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沖縄県恩納村への沖縄旅行 その7「3日目〜古宇利島ドライブ(前半)〜」
2005年5月5日(木)、今日は子供の日です。
沖縄には子供の日のお祝いをする子供が私の周りにはいないので、今日の子供の日は行事はありません。
今日はどこかへドライブに行くことにしました。どこへ行こうかとマップを見ながら思いついた場所は、以前何度か行った屋我地島周辺に行くことにしました。
ここのよさは、比較的沖縄の昔が残っているからです。屋我地島の向こうには古宇利島があります。
古宇利島には今年の4月、橋がかかり、本島と橋で繋がりました。
随分前のことですが、取引先の社員であった山中さんと、うちの家族5人で、古宇利島に星が流れるしし座流星群を見に行った時のこと(「沖縄:古宇利島大橋(こうりじま)」)を思い出します。これから何度か途中までは工事を見ています。
カーナビに古宇利島とセットしてスタートしたのですが、これが思わぬ大失敗となりました。
古宇利島は、本島の今帰仁(なきじん)村の向かいなので、カーナビに「古宇利島周辺」を入力すると、橋のかかっていない今帰仁村に案内してくれました。
今帰仁村の公園から橋が見えるものの、この橋はこの今帰仁村とはかなり離れていて、一旦向かいの屋我地島に渡り、そこから古宇利島大橋を渡ることになります。
カーナビはまだ古宇利島大橋が記載されていない古いバージョンだったので、橋のかかっている地点を間違って案内してくれていました
公園の高台から見る景色は素晴らしい景色でした。
古宇利島の全体が見えます。橋は中央部分にふくらみを持った弓のような湾曲に見えました。
すぐ近くまで行って古宇利島を望むことができたのですが、実はここからは渡れないということが分かりました。
もう一度カーナビをリセットして今度は間違えないように屋我地島の方へ向かいました。
屋我地島へ向かう途中、道に迷ったところで、沖縄のたたずまいを残している美しい景色がありましたので、これを掲載します。
土の道が綺麗に掃き清められ、石垣を積んだ防風林が細い道を作り、垣根には蔦が絡まり、ハイビスカスが顔を覗かせ、バナナの青い葉も遠くに見えます。
小鳥のさえずりも聴こえ、車の入らない集落の落ち着きを見ることができました。
どこのお家か知らない家の前に、大きな木の茂った角地があり、少し広くなった広場を形成しています。
この大きな木は夏の直射日光から暑さを防ぎ、強い風には防風林の役割をし、小鳥を呼び集め、集落に潤いを作っているように見えます。
カーナビに「あんたが古いからこんなになったんや。もっとしっかりしいや。」と言いながら、屋我地島に向かっていく途中に、またまた道に迷ってしまいました。
道に迷うのはカーナビだけのせいではないようで、どうやら方向音痴でもあるように思いました。
迷って着いた港は運天港といいます。ここからさらに離島行きの船便があるようで、切符売場ではまだ行ったことがない離島行きの切符を売っていて、その側には時間表がありました。
トランクに一杯の荷物を持った島の人が船が来るまで周りの人と世間話をしている声が聞こえます。耳をすましてみても、方言で話しているためか、さっぱり訳がわかりませんでした。
運天港からもう一度やり直してリセットした後、再び古宇利島へ向かいます。
途中、先ほどとか違った角度から古宇利島の橋を撮影しました。沖縄の5月は本土よりも1月早い梅雨入りで、湿気を含んだ熱い風が首筋をなでるように去っていきます。
雲がどんよりとかかった空には、もし晴天だったら真夏に負けないほどの強い熱射をもたらすほどの強力な太陽を雲のカーテンで隠しています。
まだ開通して1月ほどのピカピカの新橋なので、レンタカーを中心としたドライブ客がたくさん島を目指してやってきています。もし他の地区のように、がらがらの状態なら、車を歩道の脇に寄せ、車から降りてここから見る海と、目の前の古宇利島をゆっくり眺め、そして写真をばしばし撮ってみたい気持ちです。
しかし、現実はそうもいかず、止まって写真を撮ることができませんでした。新しい観光スポットができたことで、きっとマスコミにも紹介され、ここにどっとたくさんの観光客が押し寄せてきているようで、大変な行列です。
本土と違って沖縄の離島対策のための橋はほとんど無料です。
これだけの素晴らしい橋が無料ということは、もちろん誰かが負担していることがいえます。
以前、古宇利島に来た時は、船で渡り、上陸した場所は当然、港の桟橋でした。
それが今日は、車でものの5分もかからない時間に、島に着き、以前の港はどこかなぁと目を遠くにふり、探してみました。
少しだけ見覚えがある景色が橋を渡ったすぐ側で見つかりました。意外と橋の出入り口に近い所にありました。見つけたのは以前民宿で止まった民宿の「しらさ」です。
見覚えのある2階建ての民宿ですが、入り口の周りはまるっきり変わっていました。
わざわざ古宇利島に訪ねてきたのも、以前、しらさに泊まったことがあり、その時はお店の女将さんと色々人生について話をしたことが思い出され、そのことが私と奥さんの記憶にはまだ残っていて、「きっと女将さんも私たちのことを覚えているだろう。」という期待もありました。
ところが、張り切ってお店に入り、辺りを見回し、以前会った女将さんに会いましたが、話し掛けてもほとんど私たちのことには興味がない様子でした。
それはすぐに分かりました。なにしろ、どんどんお客さんが入ってきて、お店はこの島に一軒だけの民宿と食堂のようで、もう独占企業のような状態になっています。
昔の一泊だけの客にかまってはおられないのでしょうか。やや意気消沈して、それでもお昼の食事ぐらいはここでしようと思いました。
ここで頂いた昼食は魚汁とそうきそばを頂きましたが、決しておいしいとは言えません。
あのときの女将さんはいろいろとお話をしてくれて土地の優しさを感じましたが、今日の女将さんはもう島でなくなったというのか、たくさんのお客様がいらっしゃっているのでそれほど気持ちのゆとりがないような対応でした。
わざわざ訪ねてきたのですが、少しがっかりしました。
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