ブータンです。ブータンへの旅 Kingdom in the Himalaya 読者投稿:その1
ブータンです。 ブータンへの旅の旅行記です。
ブータン王国へ訪れた、旅行記の投稿を頂きました。神戸商科大学大学院の神戸商科大学社会人大学院「MBAの会」のメンバーである伊藤道司さんから、投稿写真をいただきました。
2005年4月に秘境ブータン王国へ旅行した時の貴重な写真です。和服のような服は、日本の文化によく似ているように思います。顔も日本人によく似ています。きっと、日本のルーツになんらかの関わりがあるのでしょうか。宗教も仏教中心のようです。
伊藤道司さんの写真を拝見させていただくうちに、ブータンという国のことを少し調べてみました。まず、世界地図のどこにあるのでしょうか。
インターネットは本当に便利です。すぐに見つかりました。
これは、人工衛星から写した写真です。上の地図から同じ位置に下に下がって見てください。
アジアプレートとインド洋プレートがぶつかり合い、一部は隆起し8000メートル級のヒマラヤ山脈を作りました。
ブータンは中国に接するヒマラヤ山脈の峰に広がった国です。
ブータンをアップにしてみました。ヒマラヤ山脈の麓にあり、平らなところが見当たりません。
どことなく、日本アルプスの麓に広がる信州のようにも見えます。
鳥瞰図にすると、山と谷に囲まれた様子がよく分かります。
それでは、伊藤道司さんの旅の写真をご覧下さい
ブータンの概要・ヒマラヤ山脈の南山麓にある雷龍(Druk Yul)の国の王国 ・国王:Jigme Singye Wangchuck ・面積:九州の1.1倍 ・人口:約70万人弱 ・首都: THIMPHU(ティンプー)推定人口約5万人 |
PARO(パロ)空港から首都THIMPHUへ |
PARO空港 4.12 |
4月11日に関空から出発。
12日にブータン唯一のパロ空港に到着。
ブータン第2の都市パロはのどかな田園風景が広がる美しい谷である。丘の中腹には彩色した白壁の堂々たるパロ・ゾンが町中を見おろしている。
Paro Dzong(パロ・ゾン) にて 4.12 |
リンプン(「宝石の山」)・ゾンとも呼ばれるこのゾンは5世紀の小さな要塞があった場所に建てられた。
この堂々たる矩形の城塞はゾン建築を代表する典型的建造物となっている。
パロ・ゾンは今日では県庁の所在地でもあり200人の僧侶を擁する国家仏教団の所在地でもある。緩やかな勾配の敷石道路もしくは警備小屋に隣接する板葺き屋根の美しい木の橋から入場する。
焼失したDrugyel Dzong の廃墟 4.12 |
ドゥゲ・ゾン(Drukgyel Dzong)
「ブータン人の勝利のゾン」の名で呼ばれるこのゾンはパロ(Paro)の商店街からおよそ15km。
1650年代にチベット軍を撃退したのを祝い,またバロ渓谷へのさらなる侵略に備えて北西の砦として築かれたもの。
1951年火災により焼け果て雑草に覆われた石畳や崩れかけた土壁が往事を偲ばせる。
1985年荒廃から守るため板葺き屋根を修復した以外は手を加えられていない。
隣りのおうち 4.13 | 首都THIMPU(ティンプー)のChorten 4.13 |
THIMPU(ティンプー)からPUNAKHA(プナカ)へ・THIMPUからPUNAKHAへはDochu La(ドチュ・ラ)峠を通って急峻な山道を車で7時間
・かっての冬の都であるPUNAKHAは暖かいまち ・ここを拠点にGASAをめざす ・PUNAKHA Dzongには沢山の少年僧が修行している |
Dochu La(ドチュ・ラ)峠:108のChorten 4・14 |
THIMPUからPUNAKHAへはDochu La(ドチュ・ラ)峠を通って急峻な山道を車で7時間
PUNAKHA Dzong(プナカ・ゾン) 4・14 |
かっての冬の都であるPUNAKHAは暖かいまち
PUNAKHA Dzongの少年僧達 |
PUNAKHA Dzongには沢山の少年僧が修行している