんが旅先で泊まるような民宿像です。
残念ながら、そんなイメージの民宿はありませんでした。
渡名喜島の猫(ネコ)に、強い視線を感じ、ふりむくと、美人の離島の猫(ネコ)が、写真に撮れました。
【離島の猫(ネコ)が鋭い視線を向けています。
離島で出会った美人猫(ネコ)を写真に収めて、
離島の朝を散歩しますその8】
離島の旅 猫の島 渡名喜島の猫(ネコ)。
強い視線を感じて振り向くと、
美人の離島の猫(ネコ)が写真に撮れました。
渡名喜島の朝は、全島にくまなく届く、
渡名喜村の村役場のお知らせの放送から始まります。
朝の6時頃には渡名喜村役場からの放送があって、
島民へ知らせる大きな音が聞こえました。
昨夜は、結局、誰からも声がかからず、渡名喜村の盛り場にも、
行くことなく、ひとりで部屋に戻り、本を読んでいるうちに、
だんだん眠たくなり、寝てしまいました。
朝7時を過ぎて7時20分ぐらいから、散歩することにしました。
まず、民宿の3階から島全体を見ます。今日も曇りです。
今日は入砂島のアメリカ軍基地の、戦闘訓練はあるのでしょうか、
ないのでしょうか、ヘリコプターの爆音はしません。
2階から下におりて、民宿の食堂を押してみると閉まっていたので、
まだ朝ごはんの時間ではありません。
そこで、一人で散歩することにしました。
集落のほうに向かって行きます。
村の道路は、掃除の刷毛目の跡がついていました。
福木の枯葉を集めてビニール袋に入れられています。
視線を感じて、ふと、振り返ってみると、民家にとまったバイクの上
に、イリオモテヤマネコ(猫)のような、
鋭い、野生の顔立ちの残った猫が、松葉博雄を見つめています。
なんと、鋭い、突き刺さるような視線でしょうか。
一軒一軒のお家が綺麗に掃除されています。
路地の周りには、掃き清めた跡がついています。
文化保存地区で、人が住んでいないぐらい綺麗に保存されていますが、
民家からは、朝ごはんを用意しているような、
人の生活の声が聞こえてきます。
人が住んでいるという事が、沖縄本島本部の沖縄海洋博会場にある、
沖縄の民族的な集落を集めた文化財、あるいは琉球文化村など
の展示物とは違うところです。
子供たちは今日は土曜日ですから、学校はお休みでしょうか。
朝早くから音楽が聞こえるのがわかりました。
道端の看板を見ると、朝起き会が6時30分からあるようです。
月曜日、水曜日、金曜日にあります。
そうすると、今日は無かったことになります。
1日のうち、30分は家庭で読書をしようと学校側が訴えています。
渡名喜島にある、学校に行って見ます。
渡名喜小・中学校です。
平成10年3月20日に建てられました。
小学校の門をくぐって、入ってみます。
小学校にはグランドがあり、
グランドが芝生の真ん中にあります。
そして周辺が運動場になっています。
小学校と中学校が同じ場所にあります。
これは沖縄の普通のスタイルです。
平成10年ですから、12年前に作られたことになります。
体育館もあります。かなり広い校舎です。
一蹴すると400mのグランドでしょうか。
学校のすぐ前には浜辺があり、入砂島が見えます。渡名喜港です。
渡名喜港は西の方向に向かって開けています。
校舎の中には1989年の卒業生のことが描かれています。
校歌は小中一貫統一したものです。
次に幼稚園が隣接しているので、渡名喜村立幼稚園に行ってみます。
豊かな心と書かれています。ここも広いグランドです。
幼稚園生が走るには少し広すぎるようなグランドです。
幼稚園の校舎です。
小学校を裏からみたところです。
幼稚園のすぐそばには平和の塔がありました。
戦没者220名ほど、記名されていますが、
見てみると1790年代ぐらいになっていますから、
明治以前の戦没者になります。
近の方は2007年です。
幼稚園のほうからみた民宿となきです。
色んな方向からよく見えるように作られています。
散歩が終わって、民宿となきに戻ると朝食です。
ご飯、味噌汁、しゃけ、もずく、玉子焼きを、美味しくいただきました。
ただ、お米が少し臭いのが気になりました。
ご飯をちゃんと食べて、
民宿のおばさんが家の周りを掃除しています。
片山さんが民宿のおかみさんに色々、
島に関する話を聞いていました。
テレビをつけないで ノーテレビ運動を呼びかけています。沖縄の渡名喜島では、ノーテレビ運動を島全体に、呼びかけています。ノーテレビで、家族団らんを
【ノーテレビで家族団らん
親子で楽しいコミュニケーションを沖縄渡名喜島では、
