高齢者の書くブログ 朝日新聞社で自分史を書く手順を振り返っています
投稿No:7820
高齢者の書くブログ 朝日新聞社自分史の原稿第1稿の校閲が終わりました。(朝日新聞社自分史 その5)注意:日付けの最新版から掲載しています
高齢者の書くブログです 高齢になると自分史を書きたくなりました
朝日新聞社の自分史の編集打ち合わせです。
今回は第4回目の編集会議です。
自分史の文章はほとんど出来上がってきました。
私が原稿を朝日新聞社に送ると、朝日新聞社では原稿を校閲します。
この校閲作業は、大変地道な作業です。
私は普段通り文章を書き進めていましたが、これを出版するとなると、地道な校閲作業が並行して進んでいます。
今回は、完成文章の第2稿の校正です。
朝日新聞社の校閲段階で指摘されたことは、驚くほど緻密な箇所です。
例えば、単位でm(メートル)と表記していると、仮名表記のメートルに統一する指摘がありました。
%でもそうです。
%は仮名文字でパーセントに変えました。
時代検証もありました。
30年も40年も前の事をうろ覚えで文章にすると、その時代の日時、背景、出来事などを朝日新聞社の資料から検証して、間違いを見つけて、正しい表記に改めるように指摘がありました。
1995年の阪神淡路大震災の記録は、私の書いた手帳の記録が頼りです。
記憶よりは、記録の方が確かです。
手帳を取り出して、その頃の出来事を確認しながら、校閲からの指摘が正しいかどうかを確認しました。
コンタクトレンズの歴史については、校閲から指摘がありました。
以前に、ドラマで「校閲ガール」のドラマがありました。
校閲の仕事を、ドラマを見て理解できました。
とても、地道な仕事でした。
私の場合、校閲から指摘されたことは、自分自身が思ってもみなかったことでした。
例えば、ソフトレンズや使い捨てレンズの登場した年月について、日付を製品化した年なのか、
監督官庁の製造許可を取得した年なのか、製品として販売が始まった年なのか、微妙な違いがあります。
校閲の方は、インターネットで業界誌、学会誌、メーカーのホームページなどを閲覧して、年号を確認しています。
私は自分が書いた修士論文を基に年号を確定したつもりでしたが、いずれの年を基準にするかによって年号が変わってきます。
最も沢山の指摘があったのは、表記に関する事です。
同じ言葉が、かな表記であったり、漢字表記であったりすると、いずれかの表記方法に統一するように指摘がありました。
文部科学省が定めている当用漢字の使い方についても、沢山の指摘がありました。
送り仮名の間違いです。
例えば、『入口』は、『入り口』が当用漢字の使い方になります。
その他段落の打ち方、改行の変え方などは、全ページにわたって校閲から指摘がありました。
2017年5月に神戸の朝日会館で、初めて朝日新聞社の自分史編集委員の方とお会いして、
もう1年が経過しました。
文章を書くことは、ストーリーを考えて、どのような話にするかいろいろ考えました。
考えたストーリーをパソコン上で文字にしてみましたが、校閲にまわると、ストーリーよりも表記の方法についてかなりの時間を校閲に使いました。
次の作業は、自分史に入れる写真の選定です。
デジタルカメラが使われるようになってからの写真は沢山手元にありますが、DPEの時代のモノクロ写真は、阪神淡路大震災の被災があったので、沢山は残っていません。
およそ1ヶ月かけて写真を選びます。
挿入する写真が選び終わると、次の作業に進みます。
高齢者の書くブログ 朝日新聞社の自分史作りは、全体のストーリーを書き終えました。
自分史を書くにあたり、年表を作り、その中から大きなトピックを選んで、ストーリーを組み立てました。(朝日新聞社自分史 その4)
朝日新聞の自分史作りは、昨年の2017年5月の説明会から始まっています。
どんなストーリーにするのか、自分で考えて書き進めました。
