メニコンの森山久さんと、九鬼真之さんは、神戸営業所の時代に、我が社を担当してくれました。
森山久さんは若い頃、ここ一番の時は頑張って、そうでないときには、それなりに頑張ったそうです。 社長ブログ神戸/メニコン/東天紅/ビジネスランチ
メニコンの森山久部長と、九鬼真之副本部長をお誘いして、センタープラザビル19階の東天紅でビジネスランチです。
同席しているのは、安部優さんと、菊川紀幸さんです。
森山久さんは、1995年の阪神淡路大震災の頃の、我が社の営業担当でした。
震災復興について、当時いろいろとお世話になりました。
その後、2005年には、森山久さんが岡山営業所所長の時に、営業所を訪ねて行きました。
九鬼真之さんは、その後の阪神淡路大震災の収まった頃の、我が社の営業担当でした。
当時は神戸営業所があって、神戸営業所は震災で柏井ビルが倒れてしまいました。
ビルが倒れた後は、新神戸駅近くのビルに移転して、JR三ノ宮駅からは、かなり離れてしまいました。
メルスプランがまだ始まる前で、森山久さんと九鬼真之さんが営業担当の時代は、メニコンの製品の仕入れを、一回ごとに、どのような条件で取引するか、交渉が盛んな時代でした。
今は、メルスプランが中心の取引なので、一回ごとのレンズの仕入れに、価格交渉がありません。
メニコンの営業責任者にとっては、メニコンのレンズをいくら沢山売るかの時代から、メルスプランの会員を、加盟店がどれだけ増やすかが、メニコンの評価になっています。
8月お盆の頃、燃えるような暑さの中で、取引先の皆さんと一緒に、ゴルフをした事を思い出します。
暑い暑いゴルフコースを歩いた後、ホテルのプールに戻って、2000m泳いだ話しを思い出します。
森山久さんは、どのようにして営業の最高の地位である、本部長に選ばれたのでしょうか?
それは、若いときに、やるべき時にしっかり働いて、そうではないときには、それなりに働いて、メリハリをつけたことがあったそうで、若いときの頑張りが、その後の自信に繋がったそうです。
森山久さんは、周りに敵を作らない人のようです。
ソフトな感じで、はっきりと反対意見は、これまで聞いた事がありません。
執行取締役になると、メニコンの社長や会長との距離がうんと近くなり、田中英成社長とは、しょっちゅうコミュニケーションをとっているようです。
さらに、田中恭一会長とも、最近ゴルフをご一緒したそうです。
田中恭一会長はとてもお元気で、ゴルフでも皆さんと楽しんだ後、さらには打ち上げの焼肉パーティーもご一緒したそうで、田中恭一会長は、元気よく焼肉を召し上がられたそうです。
2016年7月13日(水)