第4回 メルスプラン加盟店経営者会議 幹事役は石巻市大街道コンタクトレンズ森潔英社長です

第4回メルスプラン加盟店経営者会議 コンタクトレンズ販売店の社会的役割 価格競争よりも安全性の確保にある。メルスサミット合意点 次回の勉強会は、四日市市です。 東京へ出張(8)社長ブログ/神戸の社長/コンタクトレンズメーカーブログ

第4回メルスプラン加盟店経営者会議 コンタクトレンズ販売店の社会的役割は

石巻グランドホテルで、コンタクトレンズ販売店の有志が集まって、勉強会です。

共通の立場は、コンタクトレンズの安全性を尊重して、全国各地の低価格訴求と戦う販売店です。

毎年、勉強会をしていると、どこの販売店も、低価格訴求だけでなく、インターネット販売にも、問題を抱えて

います。

激安店とインターネット販売店での問題は、コンタクトレンズ販売方法には、装用者のケアが放置されているこ

とです。

何しろ、インターネットによるコンタクトレンズの通信販売は、データが分かっていれば、簡単に安価で買え

て、全ては自己責任になっています。

自己責任であることを告知されないユーザー

しかし、実際には、高度管理医療機器であるコンタクトレンズを、自己責任としても、

誤った使い方による眼障害には、自己責任では済まず、治療が必要となってきます。

そこで、正しいコンタクトレンズの普及を考える、有志の人達は、どうすれば、誤ったコンタクトレンズの使用

を防ぐことが出来るか、みんなで知恵を出し合っています。

東日本大震災での装用者サポート

今回の勉強会の開催地が、石巻市ということで、2011年3月11日の、東日本大震災と津波についても、どのよう

なことが起きて、コンタクトレンズの装用者にも、どのようなケアとサポートが出来たかの、講演を聴きました。

国内観測史上最大 マグニチュード9.0(阪神淡路大震災がマグニチュード7.3)で、宮城県女川町は、震源地か

ら125キロ離れていて、震度6弱でした。

津波は、前からくるだけではありません。予想を超えて、背後から津波が襲ってきたそうです。

自分の命は自分で守る

講演者の一般社団法人 女川町観光協会 事務局長 遠藤琢磨さんのお話では、「私が経験して一番伝えたいこ

とは…自分の命は自分で守る。」という、力強い結論でした。

メルス加盟店経営者会議は、途中休息を挟んで、夕方17時頃まで続きました。

参加者の席次は、あいうえお順です。

地域でいえば、この東北から、中部地方、東海地方、近畿地方、九州・沖縄地方と、全国に跨っています。

世代交代もあって、先代から新しい社長に交替して、

初めての経営者会議に参加の方もいらっしゃいました。

初めての参加は、沼津の本多さんです。

勉強会が終わると、1時間ほど休憩を挟んで、懇親会です。

主催地石巻 大街道コンタクトレンズ森潔英社長挨拶

今回、主催地である石巻の、大街道コンタクトレンズの、森潔英社長と、森秀行院長から、ご挨拶がありました。

懇親会は、円卓テーブルで、場所を移動しやすいように、セッティングされています。

お料理は、何回食べても美味しい、石巻産の魚料理です。

懇親会が進むと、比例してアルコールも進み、アルコールが進むと、皆さん饒舌になり、テーブル席をかえて、