ノーテレビ運動を呼びかけていました。その9】
離島の旅 渡名喜島 テレビをつけないで ノーテレビ運動
渡名喜島の民宿となきで、朝食後、部屋に戻って一休みして、
朝10時ちょっと過ぎたころから、昨日に続いて、
渡名喜島を回ることにします。
渡名喜の島は西の方向に港があって、
左右の方向は南北となっています。
そこで、まずいったん港の方向に出て、
そこから向かって南側の方向に行きます。
今日のシュノーケリングの場所をを探します。
ラモ岳150m、大岳176m、その間に島尻崎があります。
ここに徒歩で、浜に降りていけるかどうかを探ります。
島尻崎は、断崖絶壁のところですが、
宿の奥さんの桃原さんは小学校の頃、遠足にいっていたので、
子供が行けるなら大人も行けると思い、進んでいます。
かつては畑だったところが、今は牧草地になっています。
ここを降りて行けるか、確かめます。
草深いところにいくときは、ハブに注意を忘れてはいけません。
だんだん行き着いた先が見えてきました。潜るのによい場所です。
ところが、断崖は途中でみちが止まり、後は一直線に落ちます。
草もボーボーです。
これはちょっと難しいのではないかということで、
ハブも怖いけど、落下も怖いので、諦めました。
この第一候補を諦めて、もう一度また島の南の方をまわってみます。
11時ごろ、フェリー那覇が出港しているところです。
これから久米島にいくのでしょう。
島を巡って民宿となきに帰ってきました。
今度は歩いて、村の中心地の商店に、
片山さんが魚釣りをする餌となる、
秋刀魚の冷凍を買いに行きます。
やまと食品はしばらくお休みで開いていません。
渡名喜島は、公共設備が整っています。
公共設備があれば、公共設備を守る、公務員の活躍場所があります。
渡名喜島の診療所 警察 郵便局
昨日散歩で出会った、先生が勤務する、診療所がありました。
渡名喜島は、戸無き島と、言われるくらい、
泥棒がいないと言われる島ですが、平和な渡名喜島にも、
島を守る、警察がありました。
駐在所にはパトカーがあります。
郵便局もあります。
この郵便局が、渡名喜島で重要な金融機関になります。
ノーテレビで家庭団欒 親子楽しいコミュニケーション
商店を探して歩いていると、
「ノーテレビで家庭団欒 親子楽しいコミュニケーション」
の立て札がありました。この意見に賛成です。
ノーテレビ運動は、松葉博雄が実際やりました。
松葉博雄の子供たちが、幼稚園や小学生のとき、
家にあるテレビの線をはさみで切って、以来7年間、
テレビを見せない時代がありました。
テレビが無ければ、食事の時には、親の話を聞き、
子供の話を聞き、家族の話が弾みます。
渡名喜島の町並み保存は、慣れるまではどこもよく似た町並みに見えました。
迷路に入ったように思ってしまいます。
どの家も表札がでていません。
頭の中で覚えるしかありません。
どの道をどう行けばどこに行くか、
何回か歩けばわかってきます。
秋刀魚を売っているお店は、島に三軒あるそうです。
一つ目の桃原商店では秋刀魚はありませんでした。
桃原商店に尋ねると、
民宿ムラナカさんならあるということなので、
看板が出ていない民宿ムラナカを探します。
探しまわった末、ありました。
離島の旅 渡名喜島 ふくぎ食堂
ちょうどお昼ごろになったので、
憩い処西門でご飯を食べようとなったのですが、
あいにく開いていませんでした。
代わりに、昨日ダメだったふくぎ食堂に行くと、開いていました。
ふくぎ食堂で、オリオンビールとトンカツを注文しました。
片山さんは焼きそばです。
聞こえてくる音楽は中南米の音楽:レゲエのようです。
時々沖縄のCDかなあ、有線かなあと思って聞いています。
ふくぎ食堂は、比較的新しいお店のため、
片山さんと、ふくぎ食堂が建てられて何年ぐらいか考えてみました。
松葉は3年ぐらい、片山さんは10年ぐらいと予想しました。
お店の人に尋ねてみると、答えは3年でした。
12時をまわった時の渡名喜の島は、
立っているだけでじわっと、暑くなってきます。
沖縄の好きな松葉博雄には、この暑さが、柔らかさに感じるのです。
人の住んでいない場所でも、ふくぎの木が茂っているところには、
落ち葉のふくぎの葉が清掃され、ほうきの掃け目がついています。
村全体で地域保存していることがわかります。
長澤まさみ主演の映画「群青」のロケ地です。誰もいない海、温もりの海郷(さと)でシュノーケリングをします。
離島の旅 渡名喜(となき)島の海
