頼山陽の縁に繋がる旧家を見た後は、竹原市の浄土宗西方寺の楼閣から、京都の清水寺の舞台から見るように、周囲を一望し、風光明媚な竹原の海に感心しました
近隣ツアー広島県三原・竹原編(4)
竹原市と言えば、頼山陽の実家のあったところです。
保存地区の旧家の中に、頼山陽の親戚のお家が保存されています。
入場無料ということで、入ってみました。
親切なことに、「このボタンを押すと、案内があります」と掲示があり、ボタンを押してみると、このお家の由来が分かりやすく説明されています。
江戸時代の古いお家で、外が暑くても、家の中に入ると涼しく感じました。
これほどのお家は、相当財力のある人が建てたことが分かります。
当時の一般庶民だと、とても100年以上持つお家は建てられません。
細い柱に竹で組んだ仕切りを作り、赤土を練って、土壁にして、部屋を作ります。
屋根は瓦で作るのは、金持ちのする建て方で、藁か板葺き、もしくは茅葺きです。
火事に弱く、周りのお家に火災が発生すると、風向きによっては、広い地域のお家が一瞬に焼けてしまいます。
険しそうな急階段の石段があります。登ってみましょう。
長女が後から着いて登ってきます。
お寺の名前は、浄土宗西方寺です。上の方には楼閣があります。心地よい風が吹いて、石段を登ってきた暑さが、緩やかに消えそうな、涼しさを感じます。
西方寺には、目立った楼閣がありました。京都の清水寺を模して1758年(宝暦8)に建てたといわれ、十一面観音像が安置されています。高台にある楼上からは、竹原の家並みや瀬戸内海を一望することができます。
「パパ、写真撮ろうか」と、娘が言ってくれたので、ここで一枚撮ったのが、瀬戸内海の方向を指さす写真です。
楼閣に登ってみると、先程より少し高くなっただけでも、竹原の海がもっと広く見えるようになりました。
下で待っている皆さんにも、見せて上げたいほど、風光明媚な景色を一望し、長女と一緒に階段を下りて、日中の日照りで暑くなった車の中に収まります。
帰りの道は、来た時よりも、速く神戸に着きました。
どうしてだろうと、考えていると、行く時は、目標地がどのぐらいの距離になるのか、頭の中でははっきり整理出来ていません。
しかし、帰り道は、自宅に帰るのですから、どのぐらいの距離か整理が着いています。
この思考回路がはっきりしていることで、近く感じるのではないかと思いました。
2009年6月28日(日)