神戸の千年家:箱木家の茅葺屋根二棟に入ってみました。
かんながない時代は、はつって板や柱を平たくしていました:紅葉めぐり・今年の秋を目一杯味わう(9)
兵庫県南部を流れる、志染川をせき止めて、呑吐ダム(どんどダム)に沈んでしまう前に、移築した箱木家住宅の、内側を見てみます。
移築し、一度解体して修理して、再建したお家なので、ホコリまみれという事はありません。
元々の、建てた当時のままの明るさは、どうだったのでしょうか?
時代劇の映画では、撮影の都合もあり、水戸黄門の映画でも、部屋の中はとっても明るくなっていますが、昔の時代に、そんな明るいわけがなく、
実際の、昔の建て方だと、昼間は、どのくらいの明るさで、夕方や夜になると、どのくらい暗くなるのか、体験してみたかったのですが、やはり、観光用に電飾で明るくしています。
移築のときに、不明な点や、解明されなかったことがあるため、完全復元にいたらず、
継続して研究することができるように、古い痕跡などをそのまま見られる様に残されているのだそうです。
テープの説明を聞いて、驚いたのは、近代のノコやカンナが、まだない時代に、
平たい板を作るのは、表面をかんながけするのではなく、はつって、平面を作ったのだそうです。はつるとは、少しずつ削るということです。
柱にしても、四角い面取りは、つるつるにはなっていません。丁寧に、はつりながら、できるだけでこぼこのない平面を作ったそうです。
そんな、はつりをして、床板を平らにする、職人を雇うには、大変なお金がかかったようで、当時の技術がわかれば、かかった費用も推測できます。
そうすると、どうしてそんなにお金ができたのかと、疑問が沸きます。
説明では、収益の源泉は農業で、お金を貯めるとすれば、土地を広げて、収穫を増やし、夜盗と戦いながら、財産を守り、家屋を築いたようです。
収益の源泉が農業であったことは、展示物の一覧を見てもわかりました。
昔の農機具が沢山展示されています。今この農機具の使い方が、わかる人が少ないと思います。
解体時の、礎石の写真が残っていて、どんな縄張りをしていたのかがわかります。
本物の、ツバメの巣がありました。ツバメの巣の下には、本物のツバメの糞が溜まっていました。
神戸市の文化財 千年家は、建ててから、千年経っているのではなく、古いから「千年」と、表現しているようです。実際は、600年以上700年以下ぐらい経過しているようです。
2010年11月18日(木)