2005年4月の完成を目指し、屋我地島から古宇利島へは、今、架橋工事が完成に向けて、その全貌を現しています。橋長1960m。総工費270億円をかけ、1999(平成11)年の着工以来、島民360余名の夢がまもなく叶いそうです。
私が初めて古宇利島を訪れたのは、1990年の夏で、家族全員と親しくしていた取引先の山中さんが偶然沖縄に滞在していたので、お誘いして一緒に島に泊まりに行きました。
この年の8月にはしし座流星群が現れ、ネオンのない古宇利島では浜辺に寝転んで夜空をずっと見て星の流れの美しさにしばし感動しました。島の方は親しく声をかけてくださり、焼酎を水割りでいただき、地元の方と長い時間天体ショーを眺めたことを思い出します。
この頃は島のあちらこちらで「虹の架け橋」の早期実現を願うスローガンを見ました。以来何度か工事の進行具合を見学に行きましたが、工事の方法や現場が工場の様な作り方でした。 (古宇利大橋について、詳しくは こちら)
2004年8月15日に伊丹から那覇に向けて飛行した時、天気が大変よく上空一万メートルより古宇利島を撮影できました。
屋我地島から古宇利島へ一本の細い線で島がつながっている様が見えました。
2004年8月18日に屋我地島の国立病院愛楽園の海辺を訪れた時、屋我地島から見える架け橋の進行状況を見てきました。
工事現場に行き、さらに詳しい進行状況を見ました。もうほとんど完成に近い状況になっています。
帰りの那覇発伊丹行の飛行便でも天候に恵まれ、那覇を飛び立ち10分もすると古宇利島周辺の写真撮影が出来ました。
写真は、向かって上の部分に出ている地域は沖縄記念公園のある本部町で、手前の三角形の島が屋我地島です。古宇利島と屋我地島と奥武島の三つが沖縄本島と橋でつながることになります。
屋我地島と本部の運天港側には狭い幅で海が隔てていて、羽地内海を作っています。これが台風の時には船舶の緊急避難箇所になります。この中に逃げこむと台風からの暴風を避けることが出来ます。
2005年の4月以降は車でも簡単に古宇利島に渡ることが出来ます。こうなると島ではナンバープレートのない車は走れなくなりそうです。古宇利島のサザエ、ウニ、もずくをまたいただけるのかと思えば期待が沸いてきます。