おいしいお米作り団地 上牛尾地区は、有機米作りです。霧立ち上る 秋の夕暮れ ~せせらぎの湯 Part3~
おいしいお米作り団地 上牛尾地区は、有機米作りです。霧立ち上る 秋の夕暮れ ~せせらぎの湯 Part3~
おいしいお米作り団地 上牛尾地区は、有機米作りです。霧立ち上る 秋の夕暮れ ~せせらぎの湯 Part3~
台風16号の去った後急に気温が下がり、2004年9月の今日は昨日と比べて10℃も下がったようです。少し温泉に行きたくなりました。夏の暑いときは温泉は避けていました。しかし、今日は少し行きたくなりました。そこで「せせらぎの湯」に行って来ました。
やや雨天の中、上牛尾地区に着いた時に、周囲の山を見て感動しました。山の峰峰から霧が立ち上り、煙のように上昇しているのです。
思わず寂蓮法師の「村雨の 露も未だ干ぬ 槙の葉に 霧立ち上る 秋の夕暮れ」を思い出しました。せせらぎの湯については、すでにPart1、Part2で紹介していますから、今回は付属施設の「思い出博物館」に関連する事を紹介します。
会長は車の部品を制作している「エーモン工業」なので、車のクラシックカーが展示されています。入口には2台の車が目を惹きます。1955年製のトヨペットトラックです。
1961年式ダットサン ブルーバードP311です。
1938年式ダットサンです。
昔、子供の頃、「パッチン」と呼んでいた遊び道具がありました。おもちゃ屋さんで買ってきたパッチンは、厚紙に一連で印刷されていたので、これをハサミで一枚一枚の名刺サイズぐらいに切り分けました。
これを瓦の上や、板の上にたたきつけ、相手のパッチンを裏返すか、土俵の外に押し出すと相手のパッチンがもらえます。
ガチンコ(本気)でやって勝てば、相手のパッチンをいただく事を「ホンコ」と言い、勝負だけで相手からパッチンを巻き上げない方式を「ジャラコ」と言ってました。学校の指導方針では、博打はご禁制なので、ホンコでパッチンをしてはいけない事になっていました。
栃錦と若の花、大鵬と柏戸と、時代が変わるとライバルが変わります。パッチンを見るとどの時代の人気力士かが思い出されます。野球版もあります。せらぎの湯にゆっくり浸かり、子供の頃の思い出や一緒に遊んだ友達の事を、懐かしく思い出しました。
温泉と「思い出館」の組み合わせは、最初は意識しませんでしたが、よくよく見れば温泉に来ている人は思い出をたくさん持っている年代の方が多いという事に気がつきました。風呂に入るだけが「湯治」ではなく、思い出に浸かる事も「当時」になるのです。
2004年9月2日(木)