天守閣の残っている現存のお城:弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、丸亀城、備中松山城、高知城、松山城、松江城、宇和島城です。

岡山城は、昭和20年の岡山空襲で天守閣や門を消失しました。岡山倉敷歴史の街散策(3)

岡山城は黒壁のお城で、別名を「烏城」と呼びます。お殿様は、公務は本社の烏城でこなし、くつろぐのは、お船に乗って旭川を渡り、後楽園に移ります。

岡山藩主池田候の通勤ルートのような、船で渡る渡し場を見て来ます。雨が止みました。

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後楽園の南西の方向、旭川の対岸に岡山城があります。岡山城は10数メートルの小高い丘に建設された城です。歴史によると、名和氏の一族上神高直が築いたとされ、その後150年間の城主は、はっきりと分かっていません。

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岡山城の天守閣からは、この後楽園を見下ろすと、どんな景色が見えるでしょうか?行ってみたいな、見てみたいなと思います。

大阪城と同じように、現在の岡山城は鉄筋コンクリート造りです。戦国時代から江戸時代にかけて各地に作られたお城の天守閣は、その後、明治になって沢山取り壊されています。

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平成の現代に、建立当時の木造のままで残っている天守閣は、一体いくつ残っているのでしょうか?

残っているお城は、12城です。弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、丸亀城、備中松山城、高知城、松山城、松江城、宇和島城です。

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岡山城も、昭和20年の岡山空襲で、天守閣や門を消失しました。昭和25年に焼け残った部分が重要文化財に指定され、再建されました。平成18年(2006年)には、日本100名城に選定されています。

 

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後楽園の小高い丘にある唯心山へ登ってみます。雨はあがりましたが、石段が濡れているので足元には要注意です。

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唯心山は、池田綱政の子・継政が作った庭園です。

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さっき見た白い花の斜面は、この唯心山の斜面です。真ん中にある四角い所は井田(せいでん)です。昔、園内にあった田畑の名残です。

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少し高い場所になっているので、後楽園の沢の池や、全体を見渡すことができました。向こうに見えるのは茶畑です。その手前に芭蕉の花が咲いていて、田んぼです。実際に田植えが行われます。

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沢の池の真ん中には、昔、弁財天を祀った島がありました。弁財天堂は、子・継政の時代に森の奥へと移され、半島だった島が幕末に切り離され、今のような島になったそうです。

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流店を見ます。建物の中に水路を通した建物です。漢字における「店」の本来の意味は、都市に存在した邸店(宿泊施設、倉庫施設を併せ持つ例)と、商業施設を合わせて称したものでした。そこで、流店とは、水が流れる中で、人が集まる場所を意味します。

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この一帯は水の流れを楽しむ場所で、藩主たちも庭を散策して疲れた足を休める休憩所にもなっていたようです。

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建物の淵に腰掛けて休憩しています。後楽園はとても広い日本庭園なので、確かに、こういう休憩の場所が必要です。

松葉博雄も、疲れた足を休めています。なんだか、温泉の足湯のようです。

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流店の関連から、ガイドさんに、曲水の宴はされたのでしょうか?の質問に、流店では曲水の宴はされなかったそうです。あれは平安貴族の遊びで、江戸時代の武家には、文化は伝わってなかったようです。

2011年5月11日(水)