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沖縄県恩納村への沖縄旅行 その8「3日目〜古宇利島ドライブ(後半)〜」


しらすでの激的な再会を夢見ていたものの、あまりにもあっけないシーンに終わり、このまま満たされない気持ちで以前の思い出を探しに小学校の方へ歩いて岡を登っていきました。

以前に散歩した時は小さな小屋があり、その小屋を覗くと、たった今古宇利島の珊瑚礁で捕ってきたばかりのウニを殻から取り出し、小さな木箱に並べて出荷の準備をするこじんまりとした作業所がありました。

記憶を頼りに探してみたものの、今はそんな作業所はないようです。ウニは痛みやすいので、常温で作業をしているとすぐに劣化してしまうので、冷凍設備のある冷たい室内に移されたのではないかなぁと思いました。


坂を登り、見晴らしの良い高台に出たところに古宇利島の小学校と中学校が一緒になっている古宇利島小中学校があります。ここから見る景色は、この島で一番高い場所から島全体を見る一等席になります。

以前のように、学校に入っていこうと考えていました。ところが、入り口には「ご用のない方は立入をお断りしています。」と掲示されています。思いもかけないことですが、そういえば最近は本土でもたくさんの事件がおきたために校庭に入ることについては非常にナーバスになっています。

学校側から見れば、公共といいながら見知らぬ人が勝手に敷地内に出入りすることが許される時代ではなくなったのです。東京や大阪ならそうだろうと思っていたことが、この古宇利島でも大都会と同じように立ち入りを禁じる掲示板があったことに驚きました。

従って用のない方が無断で校庭に入ることは禁止されています。遠くから見るだけでした。

学校の中に入らないで、校庭の端から古宇利島大橋を眺めてみました。屋我地島から古宇利島に向かって一本の長い道が島と本島をつなぐ希望の掛け橋のようにまっすぐに伸びている光景が見えます。わずか一本の橋は、これからこの島を大きく変えていきます。

例えば、水田の水が堰をきれば一つの高さになるように、これまでの水位の差はこの橋によって古宇利島を本島と同じような文化水準に変えてしまうように思います。


もちろん、良いこともたくさんあります。島に多くの観光客や島を訪れる訪問者が増え、古宇利島が離島から屋我地島の岬になることになります。

最近の話では農産物の売れた頃、トラックで夜中にやってきてごっそりと売れた農作物をかっさらっていく事件もこの橋によって古宇利島で起きるかもしれません。



もう一度学校の方へ目をやると、小学校の校庭の方には5月の風をうけて、鯉幟が校庭に泳いでいます。

「いらかの波と雲の波、重なる波のその中を橘薫る中空に高く泳ぐやこいのぼり」

つい小学校の頃のことを思い出しました。




登ってきた坂は下りる時には下り坂になります。急な坂道を足をつまずかせないように注意しながら港の方へ下りていく途中に、登校の道すがら学生に対して立て看板が何本か電柱に取り付けられていました。

「ニコニコあいさつさわやか気分」という、これはビジネスにも通用するような標語です。小学校で習ったことが大人になっても忘れないで実行できたらいいのですが、子供の時に素直に挨拶できる人も、段々と歳をとり、大人になってくると素直さがいつのまにか隠れてなかなか挨拶が出来ない人に変わっていくのはなぜでしょうか。

成人するうちにいつのまにか反対の意識がわいて、あいつだけには絶対に挨拶をしたくないとか、挨拶するのが嫌だから目を合わせないようにしようとか、かえって大人の知恵がついてくることもあります。


石碑を見つけました。古宇利島の学校沿革の概要というのがありました。

この島に小学校ができて100年も歳月が経過したようです。たくさんの児童がこの学校を巣立ち、中には太平洋戦争で犠牲になって亡くなられた方もたくさんいらっしゃるとおもいます。

ゆっくりと土地の古路に焼酎を飲みながら、来し方の歴史や島の生活などについて、サンシンの音を聴きながら過ごしたいものです。



現実に戻り、浜に下りて車に乗り、島を一周する新しい道路に沿ってドライブをしてみました。

古宇利島はこのゴールデンウィークが本島とのデビューのようで、たくさんの車がきています。それをあてこんで港やドライブコースにはたくさんのお店が並んでいます。

臨時のお店です。後から数珠つなぎに車が続いているので、景色を見ながら思いきりゆっくり走ろうと思ってもそうはいきません。後の車に追われるように、前に前に進んでいきました。

道の脇のあいた場所では、露店がいくつかあり、そこには何かを求めて車が止まって、交通渋滞を起こすほどのにぎわいでした。

私も車が止められるスペースがある店で、車を寄せて、お店にいってみました。ここでは、野菜中心のお店で、中でもスイカが山積みにされていました。

しかし、スイカを一個買っても二人で食べられるわけでもなし、この辺は切り売りでもして販売すればもっと売れるのになぁと、ついマーケティング思考になってしまいました。


ここでは奥さんが買う気を見せたものがありました。

それは、なんと焼いもです。奥さんは沖縄の特産品である紅芋の焼いもだと理解したようでした。ところが、結果は本土から取り寄せたお芋でした。

この焼いもの焼き方は、なかなか考えたやり方で、薪を使って焼きます。


この下から薪を炊いて、そして筒のような網ネットに芋を並べて、そして蒸して焼きます。

まとめてたくさん焼けるところがみそです。どんどん焼いていくそばから、お客さんがどんどん買っていきます。

おじさんは5月の沖縄の暑さの中で薪を炊き、釜の側にいるのですから、顔からは汗が吹き出ています。手ぬぐいを顔に巻いてかぶり、汗を吸収しています。

奥さんが買った紅芋でない焼いもは、一本150円でした。

そばで見ていると、別に秤で量るわけでもなし、かといって芋のサイズが不揃いで、これが150円ならあちらの大きいのはいくらなのか、こちらの小さいのはいくらなのか、気になりましたが、おじさんはそんなことは気にしていないようで、お客さんの顔を見ながら値段をつけていました。


 

見ていて値段について交渉する人や、値段の根拠を尋ねる人は誰もいませんでした。皆さん、どのように気持ちの中で納得しているのかなぁと不思議に思いました。

150円で買ったお芋は、車が走り出すとすぐに奥さんは食べはじめました。周りには芋の匂いがするので、私はそっと窓をあけ、風を入れて芋の匂いから逃げました。

奥さんは私が芋の匂いが嫌なので窓をあけたことがすぐに分かり、笑いながらお芋を口に入れて頬張っています。