美しい日本の歩きたくなる道五百選 世界遺産グスクのふるさとのみち(北中城)
美しい日本の歩きたくなる道五百選 道の周りには、立て看板や、ネオンサイン、車の排気ガス、電信柱、鉄筋コンクリートの建物、 横断歩道と信号、駐車場などの、現代の都市生活から生まれた、 煩わしい物が見当たらない、落ち着いた生活道路です。世界遺産グスクのふるさとのみち(北中城)を歩きました。
世界遺産グスクのふるさとのみち(北中城)
沖縄に来て、沖縄らしいところへ行きたくなると、
まずは幹線道路から生活道路の中に入っていくことです。
車を置いて、細い路地の生活道路に入っていくと、
そこには沖縄の生活が、日常的に続いています。
そんな日常の、沖縄の生活を見たくて、
北中城の中村家住宅に来ています。
中村家住宅を見学した後は、
付近の大城地区を散歩してみます。
ここには、渇水時でも水が涸れることがない、
アガリヌカー(東井泉)があります。
今でこそ、水道の蛇口をひねると、
ジャーっと水が流れてきます。
ヒネルトジャーです。
そうなったのは、ごく最近からで、
内地が戦後の復興期で、
ライフラインが近代化されていたときでも、
沖縄にはまだ、井戸に頼る生活の時代がありました。
アガリヌカー(東井泉)の掲示板を読むと、
アガリヌカーの製造年代は詳らかではありません。
このカー(井泉)は大城集落の大半の住民が飲料水として
戦後上水道が布設されるまで利用してきました。
大正14年(1925年)カーの上に
コンクリートでゴミ除けの屋根が取り付けられましたが、
1959年と2001年に改築されています。
戦前は、旧元日の早朝子ども達が
カーの水をワカミジ(若水)として汲んできました。
この水をヒヌカン(火の神)や仏壇などに供えて
新しい年の家運隆昌と家族の健康を祈ったそうです。
沖縄でも、東南アジアでも、アフリカでも、
水道水のない地域では、水汲みは、
子供と女性の仕事になっています。
長い道のりを、重い水を瓶に入れて、
肩に天秤棒で担いだり、
背中に背負ったり、頭に乗せたり、
地域によって水の運び方は違っていますが、
単純な仕事なので、
子供と女性が水汲みに従事しています。
その重労働な水汲みがなくなれば、
それだけ他のことが出来るようになります。
一番しないといけないのは、学習と、
情報の収集と、知識の積み重ねです。
学問をして、手に職をつければ、
より高度な専門知識を身につければ、
それは富の源泉になります。
こんな事を考えながら、
大城地区を散歩していると、
大城公民館の前に来ました。
大城公民館には、大城公民館前広場があります。
芝生が生える広場です。
何か、地域の行事があれば、ここにテントを張り、
テントの中で皆さんが、
祝い事や季節の行事をする事ができます。
広場の隅にあったのは、
元北中城村長の仲村榮春さんの顕彰碑です。
仲村榮春さんは、
戦後の村の復興・発展に大きく貢献された人物です。
先ほど通ったアガリヌカーを、
たった3人で現在の形にまで整備して、地域貢献したそうです。
「人情深く、村民からブルトーザー村長、
ミンタリー村長と親しまれた榮春さん。
昭和33年の村長就任から昭和43年に
琉球政府総務局長就任で辞職するまでの10年間で、
農道の舗装、サトウキビの奨励と
トロッコ・ケーブルカーの導入による労働力軽減、
また、米軍から消防車や
大型ブルドーザーを譲り受け建設業者に賃貸し、
村財政へ活用するなど、数々の功績を残されました。
著書として「大城の今昔」や
短歌・漢詩詩集「塵籠」も残されています。」
日本の歩きたくなる道 五〇〇選散歩道 に出ました。
この『日本の歩きたくなる道』を、
今日は歩きたくて、ここにやってきました。
2004年(平成16年)に発表された
日本の美しいと認められた道500コースです。
日本の歩きたくなる道500選は、
社団法人日本ウオーキング協会により選定が提案され、
国土交通省、NHK、全国地方新聞社連合会、
共同通信社の後援を得て発足した
「美しい日本の歩きたくなるみち
推薦会議(現・美しい日本の歩きたくなるみち推進会議)」に
よって発表されました。
沖縄には、
2.竹富島・星砂の島、牛車と歩くみち
3.世界遺産グスクのふるさとのみち(北中城)
4.与那原・東御廻い(アガリウマー)歴史のみち
9.てだこのまち、浦添城址を巡るみち
何が他の道と違うのでしょうか?
そう考えながら歩いてみると、
道の周りには、立て看板や、ネオンサイン、
車の排気ガス、電信柱、鉄筋コンクリートの建物、
横断歩道と信号、駐車場などの、
現代の都市生活から生まれた、
煩わしい物が見当たらない、
落ち着いた生活道路です。
2015年4月11日(土)