私が生まれたのは、何代ものご先祖様の出会いのお陰です お墓参りは祖先を祀る 感謝する
投稿No:9350
死んだらどうなるかは分かりません。私が今いるのは、ご先祖様のお陰であることは確かです。 お墓参りは祖先を祀る 感謝する
お墓参りとは
私と奥さんとが出会わなければ、
我が家の子供たちは存在しなかったことは確かです。
私の両親が出会わなかったら、
私が存在しなかったことも確かです。
私の両親も、それぞれの両親が出会わなかったら、
両親とも存在しなかったことは確かです。
このように先代をたどって行けば、
例え一組の先代の出会が違う結果であったとしたら
今の私は、存在していないのです。
こう考えると、幾組のご先祖様達の出会いがあったからこそ
今の私を生まれさせたのです。
思えば、私が生まれたのは、
奇跡的な出会いの連続の結果なのです。
お墓参りのごく一般的な意味は
私を誕生させた祖先達への感謝と、冥福を祈るためです。
お墓参りをすることで、
私が誕生できた感謝を表せるのです。
お墓に行って祖先たちのお墓に感謝し、
手を合わせるのです。
結婚や家族、自分に変化があったことを
祖先の皆様に報告することもします。
縦糸と横糸の組み合わせで織物が出来るように
この先の子孫のことを考えると、
子孫たちも、今の私達や、その子供たちの
行為の結果が子孫に現われてくるのです。
それは、縦糸と横糸が織りあって、
新たな模様を造るようです。
私の前方後円墳は、
山陽本線から飛び散るレールの鉄粉が付着して
奇麗だった石が黒く変色してしまっています。
山陽本線が通る列車の本数は24時間走っているため
飛び散る鉄粉の量は近隣の住居の窓や家の扉を汚しています。
住居の場合は、JR西日本が定期的に清掃をしてくれるそうです。
私の前方後円墳もJR西日本三原保線区にお願いして
錆取りしてもらえないか、頼んでみましたが
前方後円墳は住居とはみなされないため、
鉄粉による汚れ除去は受け付けてもらえませんでした。
元々は松林だった裏手の山は
蒸気機関車の時代に、
汽車から飛び散る石炭の火が松林に飛び散って
山火事を起こしてしまいました。
山火事のため松林はすっかり枯れてしまい、
以前は松茸が取れた山でしたが、
今では竹藪になってしまいました。
松林が竹藪に
竹は地下から根を伸ばして
どんどん付近の山を竹藪に変えていっています。
もうこうなると手に負えないほどの
密集した竹藪になってしまいました。
竹の種類も孟宗竹でいったん固くなると
のこぎりで切り倒すのも大変です。
先祖代々のお墓は山の斜面を利用して
松林の中にありましたが、
今では竹藪に埋もれてしまいました。
そこで私の代で竹藪の墓じまいをして、
これまでのお墓は平地に下ろしました。
これで竹藪に悩まされることなく、
山の斜面を登ることなく、車をすぐそばに停められる
便利な場所に移ることができました。
前方後円墳は山陽本線の電車からみえるため
東広島市の市役所にはあの前方後円墳は誰の古墳ですか?
と問い合わせもいくつかあるようです。
市役所の方は、あれは個人の建物で
5世紀~6世紀の古墳ではありません。
と答えて下さっているようです。
前方後円墳の中には石仏をお祀りしています。
この石仏には、JRの線路から飛び散る鉄粉は降りかかってきません。
幸せになれるには ブッタの教えでは
私のブッタに、お詣りしてきました。
私の父、母、兄、祖父、祖母、祖先にお詣りしてきました。
私のブッタに、私は語り掛けます。
人は、幸福を望み、幸せを願っています。
幸せとは、なにかを説いてください。
私のブッタは、「スッタニパータ」の中で、
私に説いてくれました。
前方後円墳の頂上部分には
窓枠を作っているため光が入ってきます。
その為常に仏像には光が差し込んでいます。
神戸からは離れた場所にあるため
なかなかお参りできていません。
これではご先祖様たちに申し訳ないと
お詫びをしながらのお墓参りでした。
2022年5月4日(水)