誰もいない海に、珊瑚の群青を求めて、
渡名喜島の誰もいない海に入ります。
海の中は、音の無い世界です。
断崖絶壁の、急な崖の下には、恐ろしそうな恐怖感があります。
渡名喜島の昼食は、ふくぎ食堂で頂きました。
ふくぎ食堂のランチタイムは、11時30分から14時までで、
昨日はランチタイムを外してしまっていたので、断られました。
お昼を食べて、ビールも摂取したので、気が緩んでしまいました。
でも、目的を忘れてはいけません。
はるばる神戸からこの渡名喜島に渡ってきたのは、
美しい海、美しい海中、美しい魚を見るためです。
そのためには、気の緩んだ状態は引き締めます。
離島の旅 温もりの海郷(さと)渡名喜島
温もりの海郷(さと)渡名喜島では、長澤まさみ主演の映画「群青」
のロケ地が、渡名喜島のあちらこちらに紹介されています。
午後の部の運動がはじまります。
1時すぎて渡名喜の海に出かけます。
昨日と同じ浜辺です。北の方向に場所を変えてみます。
岬の端の方向です。
鉄筋がたくさん打ち込んで、もずくの養殖をしている所を避けて、
一番岬の近いところに行きます。
この浜辺は、長澤まさみさんと佐々木蔵之介さんと福士誠治さんが、
流木に座って、映画「群青」の重要なシーンを演じた場所です。
渡名喜島の海に潜る
これからウェットスーツに着替えて、海に入ります。
遠浅の海のようです。付近には絶壁があります。
この後は、海中写真をします。
潮が引いているので、遠い沖まで歩いていかないと、水に入れません。
珊瑚礁のかけらがちった浜辺は、
珊瑚の破片が足にささって、歩くのに痛いのです。
ゆっくり少しずつ歩いていきます。
片山さんの今日の計画はシュノーケリングをしながら、
魚を釣るという方法です。
道具は浮き袋にのせ、そして、さおは手に持っています。
渡名喜島のサンゴ礁は死滅
海に入ります。砂地のキレイな海が見つかりました。
水も透き通って綺麗です。たくさんの魚も良く見えます。
枝珊瑚が所々生き残っていますが、多くは死滅しています。
突然、水深が深くなった場所を見つけました。
水深が深いところは、水温が低いのか、
枝珊瑚がまだ生き残っています。
これは、白科現象が起きなかったようで、
水温があまり上がらなかったせいでしょうか。
珊瑚礁の魚も、こちらを気にしているようで、警戒的な視線を、
こちらに送っています。
水深が深くなっているところは、
10メートル以上の深さとなっています。
周りを見てみます。
深いところを撮影しても、
深いところは光が届かないので、あまり綺麗には撮れません。
もう一度浅いところへ戻って、魚の方を見てみます。
魚が威嚇してこちらを見ています。
いくらか枝珊瑚が残っていました。
周りをぐるっと見てみると、
片山さんは断崖絶壁の上に立っているような形で釣りをしていました。
もう一度深いところにいってみます。
海水魚たちは、エサをばらまけば、たちまち寄って来ます。
でも、手持ちのエサがありません。
エサをもってきてないので残念です。
片山さんがさおの先につけた
エサの冷凍サンマが海に沈んでいくと、
エサに向かって魚が集まってきます。
そこに魚が集まってきているのがわかります。
どんどん集まってきています。
普段、魚を釣ってる時には、
海の中の魚が集まっている状況を見ることはありませんが、
今日は、片山さんが釣る人で、
松葉博雄は見る人に作業分担しているので、
海の底の魚を見ることができました。
少しずつ魚が集まってくると、岩の間の穴に隠れている、
警戒心の強い魚も集まってくるのです。
魚が集まってくると少しずつ警戒感の解けた魚がやってきます。
見ていると、どんどん集まってきています。
片山さんが釣りたいのは、高級魚です。
うまくいくでしょうか。
渡名喜島の釣り モンガラカワハギがかかる
結局、片山さんが釣り上げたのは、
観賞用であれば人気のモンガラカワハギです。
モンガラカワハギは、水槽で飼うと、
とてもかわいい愛嬌のある魚ですが、
今日は水槽で飼うわけでも無く、
食べるつもりもないので逃がしてあげました。
モンガラカワハギは、もがき苦しんでいましたが、
口先から鋭い金の針を外されると、
一目散に海の深い方向に逃げていきました。
魚を釣る場所を代えることにして、
深い谷底のような地形を横断します。
海の底が見えないほど深いので、
およそ20メーター以上あると思います。
横断中に、マンタが見えました。
エイです。これはラッキーと思い、マンタに向けて、上の方向から、
