恩納村前兼久のシーミー祭に参加し、多くの門中にご挨拶出来ました。ビールを飲み過ぎて、フラフラしながらホテルに戻る途中、前兼久のバス停に書いている、恩納ナビーの歌詞を読んでいます 第107回沖縄訪問(11)
恩納村前兼久のシーミー祭に参加し、多くの門中にご挨拶出来ました。ビールを飲み過ぎて、フラフラしながらホテルに戻る途中、前兼久のバス停に書いている、恩納ナビーの歌詞を読んでいます。
【沖縄の一族の結束は、祖先礼拝にあります。毎年4月(旧暦・シーミー)には、門中が集まり、祖先を祀るお墓の前で一族の皆さんがお弁当を持ち寄って、一族の繁栄をお祈りします その11】
シーミー(清明祭)のお墓巡りです。初めの金城家から、次に朝日会で顔馴染みの米須さんのお墓に行きました。
米須さんのお墓は、自然の立木が日陰を作っています。
米須家でも「松葉さん、あれも食べなさい、これも食べなさい」と勧められて、たくさんお料理が用意されていますが、あれもこれもと勧められるすべてを食べきれるものではありません。
原因は、ビールを中心に、食べるよりも、飲む方でお腹が張っているからです。
米須さんのお墓を出て、登川喜永さんと一緒に他の門中へ挨拶に行く途中、強い霊気を感じました。
霊気は、何だろうと立ち止まって、周りを見てみると、霊気が出てくる場所は、籔のようになったガジュマロに覆われた空間です。
霊気が湧いてくる源泉に向かって、さらに調べてみると、どうやら昔、ここにお墓があった跡のようです。このお墓は今放置されています。誰もお祀りをしていません。ここから強い霊気が発せられていることが分かりました。
次に、山城家にも行きました。山城興善さん、山城良一さんのところです。こちらはまだシーミーが始まったばかりで、あまり多くの山城家の門中の方は集まっていません。
前兼久の墓所の周りをぐるっと回ってみます。
午後2時ごろから始まって、少しずつ日が傾いてきました。夕方の4時ごろでしょうか。
少し高いところから前兼久の集落を見ています。
国道58号線から少し入るだけで、こんなに昔の沖縄の空間が残っています。
シーミー祭は、地域により、それぞれの家によって、お祀りをする日にちが違うこともあるので、前兼久の墓所がすべて今日、お祀りをするために集まっている訳ではありません。
別の日に、シーミー祭をするお家もあるようです。高いところから、周りを見ながら、昔の前兼久のことを考えています。
今となっては、欲しいと思っても、そう簡単に頂ける土地がなかなかありません。戦後直後の頃は、国や県や村から畑を開拓するために、土地を払い下げてもらった時代がありました。
何千坪の土地も、子供の代、孫の代へと相続するうちに、だんだん分割されて、少しずつ狭くなってきています。
登川喜永さんの墓所にもお詣りに行きました。
すでに、あちらこちらでご馳走を頂いて、ビールをしっかり頂いたので、もう頭はフラフラして、酔っぱらっています。
飲み過ぎたようなので、日差しもまだ明るいことから、一度ホテルに帰って休むことにします。
国道58号線を北に向かってひとりで歩きながら、前兼久のバス停の前を通ると、バス停の壁には、「恩納岳あがた 里が生まり島 森んうし除きてい くがたなさな」と、女性歌人の恩納ナビーの歌が書かれていました。
5時半すぎにゆっくり歩いてホテルに戻ります。
ところどころに、サツキや百合など、神戸よりも2月ぐらい早い時期に花が咲いています。
第107回沖縄訪問のメインテーマは、シーミー祭に参加することです。
昨年は、参加出来なかったシーミー祭に、今年は参加出来て、顔馴染みの門中の方々に、ご挨拶できて良かったです。
前兼久を切り開いてきた、今の人たちのご先祖様にも、ご挨拶が出来ました。
2009年4月12日(日)