歓談が進みます。

宴もたけなわになると、気になるのは、次回の開催地です。

オリンピックのように、ぜひ当地で、と言われるほどの魅力は無いので、誰かがボランティア的精神で、引き受

けて頂きたいものです。

時間をかけて、経費をかけて集まるのだから、勉強会の成果は、正しいコンタクトレンズの販売に繋がる成果だ

けでなく、開催地の観光も、食事も、懇親会も、飲み会も、楽しみの一つになります。

共通の意識があれば、自分のところで行ったマーケティング政策や、経営戦略が、効果があれば、勉強会の時

に、参加者に伝えたくなります。

テーブルの席をまわり、ビールを勧めたり、頂いた地元の美味しいお酒を勧めたりと、サービス精神の旺盛な方

もいれば、テーブル席に座って、ほとんど動かない人もいます。

ばら寿司が出てくる頃には、そろそろ懇親会は、終了の時間が近いことが分かります。

さらに、吸い物も出てきました。

これは、食事のコースとしては、もう終了間際です。

 メルス加盟店経営者会議 第5回開催地は四日市

松葉博雄は、次の開催が心配なので、森潔英社長と一緒に、西川次一社長のところに行って、次回の勉強会の主

催地を引き受けていただくように、お願いしました。

しばし考えて、西川次一社長に了解していただけたので、これで決まりです。

今回の石巻勉強会から、次は、四日市での勉強会に、引き継ぐことになりました。

森潔英社長から、西川次一社長に、バトンタッチです。

こういうとき、勉強会の旗でもあれば、旗を渡して、旗を受け取って、引き継ぎの儀式が、儀式らしくなるので

すが、残念ながら、勉強会のシンボルの旗は、まだありません。

勉強会の参加者一同は、来年の開催が引き継がれたので、これで安心して、これから飲み会に移ります。

会議の後の懇親会

飲み会の会場は、石巻ロイヤルホテルから、歩いていける距離でした。

お店の名前は、バー「シーク」です。

2012年は、埼玉県大宮市で勉強会があり、その後、懇親会もありました。

2013年は、小倉市で勉強会があり、その後、懇親会がありました。

回を重ねるごとに、思い出も重なってきます。

回が重なると、親しみも増えてきます。

石巻の勉強会のお世話をして頂いた、大街道コンタクトレンズの森潔英社長に、感謝の気持ちを芋焼酎と一緒に

伝えました。

みんなで、石巻市の勉強会の成功を称えて、乾杯です。

次回の四日市市の勉強会を、早くも期待しています。

松葉博雄が、芋焼酎のお湯割りを飲んでいると、飲んでいるそばから、まるでわんこそばを食べているように、

新しいお湯割りを作ってくれるので、どんどん飲んでしまい、段々と意識がもうろうとなってきました。

奥さんに心配されながら、何とかふらふらと、千鳥足でホテルまで帰り、部屋に帰るとバタンキューで寝てしまいました。

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2014年10月22日(水)

大街道もり眼科医院と大街道コンタクトレンズの視察 日和山公園では、蛇の目寿司で昼食です。北上川の河口が、津波の跡が、日和山公園から見えます。第4回メルス加盟店会議

