阪神淡路大震災から23年、あの日のことを忘れないように、鎮魂に訪れました。
阪神淡路大震災1.17のつどいに行って、犠牲者の方に献花をして、哀悼の気持ちを表しました。 1.17のつどい2018
2018年1月17日、今年も阪神淡路大震災の追悼の日がやってきました。
普段忘れていても、1月になって追悼の日が近づくと、あの阪神淡路大震災に罹災した時の事を思い出します。
1995年1月の当時、今と違うことは、携帯電話がなかったことです。
神戸以外の地域と、あるいは神戸の地域の中でも、情報交換が全く出来ませんでした。
デジカメもありませんでした。
手元にあったのは、フィルムを使って写す写真機です。
フィルムは36枚撮りで、枚数が限られていたので、被写体をよく選んで、必要なものだけしか写せませんでした。
しかも、交換用のフィルムも、手元にはありませんでした。
あのときもっと、記録が撮れていたらなぁと思うことがあります。
今日の神戸三宮の天気は、雨です。
雨の中で、追悼に訪れる人数は、例年よりうんと少なく感じました。
記帳所で、私と奧さんの名前を記帳して、菊の花を受け取りました。
受け取った菊の花を、追悼の場所に行って、献花します。
震災当時は岡本に住んでいたので、付近で亡くなった方は沢山おられました。
木造家屋で、瓦葺きの家は、屋根の重さに堪えきれず、崩れてしまった家が近隣に多くありました。
家の中で、寝ていた場所で被災の状況は変わっています。
もしタンスや食器棚の側で寝ていて、家具が倒れ、圧死していた方も居られるようです。
鎮魂の池に、献花の花を投げ入れて、しばし黙祷しました。
蘇ってくるのは、上空を飛び交うヘリコプターの音です。
取材のためのヘリコプターの音が、状況を分からないでいる地上の生活者には、まるで戦争で追われているような不安感に繋がりました。
夕方に、長田地区から火が出て、大火災に発展していった様子は、震災当時には知らなかったことで、その後のニュースで知りました。
救急車や消防車のサイレンの音、上空のヘリコプターの爆音は、不安感を煽る音として記憶に残っています。
阪神淡路大震災の後、東日本大震災が起きて、日本列島は災害に遭遇しやすい環境にあることを改めて思い知りました。
地震・津波だけでなく、台風による災害もありました。
今日の東遊園地は、雨のため地面はぬかるんでいます。
長靴を履いてきていないので、鎮魂のための灯りの側には、近づけませんでした。
一年ごとに、1995年1月17日は遠くなっています。
戦争を知らない子ども達が増えたように、阪神淡路大震災を知らない子ども達も増えてきています。
そして、また新しい災害に遭うかもしれません。
福島原発のように、人災と言われる災害もあります。
何もなく平穏に終わる1日、1ヶ月、1年を、感謝する気持ちで過ごしていきます。
2018年1月17日(水)