長尾寺は、平成の大修繕中です。
長尾寺は、行基がこの地を歩いていると道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造し本尊として安置し、法相宗を開基したと言われています。 四国八十八ヶ所巡り(10)
志度寺を出て、五重塔に未練を残しながら、次の、四国八十八ヶ所霊場 第八十七番札所 長尾寺へお詣りです。
五重塔を見ると、仏教美術の美しさに惹かれてしまいます。
長尾寺の歴史・由来について調べてみました。
長尾寺は、明治維新以後、本坊は学校や警察、郡役所などの公共施設に提供された寺だそうです。地元では「長尾の観音さん」や「力餅・静御前得度の寺」として親しまれています。
開創は聖徳太子という説もありますが、天平十一年に行基菩薩の説が一般的です。
行基がこの地を歩いていると道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造し本尊として安置し、法相宗を開基しました。
その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法して国家安泰と五穀豊穣を祈願されました。
その祈願は現在にも受け継がれ、毎年正月の七日には「大会陽」が盛大に開催されています。
唐から戻った大師は、再びこの地を訪れ「大日経」を一石に一字ずつ書写し供養塔を設立し、その時に真言宗に改宗。
長きに渡り多くの天皇から帰依された寺でしたが、天正の兵火により、本堂以外は灰燼に帰します。江戸時代に藩主松平頼重が、堂塔を整備し、その時に天台宗に改めています。
長尾寺の本堂は、天和3年(1683)、藩主松平頼重が建立しました。本尊は、幾多の火災でも難を逃れ、秘仏として讃岐七観音の中でも当国七観音随一と指定したそうです。
長尾寺は、割にコンパクトなお寺でした。四国八十八カ所めぐりを続けていると、お寺の格について、感じるようになります。
どのお寺もご本尊があり、ご本尊に並んで大師堂があります。
従って、お寺のコンセプトはほぼ同じで、違いを感じるのは、境内の広さや、奥行きの深さです。
特に、丘陵地を使った、高低差の大きい境内は、何となく奥行きを感じます。
バスが横付け出来るようになっているお寺は、参拝客が多いように感じます。
石段が続き、バスが本堂の近くまで近づけないお寺は、バスも敬遠しているので、参拝客の方が少ないように感じます。
12月に入り、寒くなってくると、参拝客減少の要因になっているようです。
四国八十八カ所巡りといえば、春になって、畦道には、菜の花が咲く頃が、イメージに合っています。
このお寺の小僧さんの看板も、統一仕様のようです。実際には、まだ、マルコメ味噌の宣伝のような、頭を丸めた、幼い修行僧は、見たことがありません。
長尾寺は、すぐに一巡出来ました。
バスも、駐車できる広いスペースがあるので、スタンプラリーのように、八十八カ所の数をこなすには、稼ぎやすいお寺です。
そろそろ、夕方に近くなり、急に気温も冷えてきて、早く帰らないと、四国の山間部の路面が凍結する心配があります。
そう思うと、もう、気持ちは帰り支度を始めています。
ゆっくりと、境内を見て歩いていません。流し歩きです。
「四国のみち長尾」の看板によると、次の巡礼先は、大窪寺です。
八十七番なので、次は、あがりの八十八番目の、大窪寺です。
淡路島から近い方を、徳島寄りと、香川寄りを、選んで回れば、その先は愛媛と高知です。
難しそうなのは、高知です。実際に、八十八カ所を回った人の経験談でも、高知県を回るのが、時間が掛かったそうです。
2014年12月11日(木)