第1回編集会議は、2017年8月に会社の応接室で朝日新聞自分史編集者の杉山知之さんと打ち合わせをしました。
第3回目の編集会議は11月28日でしたが、これはブログには書いていません。
昨年末に全ての文章を書き終えると、文字数はおよそ10万文字になっていました。
初回原稿をメールで杉山知之さんに送ると、2月になって初回原稿が縦書きになって、細かい点について修正の必要が出てきました。
第4回編集会議は、2018年3月3日のひな祭りの日です。
杉山さんの意見では、ストーリーについては出来上がっているので、ここから細部にわたり校閲が始まるそうです。
驚くほど細かいところまで校閲が入ります。
何しろ、過去の記憶を思い出しながら書いているので、時代背景や歴史的事実などに思い違いや間違いがあるかもしれません。
阪神淡路大震災で被災したため、沢山の記録が無くなっています。
これまでの過去は、今のようにデジタルカメラも無ければスマホもありません。
メモ代わりに写真に撮っておく、今の便利な方法はありませんでした。
多くの指摘を受けたのは句読点の打ち方でした。
あまり句点が多すぎると注意があり、句点が少ないと、句点を入れた方が良いという指摘です。
まだ挿入する写真は決まっていません。
写真についても版権の問題があるので、自分の写真を使う事が求められます。
阪神淡路大震災のように、多くの写真が残っていれば、朝日新聞社の写真を使用出来るそうです。
自分史を書いている時は、頭の中はその頃の出来事が蘇ってきます。
思い出せないことも沢山あって、そんなときは寝ていても夜中に目が覚めて、突然当時の事を思い出すこともありました。
そんなときはすぐに枕元のメモ帳に思い出したことを書き留めておかないと、翌朝には何を思いだしたのかも思い出せないこともありました。
自分史に集中していると、頭が過去のことで固まってしまうことがあり、夜眠れないこともありました。
普段は過去のことは忘れてしまっているのですが、昔の事をテーマにした自分史作りでは、過去のことを細かいことまで思い出す苦行が続きました。
一応腰が出来たので、朝日新聞社の校閲を待って、次の作業に進みます。
2018年3月3日(土)
高齢者の書くブログ 朝日新聞 自分史の執筆は、進んでいます。杉山知之さんに指導を受けて、さらに完成度を高めていきます。
自分史を書き始めると、過去に多くの事を思い出し、あれも書きたい、これも書こうと思ってしまいます。しかし、てんこ盛りの内容では、ストーリーがぼやけてしまいます。(朝日新聞社自分史 その3)
朝日新聞自分史の原稿執筆は、毎日の仕事の後でこつこつと書いています。
文章を考えて、パソコンで作成してみては、また読み直して、書き直します。
過去の、紙に書いて文章にする作業と比べ、パソコンの修正は、非常に効率的です。
今日は、朝日新聞の担当である杉山知之さんが、会社に打ち合わせに来られました。
これまで添付ファイルで送った文章を縦書きに直して、その上で杉山知之さんが鉛筆書きで修正を加えています。
文章の修正だけでなく、不要な文章は削るようにと言うアドバイスもありました。
自分史の中で、3つの大学院で学んだことや研究したことは専門性が高いので、自分史に書くにはやや難しいのではないかという、自分自身への疑問があります。
これに対して、杉山知之さんは、こんな事を言われました。
作家の井上ひさしさんの述べた言葉に、「難しい事を優しく、優しいことを深く」と、この気持ちで文章を書き進めて下さいと言われました。
これまでの原稿は、杉山知之さんが読んでみて、面白い内容だと評価されました。
今日の打ち合わせは、自分史全体のストーリーです。
これまで書き進めた文章を一旦見直してみれば、順序や配列を変える方が、読者には分かりやすくなるのではないかと、提案されました。
8割方文章は書けたので、残りは2割です。
この残りの中で、あと何を書くかを相談しました。
杉山知之さんは、朝日新聞の記者として、さらに原稿をチェックする担当者として、文章を書く専門家です。
