3.11 東日本大震災から15年 風化させないために 私たちができる『忘れない』という支援

投稿No:10567

3.11 東日本大震災から15年 風化させないために 私たちができる『忘れない』という支援

東日本大震災から、15年が経ちました。

あの日の光景を思い返すたび、

胸の奥に重たいものが残ります。

テレビに映し出された津波の映像、

途方に暮れる人々の姿、

言葉を失うほどの被害の大きさでした。

遠く離れた地にいても、

ただ事ではないと感じた方は多かったことでしょう。

私自身も1995年の

阪神・淡路大震災で被災しました。

早朝の激しい揺れ、崩れた建物、

瓦礫の中に立ち尽くしたあの朝の静けさは、

いま振り返っても忘れることができません。

神戸の街は傷つき、

会社の建物も設備も大きな被害を受けました。

3日目にして、ようやく

これからどのように生きていくのか、

会社をどのようにするのかを考えられるようになったのを

思い出します。

(過去ブログ: 阪神・淡路大震災 罹災体験記録(ダイジェスト)

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当時、支えになったのは、

人の力でした。

社員たちは互いに声を掛け合い、

取引先の皆様も手を差し伸べてくださいました。

地域の方々とも助け合いました。

決して容易な道ではありませんでしたが、

多くのご縁と支えがあってこそ、

立ち直ることが出来たのです。

そういった経験を踏まえ

東日本大震災で被災された方の

何か少しでも力になりたいという

思いが強くなりました。

阪神淡路大震災の時に、

眼科医療機器を貸与していただいたことが

ありましたので、

今度は、松葉眼科から、

東日本大震災で罹災した眼科に、

医療器のスリットランプをお届けすることにしました。

**

メニコンの仙台営業所を通じ

無事に石巻市の被災地に届けられました。

**

👉(過去ブログ:復興支援として、松葉眼科から医療機器を寄付します。)

宮城県石巻市女川町の被災地

メルスプランの加盟店会議を

石巻市で開催した時は、時間を割いて

大川小学校の慰霊碑を、

実際に訪れたことがあります。

児童・教職員合わせて74名が、

津波の犠牲となりました。

哀悼の意を表し、献花をさせていただきました。

(過去ブログ:宮城県石巻市女川町の被災地

15年経った、今なお

避難者はおよそ2.8万人、

仮設住宅暮らしも800人弱にいらっしゃいます。

国の公的機関として「復興庁」

まだ存在しています。

復興には長い年月が必要です。

焦らず、諦めず、互いに手を取り合いながら

前へ進んでいくことが、

何より大切なのではないかと思います。

阪神淡路大震災で得た教訓は、

耐えてやり抜く強い意志と感謝の気持ちです。

年月が経つにつれ、

記憶は少しずつ風化していきます。

それでも、あの日の出来事を忘れず、

そこから得た教訓を

次の世代へ語り継いでいくことが、

私たちにできる務めではないでしょうか。

被災された皆さまに、

あらためて心よりお見舞い申し上げます。

そして、同じ時代を生きる一人の経営者として、

これからも復興に向けて歩まれる皆様を、

心から応援しております。

東日本大震災 関連記事 アーカイブ  2026.3.11

 

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