綾部山梅林の絶景地を見つけました。そこは、古代の豪族も選んだ、絶景地でした。

綾部山梅林の絶景地を見つけました。そこは、古代の豪族も選んだ、絶景地でした。綾部山梅林の絶景地には、正玄塚(綾部山28号古墳)があります。古墳時代後期の古墳です。 綾部梅林(5)

綾部山梅林の絶景地を見つけました。古代の豪族も選んだ、絶景地でした。

綾部山梅林の黒崎梅園組合婦人部が経営する休憩所の隣に、

見事なしだれ梅が、これから咲き始める二分咲きの状態で、

目を引いています。

桜にしだれ桜があるように、

梅にもしだれ梅があります。

梅も桜も、しだれになると、

細い枝は上に伸びるよりも下に垂れ下がり、

花の咲き方も、妖艶になってきます。

この辺りが、綾部山梅林の絶景地のようです。

案内板にも、「梅林絶景地 正玄塚」の表示がありました。

興味をそそるのは、横穴式の石室です。

少し歩いて、石室を覗いてみます。

正玄塚(綾部山28号古墳)は、古墳時代後期の古墳で、

両袖式横穴式室を持つ全長7m、玄室幅1.8m、

羨道の長さは3.5mの古墳です。

よくまぁ、5世紀の頃の大した道具のない時代に、

こんな大きな石を山頂に上げて、石組みを作り、

石室に仕上げたものだと、感心しました。

誰でも見えるほどオープンな状態なので、

元々の石室は、とっくの昔に暴かれて、

何が埋葬されていたのか、どのような埋葬品があったのか、

その表示すらありませんでした。

故人には申し訳ないことですが、

埋葬された方には、畏れ多いことですが、

この石室を覆う蓋の部分の岩に登ると、

絶景地であることが分かりました。

正玄塚の説明がありました。

綾部山古墳群、第28号墳であるこの正玄塚の名称は、

西讃府誌黒崎村條項中に見られ、

露出横穴式石室の形状が歪のない四角で(正)

奥深く幽かな状であること(玄)から、

古来より村人がかく呼んできたものであろう

古墳時代後期の円墳のこの正玄塚は、

周囲を円筒埴輪で垣を構成し、

伊保川原より、手逓伝で運んできた円礫を葺きつめ、

土砂の流失を防いだ構造が、特色である。

古代エジプトのピラミッドにしても、

マヤ文明の遺跡にしても、

明日香村の高松塚古墳にしても、

死後の平穏な眠りを願って作ったお墓を、

文化財調査発掘と称して、暴いています。

もし人間なら、ぐっすり眠っている夜明け前に、

突然叩かれて起こされたら、

きっと不機嫌になると思います。

この綾部山28号古墳に葬られていた豪族は、

きっと眠気を覚まされて、不機嫌だと思います。

せめてどこか、代わりにゆっくり静かに眠れる場所は、

用意されたのでしょうか?

綾部山梅林の絶景地に登って、瀬戸内海を眺めると、

右手に徳島、左手に淡路島が、お天気の良い日に見えます。 

今日のお天気では、見えるのは男鹿島くらいです。

ここから見える景色が、パ

ンフレットと同じアングルで、

同じ形の、島影を眺められる場所です。

古代に無くて、今あるものは、干拓地です。

絶景地でしばらく眺望を楽しんだ後は、

山を下りる、下り道です。

また、あのU君の幼い頃に似ているお地蔵さんの前を通ります。

このお地蔵さん、とても人気があるようで、

あちらこちらの写真で紹介されています。

「梅惜しみ 一歩一歩を 踏み下る(赤穂市 平井 朝子さん)」

の句が、綾部山梅林の入場券に紹介されていました。

確かに、山頂を目指して上がるときは、

景色を見るゆとりはやや少なく、

とにかく上に、上にという気持ちで上がってきました。

それが、綾部山を去る、下りになると、

折角入場料を払ったのだから、

もう少し見ておかないと、

というみみっちい考えも沸いてきて、

道々止まりながら、梅を観賞しています。

またまた石室です。もうかなり暴かれて、

一部の石すら、何かに利用されたのか、

原型をとどめていません。

綾部山を下りて駐車場に戻り、池を見てみると、

白鳥に黒崎梅園組合の方が餌を撒いていました。

綾部山梅林の後は、

今度はこの近くの道の駅に行って、買い物をします。

2014年3月6日(木)