志度寺の境内には、平賀源内のお墓がありました。

志度寺の境内からは、方向を変えて、五重塔が見えます。とても美しい五重塔です。  四国八十八ヶ所巡り(7)

八栗寺の後は、 第86番目札所 志度寺へ向かっています。

志度寺には、平賀源内の墓(自性院)があるそうです。平賀源内といえば、江戸時代の蘭学者として有名です。

嗟非常の人、好非常事、行 是非常、何非常死(杉田玄白)

意味:あなたは常識を超えた才能の持ち主で、考える事も実行することも人よりはるかに先に進んでいました。そのあなたが、こんなに早く亡くなってしまうとは・・・。」

源内さんと親交のあった杉田玄白さんが死を惜しんでお墓に刻んだ言葉です。

微雲窟自性院常楽寺について記載されている看板がありました。

志度寺の塔頭である当院(真言宗善通寺派)の御本尊は、不動明王であるが、正面は、弘法大師をまつっている。これは当院本堂の場所は、元志度寺の御影堂(弘法大師をまつる)の跡とも伝えられている。

当院は、天正年間(約420年前)に志度に来住し繁栄した摂津兵庫県の豪族多田和泉守一族の創建になる。

さぬき良寛さんと呼ばれている竹林独雄上人は天明4年(1784)に第7代目の住職となったそうです。

上人は、人に衣食を分け与え、子供ともよく遊び、蟻をふまなかったり、蚊に、自分の血を供養したりした。

また、純無垢な上人に書画にもみるべきものがある。

平賀家は、当院の檀家である。源内さんは本草学薬草研究の他に、エレキテル、火浣布、平線儀、寒熱昇降器等の創製、鉱山開発、西洋画、陶法伝授等でも有名である。

源内さん(安永8年・1779寂)のお墓は、門を入り右側にあります。

源内さん、竹林上人についての詳しい印刷物は、本堂の前に置いています。(出典:志度 自性院)

曇天の、雨も降りそうなお天気が、少しずつ少しずつ回復してきて、薄陽がさしてきました。薄陽を浴びた五重塔は、とても綺麗です。

仁王さんの守る山門をくぐり抜けて、志度寺の中に入っていきます。いきなり目に写ったのは、ナンテンの実です。

志度寺の境内の中は、まるで植木屋さんの敷地の中を歩いているようです。

五重塔は、場所を変えて、いろいろな方向から見えています。

文化財愛護 重要文化財 仁王門は、寛文11年(1671)の建立です。

石仏がいくつか石材の上に乗せられて、祀られています。このお顔は、ふっくらとして、日本の石仏の顔と、少し違うようです。

これから、本堂を目指して、広い境内を左右に広がる、値段の付いた植木の苗を見ながら、歩きます。

この五重塔は、夜になると下からライトアップされるように、照明灯が四方向にありました。

寒くなると花開くのは、サザンカと椿です。

ツバキは、首から花が落ちる事から、仏壇には供えてはいけないと、子供の時に言われました。そのつばきが、志度寺の境内では、多く見られます。

立て札が立っています。表記しているのは、

文化財愛護 重要文化財 絹本著色 志度寺縁起絵画(含紙本墨書志度寺縁起等付属文書九巻)

指定 明治34年3月27日です。

志度寺の敷地の中には、更にその中に、お寺や庵があります。

次の立て札には、

文化財愛護 重要文化財 絹本著色 十一面観音立像

指定 昭和61年2月27日と、記載されています。

文化財愛護 重要文化財 絹本著色 十一面観音像

指定 明治34年3月27日

雨に濡れた石畳の上を、本堂に向かって歩んでいくと、ここは植木屋さんかと見誤るように、両脇に植木の苗が仮植えされていて、値段が付いています。

一体、どうしてお寺の境内に、植木販売がされているのでしょうか。不思議です。

2014年12月11日(木)