菜の花が咲く季節 菜の花といえば 司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』
投稿No:10202
もう菜の花が咲く季節 菜の花といえば 私が思いつくのは 司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』
先日、ふと道路の横に目をやると、
かわいらしい菜の花が
咲いているのを見つけました。
鮮やかな黄色が、
冬の終わりを告げるように、
ひっそりと道端を彩っています。
もう菜の花が咲く季節になったのかと思うと、
心も温かくなります。
菜の花といえば、
眺めるのも良し、
食卓に並べて味わうのも良しと、
楽しみ方はいろいろあります。
人それぞれ、さまざまに
連想すると思いますが
私が思い浮かべるのは
洲本市五色町出身の豪商・高田屋嘉兵衛、
そして司馬遼太郎の小説
『菜の花の沖』です。
高田屋嘉兵衛(1769~1827年)は、
江戸時代後期に活躍した海商で、
日本の海運業を発展させた偉大な人物です。
淡路島の五色町都志で生まれ、
若くして船乗りとなり、
海の世界へと飛び込みました。
その後、兵庫(現在の神戸)に拠点を移し、
「高田屋」という海運業を立ち上げ、
蝦夷地(現在の北海道)と本州を結ぶ
重要な交易ルートを確立しました。
高田屋嘉兵衛の活躍により、
蝦夷地への物資供給が安定し、
函館の発展にも大きく貢献したのです。
高田屋嘉兵衛は、
江戸時代の豪商になった商人ですが、
三井家、三菱(岩崎家)、住友家のように、
子孫にまで家業を継がせ、
財閥になるような道を歩んでいません。
高田屋嘉兵衛の功績の中で
最も注目すべきは、
ロシアとの外交交渉です。
1807年、ロシア軍が択捉島や
樺太を襲撃する事件(文化露寇)が発生した際、
嘉兵衛はロシアに
囚われるという苦境に立たされました。
それでも彼は冷静に交渉を重ね、
最終的に戦争を回避し、
日本の領土を守ることに成功しました。
この功績は、当時の幕府からも高く評価され、
民間人でありながら国の未来を
救った英雄として
歴史に名を刻んだのです。
出身地である五色町の都志には、
淡路を代表する英雄、
高田屋嘉兵衛記念館があります。
館内には、高田屋嘉兵衛が活躍した時代の
貴重な資料や航海に関する展示が並び、
江戸時代の海運の発展や
日露関係の歴史を知ることができます。
彼がどのようにして日本の海運を変え、
外交の最前線に立ったのかを
追体験できる場所です。
高田屋嘉兵衛が生まれたのは、
明和6年(1769年)の事なので、
当時の遺品はほんの僅かしか残っていません。
ほとんどの展示物は、
想像して作った展示物です。
高田屋嘉兵衛の生涯を描いたのは、
司馬遼太郎の小説、『菜の花の沖』です。
全6巻を古本屋で1000円で
出ているのを見つけ、
読んだことがあります。
私にとっては、
菜の花を見ると
『菜の花の沖』を思い出し、
高田屋嘉兵衛の壮大な生涯に
思いを馳せるきっかけにもなります。