その専門的立場から、いくつかのアドバイスを頂きました。
①注意すべき表記法
例えば、「の」を三回以上続けない
「~が、~が」を避ける
②分かりやすく書く工夫
「文は短く書く」
「主語と述語、修飾語と被修飾語の距離を短くする」
③不必要な言葉
「私は~思います。」主語は私に決まっているので、私は書かなくてよい。
④漢字とひらがなの区分
「~と言う」を使う場合は、実際に発言があった場合、
「~という」を使う場合は、発言ではなく、そういわれている場合
段々と打ち合わせは熱を帯びてきて、10時から始まった打ち合わせは、14時前まで続きました。
杉山知之さんは、これまで何人もの自分史の編集にあたってきていますが、自分史を書く人は、自分の歩んできた人生の面白さに気がついていない場合があるそうです。
原稿を読んで、筆者の面白いと思っている事と、編集者として読んだ面白さとは、違いが出るそうです。
この後、全体を書き通すと、そこから何度も校正をします。
もちろん、著者の意見も聞いた上での校正です。
更に、専門家の校正も受けます。
気がつかなかった文章上の間違い、事実関係の間違い、表現の不一致などは、だんだんと修正されていきます。
朝日新聞には漢字の使い方に、いわゆる「朝日流」があるそうです。
これは、例えば文藝春秋の場合は「文藝流」があり、朝日流とは若干の違いが出るそうです。
杉山知之さんから、短期間によくこれだけまとめられましたねと、激励の言葉がありました。
今日の打ち合わせは、過去に行った査読論文作成の指導を思い出しました。
論文の場合も、一旦全体を書いてみて、そこから不要な文章を削る作業がありました。
一つの論文で主張できる事は一つですと、先生に指導を受けたように、自分史でも、ストーリーから外れるようなエピソードを、あれも書きたい、これも書きたいと付け加えると、自分史全体の焦点がぼけるそうです。
打ち合わせが終わった頃には相当くたびれてしまいました。
高齢者の書くブログ 朝日新聞自分史の編集者杉山知之さんが、第一回編集会議に来られました。
杉山知之さんの意見では、多くのブログ記事は短編なので、本にするには一本の筋が必要だそうです。(朝日新聞社自分史 その2)
朝日新聞自分史の第一回編集会議です。
会議の場所は、センタープラザビルの我が社です。
とっても暑い中を、わざわざ大阪から、藤本正人さんと、今日初めてお会いする杉山知之さんのお二人が打ち合わせに来て頂きました。
杉山知之さんは長年にわたり、朝日新聞で、記者から集まってくる原稿を、文章的に間違っていないか、内容は適切であるかなどをチェックするお仕事だったそうです。
文章を扱うプロなので、これから自分史を書くにあたり、指導を受けていくことになります。
5月24日の自分史の説明会の後、これまで書き進めてきたブログ「社長研究室」の記事の中から、いくつかのトピックに関する記事を集めて、それを素案として朝日新聞自分史の編集局へ送っていました。
その素案は、これで完成だというレベルではありません。
編集者としてのプロの意見をお聞きして、そこから書き始めるつもりです。
杉山知之さんは、私の素案となる原稿を読んで、とても興味深いと言われましたが、まだ本にするにはストーリーが整っていないという指摘です。
ブログの記事は、7500本以上になり、どれを自分史の中に取り上げようか、その選択に迷ってしまいます。
自分史としてのスタンダードな書き方は、自分自身の出生や、親兄弟の事、育った環境、幼い頃の思い出、そして社会人になり、どんな仕事をしてきたか、辛かったことや、苦労したことが入って来ます。
私の考えは、面白かったことを中心にして、ブログの中から選んでいます。
そうすると、幼い頃や、家庭環境、学生時代などが含まれていません。
生まれたときから今日までのことを延々と書き続ければ、きっと文字数は10万文字を遙かに超えて、ページ数も200ページを越えてしまいそうです。
