倉敷観光と言えば、倉敷美観地区です。
倉敷美観地区と言えば、大原美術館を中心とした美術館の集積地です。岡山倉敷歴史の街散策(8)
倉敷観光と言えば、倉敷美観地区です。倉敷美観地区と言えば、大原美術館を中心とした、美術館の集積地です。瀬戸大橋を見た後、次にやってきたのは、「倉敷市立自然史博物館」です。
倉敷市立自然史博物館に来た理由は、ここで、ボランティアのガイドさんの紹介を受け、顔合わせをして、美観地区を案内して貰うからです。大原美術館にも行きます。
ここにも、立派なツツジの花がありました。松葉博雄は、ツツジの咲くこの季節が好きです。ピンクや白のつつじの花を見つけると、ついつい足を止めて見入ってしまいます。倉敷美観地区を歩けば、どこかで創業者の大原孫三郎さんの偉業に触れることができます。
大原美術館は、工芸・東洋館、本館、分館の三つの展示場所と、それらをつなぐ部分に立派な日本庭園があります。この日本庭園も、大原家の邸宅でしたが、今は、倉敷市に寄贈されたお屋敷です。
日本の税制では、日本を代表する実業家のソニーの盛田家、松下電器の松下家、ブリジストンの石橋家、三洋電機の井植家、トヨタ自動車の豊田家など、相続を2代か、3代もすれば、所有する創業会社の株式や土地、家屋敷、などが、相続で相続税の対象となり、現金で払えない場合は、物納となり、家も屋敷も株式も財務省のものになってしまいます。
そうなることが分かっていれば、地域社会のために、公共機関や地方自治体に寄付した方が保存が確実です。しかし、地方自治体も、維持管理費がかさばるので、最近では、寄贈をお断りする例も出ています。
建物の周りを、ぐるっと池が水路が囲んでいます。
この彫刻は、ロダンの「カレーの市民-ジャン・ダール」です。手にはとても大きな鍵のようなものを持っています。この像は大原美術館・本館の前にたてられて、まるで門番のようです。
大原美術館の本館はギリシャ神殿風の建物です。
美術館では、一般的に、写真撮影禁止です。沢山の絵を見て、写真を撮りたくなりましたが、撮影は禁止でした。美術の教科書に出てくるような、有名な見たことのある、有名画家の作品も鑑賞できました。
写真の代わりに、Wikiペディアをリンクしておきます。現代的な作品で、マリリン・モンローのシルクスクリーンを見たときに、近くで見ると、なんだか分からないマリリン・モンローが、5メートルも離れると、ステキな女優のマリリン・モンローに見えたのには驚きます。
中橋という橋です。左側の大きな蔵のような建物は倉敷考古館です。土蔵造という造りの建物で、もともとはお米の蔵(米蔵)だった建物だそうです。
倉敷は、幕府直轄の天領でした。幕府は、ここに米を集め、大阪の堂島でお金に換えて、幕府の台所を支えていました。
米だけでなく、瀬戸内海の塩も有力な財源です。堀川に船を浮かべ、船で蔵のすぐ前まで、荷物を横付けにし、そこから人力で蔵まで運んでいたようです。
以前に、松葉博雄は、奥さんと、この美観地区を訪れたことがありましたが、その時は、ガイドさんがいなかったので、大原美術館とその前の堀川くらいを見て、こんなもんかと、美観地区を過小評価していました。
しかし、今回、ボランティアガイドさんに、これまで行かなかった町屋とか、路地の奥まで、豪商の邸宅が並ぶ路地裏まで案内して貰って、美観地区の保存の良さ、文化を大切にする倉敷市の取り組み、修学旅行生も集まる文化的な意味などを、再認識しました。
北田証券株式会社(北田一雄社長)の前を通りました。昔ながらの造りの建物です。その理由は、この地区一帯は登録文化遺産に指定されているため、文化庁の許可なしに、建物を改築することが許されないのです。
もし、自分の家や会社が、登録文化遺産に指定されたら、大変なことになります。和風を壊して洋風建築にしたいと思っても、許可が出ません。
黒板に、当面の日経平均株価の相場見通しが書かれています。黒板に、白チョークで、きっちっとした字体で、書かれ、学校の先生でも、こんなに綺麗な字は書かなかったなぁと感心しました。
雨は止む気配はありません。倉敷川に落ちた雨粒が無数の波紋になっています。
この辺りは、狭い道路ですが、車は頻繁に出入りしていて、観光客は車のことを気にしないで歩いているので、運転する人は相当注意する必要があります。
クラクションでも鳴らしたら、驚いて川に落ちてしまいそうな、油断だらけの人がいます。
2011年5月12日(木)