下のマンタのいる方向に向けて、カメラのシャッターを押したつもり
ですが、不思議なことにマンタが写っていません。
マンタが泳いでいるのであれば、かなり深い水深です。
このあたりには珍しいサンゴが残っています。
こちらでもまた釣っていましたが、だんだん潮が満ちてきたので、
思うように釣れなくなりました。
魚釣りは諦めて、いったん陸に上がります。
いったん陸にあげて、場所を変えます。
昨日と同じ場所に行きます。
少しずつ潮が満ちてきたので、
遠くに行くことが難しくなりました。
途中で、休憩しながら、
魚のいそうな足がかりのある場所を探していきます。
結局上手くいきませんでした。次は陸上です。
愛の聖地 渡名喜島 二人の愛:叶えたい二人の愛を、叶えたければ、渡名喜島の渡名喜里遺跡に登り、展望台に書かれている通りにしてください。
【渡名喜島の村長の考えでは、二人の愛を、叶えたければ、渡名喜島の渡名喜里遺跡に登り、展望台に書かれている通りにしてください、とのことです。
離島の旅 愛の聖地 渡名喜島
二人の愛:叶えたい二人の愛を、
叶えたければ、渡名喜島の渡名喜里
遺跡に登り、展望台に書かれている通りにしてください。
誰もいない海から、いったん、
陸へ上がって、時刻は5時ぐらいです。
頭上を見れば、鱗雲がきれいです。
雲が見えるのは、石の森公園のほうです。
民宿となきに帰って、
真水で体の潮を流して、洗濯して、ついでに干します。
鏡で顔を見れば、昨日今日のちょっとの間に、日やけしてきました。
片山さんの愛犬リーは、猫が近づくと激しくほえています。
渡名喜島には猫がたくさんいます。
猫は、リーが、紐でくくられているのを知っていて、
あまり怖がっていません。
ところが、リーは、そんな猫の甘い態度が許せなくなり、
力づくで紐をちぎり、紐がちぎれると、
一目散に猫に攻撃を始めました。
でも猫のほうが逃げ足が速く、
四つに組んだ、力相撲にはなりませんでした。
リーの一戦を見て、食事前の散歩にいってきます。
愛の聖地 渡名喜島 西森園地展望台
西森園地展望台に向かいます。
きつそうな階段を、一歩一歩、足を上げて、上っていきます。
途中、NTTの通信施設がありました。
柵があり、赤外線カメラで監視中とのことです。
柵の中に入ってはいけないそうです。
通信機のない時代の昔は、島と島の通信は煙を使ったり、
旗を振ったり、のろしを上げたりして、通信をしていましたが、
今の時代は、無線の時代で、
無線の通信施設は、現代ののろし台です。
急な坂なので、一歩一歩が腰に大きく負担をかけていきます。
持って来たペットボトルのお茶を飲みながら、苦しさを堪えています。
NTTの通信施設を過ぎ、展望台をやりすごすと、
間もなく山頂に着くところです。
このあたりは、暗い夜にくると危なそうです。
ハブが今にも出てきそうなところです。
西森園地展望台 里御獄
里御獄に着きました。島随一の信仰地です。
14~15世紀頃のグスク時代の遺跡であり、
当時の生活を思わせる建物跡や土器、
陶磁器、鉄釘などが発見されています。
里御獄に登る途中に、パイナップルみたいな、
熟れたアダンの実が目につきました。
アダンの実が熟すると、ヤシガニがやってきます。
アダンの実は、熟すると、甘い匂いが漂ってきます。
渡名喜里遺跡
渡名喜里遺跡です。向こうには入砂島が見えます。
米軍の演習場です。
6時をまわったころで、日は西に沈んでいっています。
振り返って里を見てみると、渡名喜島の民家が見えます。
着陸寸前の飛行機から見るように、
渡名喜島の民家が手にとるように見えます。
福木の木が風から家を守っています。
今日泳いだ場所も見えます。
ゆっくり、一歩一歩、感慨に浸りながら、ゆっくり降りていきます。
渡名喜島の民家は、島の平ったいわずかな場所に、
かたまっていることがわかります。
途中展望台がありました。
愛の聖地 渡名喜島 展望台
展望台に寄ってみると、展望台のテーブルには、白い文字で、何か詩
のような文言が書かれています。
何でしょうか。ちょっと、傍に行って、読んでみます。
読んでみると、ここから、
「夕日に向いて この丘から 二人の愛を誓い 祈れば 必ず 願い
は かなう」そうです。
ありがたいことです。それが本当なら、ありがたいことです。
恋に悩むこともありません。
とにかく、片思いの相手とここに来て、一緒に祈れば叶うのです。
しかし、誰が発案したのでしょうか。渡名喜島の村長でしょうか?