ここで編集者の杉山知之さんとの意見交換です。
素材は沢山あるので、何に焦点を絞るのか、これが問題になります。
大学院で論文を書いた時にも、一つの論文には言いたいことは一つしか書けませんでした。
読者の事を考えると、あまりあれやこれやと展開すると、ピントがぼけてしまいます。
二時間近く意見交換をしている内に、段々と焦点が絞られてきました。
私が考えついたトピックは10本くらいですが、この中から更に絞り込んで、ストーリーを再構築してみることになりました。
杉山知之さんは文章の専門家であり、これまで何冊もの自分史を編集してきたので、今日は貴重なご意見を頂きました。
いろいろ褒めて頂いたので、やる気も出てきました。
2017年8月1日(火)
高齢者の書くブログ 朝日新聞社の朝日自分史の説明会(神戸)に応募すると、当選通知と招待状が届きました。
朝日新聞社の朝日自分史は、朝日新聞記者が専任で自分史作りのお手伝いをしてくれるそうです。 自分史 その1
朝日新聞社の朝日新聞に、自分史を書きませんか?と、チラシ広告が入っていました。
これまで、大阪では「自分史」のお手伝いをしていましたが、この度、初めて神戸でも朝日新聞への読者サービスとして、神戸三宮の朝日ビルで、説明会をするという内容でした。
どんな説明会なのか、興味先行で申込みをしてみると、後日、当選の通知が届きました。
指定された日に、朝日ビルに行ってきました。
朝日ビルは、朝日会館が建て替えられて、超高層ビルになっています。
会場は、10階です。
朝日自分史の相談会は無料です。
無料なのに、自分史を書くとなると、朝日新聞社の自分史部門がマンツーマンで協力してくれるそうです。
出版数は例え一冊でもいいそうです。
説明会なので、大勢の方が自分史とは何かという説明を聞きに来られていると思っていたら、なんと、当選したのはわずか4名だけでした。
説明会の司会進行は、「朝日自分史」担当の小林誠さんです。
小林誠さんと自己紹介をしあうと、驚いたことがありました。
小林誠さんは、関西学院大学の社会人大学院に進み、サービスマーケティングの研究をされたそうです。
関西学院大学で、サービスマーケティングといえば、すぐ頭に浮かぶのは、山本昭二教授です。
私も、2000年から2003年までの神戸商科大学大学院で、サービスマーケティングの研究をしましたが、その当時には、山本昭二先生の研究論文や、研究書を沢山読んで知識を身につけたことを思い出します。
山本昭二先生のお名前を出すと、小林誠さんは、その山本昭二ゼミだったそうです。
山本ゼミは、通称、山昭ゼミで、厳しいことで有名です。
松葉博雄の担当は、藤本正人さんです。
藤本正人さんと二人で、自分史をどのように理解するかを話している内に、これは家族のことがかなり中心になるので、私一人の判断では、あとで事後承諾になるよりも、今日この会場に奧さんを呼んだ方が話がスムーズに進むと思い、すぐに電話して奧さんに来てもらい、藤本正人さんに会ってもらいました。
藤本正人さんは、朝日新聞の記者として長らく勤務をして、今は朝日新聞OBとして、朝日自分史の応援をしているそうです。
これまで、大阪本社で何人もの自分史の作成のお手伝いをしてきた実績があります。
自分史を書き残す方は、男性よりも、女性の方が多いそうです。
これまで言いたかったことを、自分史の紙面の中に書き綴って、胸のつかえを降ろすという書き方もあったそうです。
しかし、一般的には自分史には他人の悪口を書かない方がいいと言われています。
2時間ほど朝日自分史のスタッフの皆さんとの説明会に参加してみて、果たして私自身、自分史が書けるのか、書くとすれば何を書きたいのか、誰に読んで欲しいのか、深く考えてしまいます。
マーケティング研究と同じく、「誰に」、「何を」、「どのように」、という分析が必要です。
2017年5月24日(水)
2017年5月11日(金)