「世の中の遊戯や娯楽や快楽に満足を感ずることなく、心ひかれることもなく、装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ1人歩め」スッタニバータ(59)より
岳父の3回忌法要(2)
3回忌の法要を終えると、お膳を用意し、故人のために法要をするのが、仏教の習わしです。
と言っても、今は、自宅でおもてなしができません。外の料亭で、おもてなしとなります。
故人を偲ぶ会席なので、やや慎み深いお話に心掛け、この世とあの世に繋がるお話をして、少しでも修業が進んでいることを、故人に聞いてもらいます。
美味しい物を頂くときも、自分は、生かされていることを食材に感謝し、「これも護ってくれる人がいるから」と、ご先祖様に感謝するように食べると、修業が進んでいると言われています。
美味しい和食は、自分が生かされていることを感じますが、美味しくない料理が出たときにも、お陰様でという気持ちにまで、修業が進んでいません。
今日の会席は、夏の終わりから、秋の始まりを告げる食材が続きます。
故人にまつわる話が続き、法要らしくなってきました。
松葉博雄の子どもの頃の法要は、法要の後、和尚さんも一緒にお膳に向かい、大人たちは、姿勢良く、行儀良く、会話を選んで話していたように記憶しています。
代わる代わるお皿が代わり、少量でも、品数が多くて、「ありがたや、ありがたや」と思っているうちに、お腹も一杯になってきました。
さらに、お味噌汁が出て、ご飯が運ばれてくる頃には、もうお腹も一杯で、もったいなくも、ご飯を残してしまいました。
「こだわりのない人は、たじろがない。しかしこだわりのある人は、この状態からあの状態へと執着していて、輪廻を超えることがない。スッタニバータ(752)
いろいろなお寺の和尚さんのお経を聞いていて、その内容は、人生の生き方に関する、優れたことを、きっとお経では唱えていると思いますが、何を言っているのか分からないお経から、もっと耳から心に届く言葉で、話してくれたなぁ…と思います。