後の尚円王 伊是名島の百姓金丸 百姓金丸が耕していた水田は、逆田として今も残っています。
伊是名島の歴史探訪:後の尚円王こと、伊是名島の百姓金丸は、ついに琉球王朝の頂点に立ちました。伊是名島の百姓金丸が耕していた水田は、逆田として今も残っています。第127回沖縄訪問(17)
4時頃、腹ごなしに、
夕方の晩ご飯が美味しく食べられるようにサイクリングします。
向かう方向は、観光ガイドマップに載っている逆田です。
逆田ってなんだろう?
と、思うのが当たり前。
事情が分からなければ、
田んぼが逆さまになるわけがなし、意味不明です。
ここから少し歴史物語に移ります。
ここは沖縄の第2世の尚円王が
この伊是名島から
本島に向けて出発する前の24歳まで、
耕作していた田んぼです。
尚円王は、百姓をしていました。
当時の名前は、「金丸」です。
金丸が耕していた水田は、
他の田んぼが水が涸れても水が涸れることがありません。
そこで、他の田主達が水を盗んだのではないかと疑い、
夜の間に水が他の田んぼに流れるようにしてしまいました。
ところが翌朝になって、
自分たちの田んぼから水がなくなり、
金丸田んぼに水が溢れていたため。
逆から流れたのではないかと言うことから、
「逆田」と呼ばれるようになったそうです。
現地調査をしてみると、
一番上の段の棚には、
水が湧く小さな水田があります。
そこから、水が涸れることなく、
田んぼに流れ込んでいることは、
素人の松葉博雄にも分かりました。
それではなぜ、金丸は疑われたのでしょう?
この辺りが、
わずか24歳の、ただの百姓が、
沖縄王朝を開くことができたのかという疑問に繋がります。
逆田の伊是名村教育委員会の石碑を見て、
伊是名島に来てみて、
尚円王の出身地であることを知りました。
分からないのは、
一人の百姓が伊是名島から本島に渡り、
どのようにして琉球王朝の
第二尚王朝を築いたのかということです。
わずか24歳で、
10歳年下の弟と奥さんの3人で島を離れ、
その後30年くらいで、
琉球王朝のトップに上り詰める
途中はどうなっているのでしょうか?
伊是名島の観光ガイドマップには、
詳しいことは書かれていません。
もう一つ気になるのは、
伊是名島と伊平島との関係です。
2011年2月22日(火)