大街道もり眼科医院と大街道コンタクトレンズの視察

メルスプラン加盟店経営者会議が始まる前に、今回の幹事役をしていただいている、

大街道もり眼科医院と大街道コンタクトレンズの視察をさせて頂きました。

石巻グランドホテルで起きて朝刊を見ると、

「第27回日本メガネベストドレッサー賞」で、

スキーの葛西紀明選手や、女優の石原さとみさんが受賞したという新聞記事が、

目に留まりました。

朝刊のトップニュースは、「小渕・松島氏が閣僚辞任」です。

後任は、宮沢洋経済産業大臣、上川法務大臣のようです。

朝食後の後は、大街道コンタクトレンズセンターの見学です。

玄関で、昨夜ご馳走して頂いた、森潔英社長が、皆さんを出迎えてくれました。

震災復興支援のスリットランプ

森潔英社長から、一通り施設の案内をして頂き、その途中に、

2011年3月に、松葉眼科から、東日本大震災の復興支援として提供した、スリットランプがありました。

「これが、あのとき神戸から石巻へ、震災の支援にと送って頂いた、スリットランプです

よ」と言われました。今でもまだ活躍しているようで、お役に立てて嬉しく思います。

「神戸市 松葉眼科」と貼っています。

東日本大震災の復興支援として、何かお手伝いできることはないかと考えました。

メニコンさんと相談すると、眼科検査に不可欠な医療機器であるスリットランプが欲しいという

被災地からの要望がありました。

そこで松葉眼科からスリットランプを一台提供しました。

眼科医療機器のスリットランプは、精密光学機器なので、

振動防止のために丁寧に梱包され、輸送も細心の注意を払い、

メニコン仙台営業所に届けられ、そこからワンボックスカーに乗せて、

眼科へと運ばれました。

被災眼科の周辺では、まだ津波の傷跡が多く残っている状況だったと報告を受けました。

このような中でも、診療を開始されています。

院内では、眼科診療のスペースが復旧していないそうで、仮の診察スペースを作り、

来院される患者さんには、医療機器の少ない中、

できるだけの診察をされているそうです。

仮の診察スペースに、厳重な梱包をほどき、組み立てをされ、

松葉眼科からのスリットランプが被災地で使えるように、設置されました。

これで全てが元通りに揃ったわけではありませんが、

眼科へ診察にくる患者さんの診察に不可欠な眼科医療機器の復旧と共に、

少しでも来院される患者さん、診察する医師の不安が軽減されるようにと、願っています。

スリットランプを無事に被災地の診療所に届けて、

大役を果たしたメニコンさんから、写真を添えて、先方の院長から、

お礼のコメントも頂きました。

 

今日は平日で、眼科は診察中で、コンタクトとメガネは営業中です。

お客様もたくさんおられるので、ビジネスの邪魔にならないように、

隅の方から、そっと施設内を見せて頂きました。

勉強会に参加しているお店は、量販店の低価格訴求に苦戦しています。

しかし、医療機器であれば、丁寧な説明や、高度な技術を持った社員の対応が、

低価格訴求との差別化になります。

店舗の中は、あまり公開できないので、写真は少しだけにしています。

店舗見学の後、森潔英社長の心配りで、

石巻市を見下ろす、日和山公園へ向かいます。

お昼ご飯は、日和山公園の中にある、蛇の目寿司で頂きました。

蛇の目寿司は、元は駅に近い中央1丁目で営業していたのですが、

震災の影響で、現在は日和が丘に仮設店舗を構えて、営業しています。

石巻の料理は、お魚づくしです。

お昼もお鮨と、魚汁でした。

お鮨だけではちょっと淋しいなという声が上がり、

ちょっとだけビールを頂くことになりました。

食事中に、光華コンタクトレンズの大沼久美子さんから皆さんに、

飛騨高山八景を使った、メガネ拭きを頂きました。

飛騨高山は、これから秋にかけて、紅葉が綺麗になるようです。

飛騨高山といえば、秋の高山祭と、屋台曳き揃え(やたいひきそろえ)です。

こんな、素晴らしい飛騨高山八景をメガネ拭きに作り、

お客様に差し上げているのは、素晴らしいプレゼントだと思いました。

蛇の目寿司の仮店舗の隅に、鮨の雑誌がありました。

こんな雑誌があるとは知りませんでした。

鮨ファンには是非読みたい雑誌です。

蛇の目寿司は、震災復興のための仮設店舗で営業中ですが、

お客様がついていて大賑わいでした。

昼食後、日和山の高台から、震災の後、

津波が押し寄せた地域を、見せて頂きました。

川の中瀬にあるのが、石ノ森萬画館です。

この北上川の河口から、川上に向かって、津波が押し寄せたそうです。

日和山公園には、神社があって、神社の鳥居の辺りから、

石巻の津波の被害地域が見えます。

今では、がれきは撤去され、震災前にあった住宅地は、空き地になっています。

津波の恐ろしさは、ビデオで見れば、恐ろしさの程度がよくわかりますが、

津波が押し寄せるその時は、まさか、20mも30mもの高さの津波とは、

予想もしていなくて、逃げ遅れた方も多いそうです。

神社の鳥居の所で、正しいコンタクトレンズの普及をはかる、

勉強会の皆さんの、集合写真です。

2011年3月11日から、3年と7ヶ月余りが経過して、

少しずつ震災復興が進んでいますが、震災と津波の後片付けが出来ても、

元の住宅地になるのは、まだまだ遠い先のようです。

ここは、春になると桜が綺麗な観光スポットです。

旧北上川方面の案内図がありました。雄大な旧北上川の流れとともに、

かつては造船所が立ち並んだ旧北上川の中央に浮かぶ中瀬など石巻の市街地を見渡せます。

松葉博雄の北上川と言えば、昔流行った、北上夜曲を思い出します。

日和山公園から、低地の被災地に向かうと、そこにはまだ、

津波の被害の跡が、一部残っています。

建物の高い部分の屋根が崩れ落ちています。

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2014年10月22日(水)

