京都東山・三十三間堂 :三十三間堂の板張りを歩きました。三十三間堂は千躰の仏像を守っています。
三十三間堂へ行ってきました。三十三間堂の、瓦の重さ、床板の厚さ、柱の強さ、これらが千躰の仏像を守っているのです。京都へ近隣ツアー(4) 京都東山・三十三間堂[その1] 2010年5月京都近隣ツアーの続きです。
三十三間堂は国宝「蓮華王院」
三十三間堂は国宝で、正式には、「蓮華王院」といい、
長寛2年(1164)鳥辺山麓の後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造進しました。
三十三間堂は約80年後に消失しましたが、すぐに復興に着手し、
文永3年(1266)に再建されました。
その後、室町・桃山・江戸・昭和と4度の大修理により、700余年間保存されています。
三十三間堂の長いお堂は、和洋の入母屋・本瓦葺の「総檜造り」で、約120メートルあります。
正面の柱間が33あることから、「三十三間堂」と通称され、
堂内には1001体もの観音像が祀られています。
三十三間堂の中央の巨像(中尊)を中心に、
左右に各500体(重文)、合計1001体がご本尊です。
正しくは、「十一面千手洗眼観音」といい、三十三間堂の像は檜材の「寄木造り」で、
頭上の11の顔と40種の手に表現されています。
中尊(国宝)は、大仏師湛慶(運慶の長男)82歳の時の造像で、
鎌倉期の名作と評価されています。等身立像の中、
124体はお堂創建時の平安期のもので、
他の800余体は鎌倉期の再建の折りに約16年をあっけて復興されました。
堂内両端のひときわ高い雲座にのった風神と雷神像は、力強く活動的です。
古代人の自然や天候に対する畏れや感謝の心が、
空想的な二神を創造し、風雨を司り、「五穀豊穣」をもたらす神々として信仰されました。
太鼓を打つ雷様と風の袋を抱えた風の神というイメージを決定づけた
鎌倉彫刻の名品(国宝)です。
観音像の前列と中尊の四方に位置する変化に富んだ28体の仏像(国宝)は、
千手観音とその信者を守るという神々で、インド起源のものが多く、
その神話的な姿が迫真的に表現されています。
技法的には檜材の「寄木造り」で、仏像の手や顔を別々に刻んで接着し、
漆を塗って彩色仕上げをしたものです。
目にはより写実性を高めるため、
水晶をはめ込む「玉眼」という技法が用いられています。
さすが、国宝に選ばれた重要文化財での三十三間堂です。
すぐ側まで近寄って、周りの観光客の皆さんの人並みに押されて見ていると、
なんとなく競争心が沸いてきます。
「隣の人よりたくさん見ないと、今見ている人よりたくさん理解しないと」と、
後から試験があるわけでもないのに、側に書いてある注釈書を一生懸命読んで来ました。
この後すぐに試験をしてくれたら、きっといい点が取れたと思います。
次はお庭に回ってみます。不思議なことに、三十三間堂のお庭はすばらしいにも関わらず、
見て回る観光客は少なく、むしろ静寂さも感じられるほどのゆとりがありました。
コンクリートの作る、近代建築もすばらしいけれど、
木造の壮大で重厚な、仏教寺院の重々しさは、
コンクリート建築では味わえない歴史的な重みを感じます。
キリスト教の寺院は、天に向ってより高く、より鋭く、伸びていくように、
仏教寺院の屋根もなだらかな勾配(こうばい)をとりながら、
その先端は、瓦を積み上げて、鯱瓦(しゃちほこがわら)を戴き、天に伸びていっています。
その鯱瓦(しゃちほこがわら)の先には、
京都の皐月の爽やかな五月晴れが続いていました。