民宿となきが見えます。
上から見てみると集落から外れた場所に一軒、
孤立していることがわかります。
民宿となきの壁は、ペンキで塗られ、
カラフルなので、景観にそぐわないかもしれません。
そのために、集落から外れた可能性もあります。
今日も、7時ごろ夕食です。
今日の夕食は片山さんが釣ったお魚をか
ら揚げにしてもらいました。
塩をふりかけて食べると美味しかったです。
愛の聖地 渡名喜島の夕日
7時30分ちょっと前に夕日が沈んでいきます。
民宿となきの屋上に上がって、
夕日を見ることにします。
燃えるような夕日が、地平線のかなたへ、
ゆっくり沈んでいく様子を期待してます。
わずかな時間の間に、天地を染めるような、夕日を期待しています。
少し雲がかかっています。
鱗雲が夕日に映えてきれいに輝いて見えます。
7時30分ぐらいには日が沈みました。
部屋に戻ってしばらく休憩して、あたりが暗くなってくると、もう一
度、民宿となきに上り、星を見に行きました。
七夕の天の川を期待しています。オリオン座は見えました。
北斗七星が見えて北極星が見えましたが、
天の川は見えませんでした。
離島でも、夜道を街灯が照らし、
以外に、島の周りが、照明で明るかったです。
与論島の時は、真っ暗闇で、渡名喜島も、与論島の時のように、
いわゆる鼻をつままれてもわからないほど暗い、
夜空を期待していました。
渡名喜島で心の洗濯ができました。映画「群青」には、松葉博雄が訪れた場所こそ、映画の核心の場所でした。 【映画「群青」の核心の場所は、海の見える美しい砂浜でした。
渡名喜島で心の洗濯ができました。
沖縄県の渡名喜島では、
他のリゾートでは体験できない、素朴な旅をしました。
渡名喜島観光案内ガイドマップに、紹介されてる場所は、
二日もあればほとんど周れます。
温もりの海郷(さと)渡名喜島、
ここでは長澤まさみ主演の
映画「群青」のロケーション現場になっています。
7月11日、日曜日です。今日は参議院選挙の投票日です。
朝、7時ちょっとすぎて目が覚めました。
小鳥の鳴く声がよく聞こえてくるからです。
自然の中で健やかな目覚めです。
8時ごろこから朝ごはんの予定なので、顔を洗って外に出ます。
リーくんはこの島にきて、
この島のことをどう思ってるでしょうか。
ちょっと周りを歩いてみます。
3日目になると、少し島になじんだ気がしますが、
長澤まさみ主演の映画「群青」のロケ地を一巡して、
渡名喜島に馴染みができました。
せっかく馴染んできた、その時には帰る日になります。
福木の通りです。島のちょっと高いところから見ると、
民宿となきはすぐにわかります。何か特別なのでしょうか。
離島の旅 渡名喜島 民宿の食事は質素でした
朝ごはんのメニューです。
味噌汁にあさりが入っています、ししゃももあります。
この土地でとれたものはどれでしょうか。
卵もありましたが、鶏の声は聞きませんでした。
民宿となきの女将さんとも馴染みになりましたが、お別れです。
ただいま民宿となきの旦那さんは、那覇にいっていて、おかみさんは
留守を守っているそうです。
朝ごはんをいただくと、部屋をあけ渡すときになります。
この部屋が二日泊まった部屋です。
周りの写真を撮ります。向こうに見えるのは里御獄です。
向かいの空地は、樹木が生い茂った廃屋です。
片山さんとまだどっか行ってないとすればどこだろうかと思って見つけたのが、
浄水装置です。淡水化装置です。
宿のおかみさんに聞いても、
「今、飲んでいる水も、海水を淡水化した水ですよ」といわれました。
海水淡水化装置
島民の使う水は、ほとんど海水から、淡水にした水だそうです。
案内図に表記された、淡水化装置の周りを周ってみても、
それらしき看板はありません。
きっとここじゃないかと思った青い建物です。
周りは草原で、やぎが草を食べています。のどかな風景です。
ヤギさんにお願いしておけば草を食べてくれます。
淡水化装置の近くには、小中学校があります。
