ブッダ(仏陀)、仏様、お釈迦様をご本尊に求めても、四国巡礼ではなかなか出会えません。八栗寺では、聖観世音菩薩がご本尊でした。

 四国八十八ヶ所巡りの、第85番目の霊場は、八栗寺です。四国八十八ヶ所巡り(3)

四国霊場第85番目は、八栗寺です。どの霊場にも、弘法大師を祀る、大子堂があります。

四国八十八ヶ所霊場 本堂並聖天堂 八十五番札所 八栗寺と、第八十六番札所 志度寺、という道案内があります。

この近くの境内のマップがありました。これを見れば、本堂はどこかが分かりました。

屋島の東、源平の古戦場を挟み標高375mの五剣山があります。地上から剣を突き上げたような神秘的な山です。八栗山はその8合目にあり、多くの遍路さんはケーブルカーで登られます。

天長6年、弘法大師がこの山に登り求聞寺法を修めた時に、五振りの剣が天振り注ぎ、山の鎮守蔵王権現が現れました。

そして「この山は仏教相応の霊地なり」と告げられたので、大師はそれらの剣を山中に埋め鎮護とし五剣山と名づけられたそうです。

五剣山の頂上からは、讃岐、阿波、備前など四方八国が見渡すことができたので、もともと八国寺という寺名でした。 延暦年中、弘法大師は唐へ留学する前に、再度この山に登りました。

そして仏教を学ぶ念願が叶うかどうかを試すために8個の焼き栗を植えられました。無事帰国し、再び訪れると、芽の出るはずない焼き栗が芽吹いていました。

これが八国寺を八栗寺へ改名した由来です。この寺も長宗我部元親による八栗攻略の兵火により全焼しました。

しかし、江戸時代に無辺上人が本堂(三間四面)、さらに高松藩主松平頼重が現在の本堂を再興、弘法大師作の聖観自在菩薩を本尊として安置し、観自在院と称するようになりました。

五剣山は、宝永3年(1706)に、大地震を遭い、昔は五つの嶺のうち、東の一嶺が中腹より崩壊し、現在の姿になりました。(以上 四国八十八ヶ所霊場会 公式ホームページより)

険しい山を切り拓いて創った修験場なので、境内はあまり広くありません。

狭い境内を、山に沿って広げたような配置にお堂が建っています。

八栗寺にも、美しい塔が見えました。

美しい三重の塔です。

お寺は、どこも、ご本尊や仏像を奥へ奥へと仕舞って、なかなか側では見せてくれません。

信仰心に基づいて、遠くからお参りに来ているにもかかわらず、秘仏と称して、扉も開けないお寺もあります。

本堂が見えてきました。本堂に行って、お参りします。

八栗寺の本堂には、ご本尊に、聖観世音菩薩が祀られています。

松葉博雄は、昔インドに行き、仏陀の足跡を巡礼してきました。その時の感動は、ブッダ自身への帰依の気持ちです。

ところが、日本のお寺でブッダ自身へ帰依しているお寺は、ごくわずかです。このことについては、不思議に思います。

2014年12月11日(木)