大川小学校の慰霊碑 宮城県石巻市女川町の被災地を、訪れています。大川小学校では津波の犠牲者に、哀悼の意を表しました。 東日本へ出張(9)

大川小学校の慰霊碑

石巻グランドホテルの朝です。

今日の予定は、石巻市の大川小学校の児童が津波の犠牲になった痛ましい罹災の慰霊に行きます。

ホテルの朝ご飯は、1階ロビー横で、和食のバイキングです。

頂いたのは、笹かまぼこ、シャケ、切り干し大根の煮つけと、冷奴、海苔、味噌汁、白ごはんです。

勉強会のメンバーと一緒に、「石巻周辺の被災地をめぐる」バスツアーを、大街道コンタクトレ

ンズの森潔英社長が用意してくれました。

スケジュールでは、石巻グランドホテルから出発して、

石巻専修大学(災害対策本部)、開成仮設住宅を通ります。

バスは停車しませんが、バスから、日本赤十字石巻病院(救難救急本部)を見ました。

訪れたのは、石巻市立大川小学校(児童教師74名犠牲)です。

震災と津波の、二つの災害なので、復興の工事は、治水工事が入っています。

北上川の両岸では、重機を使った土木工事が続いています。

堤防を利用した道路を、マイクロバスで走っています。

行き交う車は、工事用の車両がほとんどです。

33号線を、左方向へ行けば気仙沼・桃生、右方向は雄勝町・北上です。

これまで、自然な河を、石を積んで、護岸工事をしているので、

きっと生物体系は大きく変わると思います。

蛍や、川魚などは、多分棲家を失うのではないかと思います。

2011年3月11日の東日本大震災と、その後の大津波の報道で、

大川小学校の映像を見たことがありました。

あの恐ろしい津波の被害を受けた大川小学校に来ているのかと思うと、

胸が詰まります。

石巻市立大川小学校

児童・教職員合わせて74名が、震災の犠牲となりました。

大川小学校被災児童鎮魂供養塔が、

校門の学校名の書かれた石塀の前に作られています。

供養塔は、今でも鉢植えの花で囲まれています。

コンタクトレンズの勉強会に参加した有志一同を代表して、

松葉博雄が、献花をしました。

風があり、お線香に火を点す準備が、なかなか進まなく、

お線香の火が点くまで、しばし待っています。

前の、2011年3月11日の、東日本大震災と、

その後の津波で亡くなった方に、ここに哀悼の意を表し、

慎んでご冥福をお祈り申し上げますと、

ご挨拶を述べて、お花をお供えしました。

大川小学校での避難の誘導が、不適切であったと、

父兄の方から訴えも出ているそうです。

予想もしなかった大津波の中で、奇跡的に命を守れた児童も、いたそうです。

もう少し、奥に進んで、当時のまま保存されている、

大川小学校の校舎の方に進んでみます。

大川小学校のすぐ裏には小さな山があり、山には木が沢山茂っています。

大川小学校の悲劇 裏山に避難してたら

後から考えれば、この山に児童達が登って逃げていれば、

津波にさらわれることがなかったそうです。

地震から、津波が来るまで、およそ50分あったそうですが、この50分の間

の判断が、大きな被害を招いています。

大川小学校の後ろの山のそばに、慰霊碑が作られています。

この慰霊碑には、大川小学校の児童だけでなく、

この付近の町民の犠牲者も、名前が刻まれていました。

幼い子供を持つ親の身になれば、

悔やんでも悔やみきれない結果になってしまいました。

今日の女川町の空は、雲が薄く垂れ込め、

ゆるやかな風が吹いて、やや北国の雰囲気があります。

大川小学校の前には、広い道路があり、道路には復興のための、

作業用の車が、絶え間なく行き来していました。

大川小学校のすぐ前には、北上川の河が流れています。

この辺りは、河口に近く、川幅も広くなっています。

大川小学校の近くの新北上大橋です。

この新北上大橋は、津波のために、橋の半分が壊滅したそうです。

橋のたもとには、犠牲者への慰霊碑と、観音様の像が建てられていました。

橋の周辺は、復興工事に励む作業車が、絶え間なく行き来しています。

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2014年10月23日(木)