周りをもう一度ぐるっと周ってみます。
島の南側の廃棄物処理場があるあたりです。
このあたりをリーと散歩しています。
向こう側にはNTTが海底からひっぱてきたケーブルがありました。
フェリー乗り場の前にあるこの村の案内図です。
三日目となると大体どのあたりのことを
言っているのかがわかるようになりました。
一番中心が東と西の村をぬける村道一号道路です。
船がくるのを待ちます。乗車券をもっています。
位置関係は那覇から久米島、その間に座間味諸島があります。
そこからちょっと離れたところに渡名喜島があります。
日陰で船の到着を待ちます。
10時に船が入港する予定になっています。
10時ごろ入ってきました。久米島丸です。
外国のかたも下船してきました。入れ替わりに船に乗ります。
10時15分発になっています。
わずか2泊の渡名喜島でしたが、帰るとなると寂しく感じます。
渡名喜島で、長澤まさみの映画「群青」が、撮影されたことは知りませんでした。
渡名喜島に来てみると、若い、美しい女性の愛が生まれるのも、
もっともだと思いました。
渡名喜島を出航:久米島丸は、渡名喜島をゆっくり旋回しています。映画「群青」のロケ地、渡名喜島へいつの日かまた来たいと思います。
【渡名喜島を出航:久米島丸は、大本田(ウーンダ)展望台、島尻毛散策道を左舷に見ています。
離島の旅 渡名喜島港を出航
久米島丸は、渡名喜島をゆっくり旋回しています。
映画「群青」のロケ地、渡名喜島へいつの日かまた来たいと思います。
出航です。久米島丸に乗って、渡名喜島港を出港です。
渡名喜島を取り巻く海は、青い海、きれいな海です。
とても素晴らしかったです。
久米島丸は、渡名喜島をゆっくり離れていきます。
島の中心部に平地があり、平地に人がいることがわかりました。
東側と南側は険しい山です。
フェリーが出入りする水路は、珊瑚礁を砕いて、
深く掘られているわけですが、
下を見てみると珊瑚の海だということがわかります。
この辺で泳げば良かったと思いました。
二日間、魚を求めて泳いだ海の、
映画「群青」のロケーション地になっていた、
島一番の美しい場所が見えます。
ゆっくり船は離れていきます。
海上保安庁の標識が見えるあたりが、
水路と海洋との分れ目です。
海洋に出てきました。
渡名喜島をぐるっと周るように船は那覇のほうに向かっていきます。
島尻崎の方に向かっていきます。
島尻崎のほうでは降りれなかったことが残念ですが、
船から見ているとなんだか、歩けば降りられそうな、
海への降り口が見えてきました。
あの道が見つかれば降りられたのかなと思います。
向こうは入砂島です。
大本田(ウーンダ)展望台が見えます。
外から見ると険しい船がつくことも許さないような島に見えますが、
人の力で何とかつけるようになったのでしょう。
人口は431名の小さな村です。
通る道が見えました。あそこ降りたら良かったのにと思います。
しばらく船で昼寝です。
帰りの船では、学習効果が働き、ちゃんと缶ビールを用意しています。
冷えたビールを飲みながら、
沖縄の離島航路を進むのは、最高の気分です。
11時20分ごろには座間味諸島が横に見えてきました。
渡嘉敷島などがある座間味です。
座間味を通り過ぎると沖縄本島が見えてきました。
沖縄本島に行く途中に、砂だけの島、以前に行ったことがある
レジャーランドがありました。砂だけの島です。
村から借りて、そこで海水浴の施設をつくっています。
本島に入ってきました。
まず、那覇の飛行場が見えます。
12時をちょっとまわったところです。
泊大橋をくぐりぬけて、船着場に着きます。
去年と同じように大東島にいく船がとまっていました。
この船にも乗りたいといいながら、なかなか乗れません。
南大東島と北大東島に行く船です。
船が接岸して渡名喜島の旅は終わりです。
接岸して降りたのは12時25分ぐらいです。
車が出てくるのは12時30分ぐらいです。
2010年7月9日(金)